ジャングル・ウィーンを訪れて
2016年9月23日 Dschungel Wien
グスタフ・クリムトやエゴン・シーレの作品が展示されているレオポルド美術館、現代アートの企画展を催しているクンストハレ・のウィーン、近代モダンアートのMUMOKなどの素晴らしい美術館が集まっているミュージアム・クォーター(美術館地区)は広い旧帝国厩舎の城壁内を利用している。壁をくぐると広場が現れ、3つの美術館がそびえ立っている。広場にはカフェがある他、寛ぐためのオブジェが点在している。一歩足を踏み入れたらアートの世界が広がっている、とても素敵な場所だ。
そんなウィーンのミュージアム・クォーターに隅に子ども心を刺激されるような「ジャングル・ウィーン」という劇場がある。ミュージアム・クォーターというアートのど真ん中にあるからか、とても自由で開放的な雰囲気がある。20カ国から俳優やダンサーを含むアーティストが働いている。新シーズンのオープニングということで二つの演目とコンサートが催された。「ジャングル・ウィーン」自体は2004年発足と新しいが、二つの演目を上演する「テアター・フォックスファイア」は1992年にコリネ・エッケンシュタインに立ち上げられた青少年向けの劇団で、活動内容と今日のオープニングの様子から「ジャングル劇場」の前身とみなせるかもしれない。ただし、パンフレットには「ジャングル劇場」と「テアター・フォックスファイア」は分けて書かれている。
Quartier 2013 die Stadt sind wir
Konzept: Corinne Eckenstein
Regie: Claudia Seigmann
ときは2030年。ミュージアム・クォーターをひとつの島に見立てて近未来を想像する。ゴミと共生をテーマに、裸シャツ(オッパイや胸筋が描かれたシャツ)を着たスタッフに導かれて島の中を巡り歩く。各場所ではフィクションの設定が説明されたり、奇妙な島の住民と出会ったり、あるいは交流する。
まず上演前にスタッフからゴミをもらう。ゴミには半分に割れているだけでなく、半分に割かれたシールが貼られている。上演開始前の待ち時間に、もう片方をもっている観客を見つけてパートナーとする。僕のもらったゴミはシャンプー の容器だった。周りはゴミをもった観客がたむろしていて愉快な景色だった。ゴミにはプラスチック、布、紙の3つに区別され、それによって観客は3つのグループに分けられる。
夢のあるフィクションの地名が書かれたミュージアム・クォーターの地図を渡されて出発する。ぶっちゃけ地図もパートナーも道中あまり関係ないが、観客との距離を縮める装置として大きな役割を果たしている。上演時間は予定では1時間30分だったが、初演では2時間のたっぷり充実した劇となった。
元々あるオブジェや内装に工夫を凝らしている場所がいわばチェックポイントで、そこで観客は俳優扮する住民のパフォーマンスやクエストを体験する。中には俳優が登場せず、壁に書かれた落書きを見るだけのところもあった。あるいはヘッドホンをつけ、そこから流れる雑踏や読み上げられる詩的なテクストを聴きながら、建物の上からミュージアム・クォーターを行き交う人々を眺めるというのもあった。
ミュージアム・クォーター内には様々なポイントが用意されていて、そこを芸術的な空間として観客は体験する。何かしら俳優や装飾の準備がされているが、普段の上演時以外の状態をほぼ残している。スタッフに導かれて歩いていると、こんなところにこんな空間があったのか、という発見の面白さがある。しだいに周りを見る視点は鋭敏になっていって、ヨーロッパでは日常茶飯事なハグする人々も美学的な景色を構成しているように見えてしまう。
Running Wild
Corinne Eckenstein
ませてて生意気だけど憎めない6人の子どもたちと男女二人のダンサーによるパフォーマンス。子どもの溢れんばかりの創造性やエネルギーを感じさせてくれる。子どもたちに振り回される二人のダンサーは保育園の先生みたい。天井からは、タイヤ、梯子、寝床?の3種類の遊具が垂れ下がっている他、3種類の小さな移動台が置いてある。周りの黒い壁には白いチョークで落書きされる。
遊具のような舞台を駆け巡る子どもたちは、遊んだり、ふざけ合ったり、ときには音楽にのせてノリノリで踊ったりする。それだけでなくマイクを通して、入れ替わり願望や批判を話す。ときに子どもの発言は、大人のような回りくどさがなくストレートで清々しい。子どもたちの合間に発言する大人の発言が優等生めいて聞こえる。
子どもたちにもみくちゃにされて、大人もカッコつけた大人のままではいられない。マイクでは綺麗な言葉ばかり吐いていた大人も、自分の感じている不満や鬱憤を怒りのままに吐き散らしていてこれまた清々しい。
子どもはいい意味でも悪い意味でも素直で、素直でないところも素直だ。それがパフォーマンスの全体に表れていた。観客としても子ども素直ないい観客だ。面白いところではキャッキャと笑い、見事なシーンでは「Oh My Gott!」と思わず声をもらしていた。なんとも和ましい。もうあれほど素直になれはしない。