【モノの演劇祭】『Noir AV Ritual』-素材としての無声映画
10月25日 Schaubude Berlin
Telekinetic Assault Group
Live-Film-Remake
Noir AV Ritual
ヴィジュアル僧侶:Cristina Maldonodo
サウンド吸血鬼:Tarnovski
出演者の役名からしてふざけているが、上演の雰囲気にはたしかに合っている(仮装しているわけではなく、ふつうの服装)。舞台上にはスクリーンがあり、下手のヴィジュアル僧侶(パフォーマー)が小道具を駆使して映像を操作し、その映像の雰囲気を際立たせるように、上手のサウンド吸血鬼(音楽)がリミックスの機械をいじりながら、おどろおどろしい音楽をつくっている。Live-Film-Remakeとあるように、彼女らのパフォーマンスは古い吸血鬼映画の映像をリメイクし、ライブパフォーマンスの素材として扱っている。
象徴的なのは、鋭い眼光のイメージである。開演前からスクリーンにはフクロウの鋭い眼光が映写されている。扱っている元映画が何か分からないが、吸血鬼の一族が美女に化けて街中に繰り出すという内容である。吸血鬼の住処のおどろおどろしい演出や、絶世の美女に変身するときの演出で、たびたび鋭い眼光のアップが用いられる。現代の感覚からすると、かなりくどく、時代を感じる。おそらく無声映画で、セリフがなくても、身ぶりや演出でどんな内容か分かるように構成されているのだろう。このくどい映像が編集によって反復され、さらにくどさが強調され、恐怖をどころか滑稽さをも通り越して、一つのスタイルのように思えてくる。美人の目元は黒いラインで化粧され、くっきりとしていて、その眼光は獲物を見つめるかのように鋭い。
このパフォーマンスがおもしろいのは、古い映画のデジタル的編集だけではなく、そこにさらにアナログ的編集を加えている点にある。映画の映像は、パフォーマーの作業台の上に映写されている。例えば、作業台上に映写される映像の光に対して、白い紙ではなく、手をかざせば、手の部分だけに映像が映り、その様子がスクリーンに反映される。作業台のところには、映像の断片を印刷したプレートや、ガラス皿やら、光源を変則的に利用できる道具がたくさんある。パフォーマーはこれらの道具を用いて、映画の映像を屈折させたり、切り取ったり、歪ませたり、二重映しにしたりする。
この技術を応用すると、ライブであるパフォーマーの身体を映像のなかに潜り込ませることができる。元映像の暗い部分に、自分の姿が映っているライブ映像を二重映しにする。そうすると映像の動きに合わせて、反応して見せることで、まるで映画のなかに入り込んだかのようなトリックになる。上演では、二重どころか三重にも四重にもライブの映像が重ねられていたのだと思う。美女を美女たらしくする演出は、ガラス皿の模様で縁取ることによって、さらに仰々しいものとなる。
非ライブである映画の映像をライブの映像を用いてリメイクするというのがこの演出の肝である。しかし、最後にそうした次元を乗り越えるパフォーマンスがあり、アッとさせられた。自分のライブの映像をスクリーンに映し出す過程で、パフォーマーはスクリーンの前を横切ることになる。そのとき、スクリーンの映像はパフォーマーの影によって侵略される。今までの演出はあくまでスクリーン上に映される映像上でのことであり、二次元的だった。しかし、ここにきて、ライブの映像としてばかり知覚していたパフォーマーの身体が、スクリーンを通さない形で観客の眼前に披露される。このとき、パフォーマンスは美女の眼光がプリントされたアイマスクを着けていた。映像の二次元・過去の世界と、眼前の三次元・現在の世界とがごちゃまぜになっている感覚がとても衝撃的だった。
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