観劇と演劇教育『より良い森へ』
10月13日 Theater Pfütze
Die Besseren Wälder
作者:Martin Baltscheit
演出:Jürgen Decke
作曲:Dominik Vogl
Theater Pfützeはニュルンベルクを散歩していたときにたまたま見つけた劇場で、Pfützeを辞書で調べると、どうやら「水たまり」という意味らしい。外観は黄色い建物で、水玉模様の意匠が特徴的。その見た目にはじめはチーズをモチーフにしているのかと思った。その立地は気持ちのいい場所で、大きな建物の屋上にあり、休憩のときにはバルコニーでのんびり寛ぐことができる。内装もすてきで、ロビーには椅子やソファが散らばっている。卓の上には劇場のパンフレットおよび解説資料(Begleitmaterial)が置かれている。この劇場の解説資料は一枚のポスターになっていて、表がポスター、裏が四つ折りで演劇教育的な解説が付与されている。中学生くらいの年齢の子どもを対象とした作品をよく上演している。
Die Besseren Wälderは「より良い森へ」という意味で、これは主人公のオオカミの両親が発するセリフでもある。住処が危機に見舞われたため、新しい住処を探そうとするが、両親は殺されてしまう。生き残った主人公フェルディナントは、羊の老夫婦に拾われ、羊として育てられることになる。オオカミと羊という登場人物から『あらしのよるに』が思い起こされる。違う種族同士という点は共通しているが、そこから立ち現れるテーマはやや異なる。『あらしのよるに』が種族を越えた関係性を描いているとしたら、『より良い森へ』が扱っているのは、揺れるアイデンティティおよび故郷である。
解説資料によれば、作家Martin Baltscheitは動物のキャラクターを人間の姿で描く作家だとしている。この点も『あらしのよるに』と違う点だろう。そのため、俳優の衣装は毛皮も耳もしっぽもなく、ふつうの人間の服装である。ただ、羊の人物は保守系の善良な市民の服装であるのに対し、オオカミの服装は若者風の服装である。
舞台装置は一枚のスクリーン、その後ろには音楽隊が生演奏している。この演出の一番の肝であるのは音楽で、よくある子ども向けの上演だろうと気を抜いていたのでびっくりした。音楽隊の内訳は、歌手二人(ソプラノ、バスバリトン)、それからドラムにピアノ、ビターにヴィブラフォン。フリージャズみたいな独特の音楽でシーンの雰囲気を演出している。スクリーンには白い雪のような映像が映り、その前にはスタンドマイクが置かれている。こうした舞台の上で、俳優がテクストを朗読し、それに重なるように二人の歌手が歌を響かせる。舞台上で一つの像を結ばれているのではなく、音楽、テクスト、歌といった音響的な情報が観客によって知覚されることで、観客のなかで内的な像を結ぶ。冒頭はそんな演出だった。
羊の夫婦に羊として育てられたフェルディナントは、メラニーという少女と恋仲になる。二人は大人の世界にあこがれ、禁じられた「赤い村」に行き、一晩過ごすが、朝起きるとメラニーは殺されている。フェルディナントはオオカミであるため、メラニーの殺害を疑われ、羊の村を逃げることになる。それから、オオカミの集団と出会い、抵抗を示しながらも一緒に過ごすことになり、今度はマーシャと恋仲になる。やがて、最初の恋人メラニーを殺した犯人がマーシャの兄だと分かったり、かつての育ての親である老夫婦に出くわしたりする。このようにして、フェルディナントはオオカミから羊となり、羊からオオカミとなり、二つのアイデンティティのなかで揺れ動く。
解説資料には演劇教育的な解説が書かれていると言ったが、どういうものか紹介したい。あらすじや作者の紹介などのふつうの解説に加えて、作品にどんなテーマが読み込めるか、そのテーマをもとにどんな問いを探究することができるかが書かれている。中学生くらいの生徒を対象としているので、観客は学校のクラス単位で来るか、休日に親子で来る。上演を見た後に、作品についての感想をどう刺激してどう広げていくかのヒントが書かれているというわけである。
一つ目は、オオカミと羊というモチーフについてであり、これに関しては世界各国の神話や民話でどう扱われてきたかを簡単に紹介し、そこから人が動物のモチーフとどう付き合ってきたかという文化論的な問いを促している。例えば、日本では人間とオオカミの共生を描いた民話がある一方で、ヨーロッパでは人狼のように明確な悪者として扱っている。羊はキリスト教において無罪のシンボルとして扱われるなど。そこから、オオカミと羊が登場するお話を集めて紹介するような授業を提案している。
二つ目は、故郷や伝統、文化といったテーマである。羊の老夫婦はいわゆる保守の善良な市民で、伝統を大切にし、村のなかで暮らしていくことを善としている。それを示すようなセリフのやりとりが引用されており、ここから、故郷とは何か、伝統とは何か、それに対して自分はどのように思っているか、といった問いが用意されている。これら問いに対しては、四つの選択肢があって、「そう思う」という選択肢もあれば、「くだらない」という回答もある。この選択肢は、さまざまな立場や意見を喚起するために用意されたものだと思う。
三つ目はアイデンティティというテーマで、自分のアイデンティティを構成しているものにはどんな要素があるのか、マインドマップを書くワークが提案されていたり、あるいは作品に惹きつけて、自分を動物に例えるなら何か、それはどうしてか、などのワークもある。
四つ目は、作品における音楽的な要素の重要性について解説している。作曲家や演奏者のインタヴューが掲載されているほか、上演で扱われたような音のコラージュを創作するワークが提案されている。
これらの提案されたワークが実際、どのくらい行われているか分からないが、こうしたワークの例が並べられることによって、演劇という素材の教育的な応用の仕方について知ることができる。