「インクルーシブな演劇の作り方」に参加して

2019年1月19日 国立オリンピック センター棟107室
TYAインクルーシブアーツフェスティバル2019
「インクルーシブな演劇の作り方」
ダリル・ビートン(イギリス/演出家・俳優)

『四角い世界』という作品を発表したダリル・アートン。残念ながらその作品を見ることはできなかったが、ワークショップには参加することはできた。どんな内容だったのか、覚えている限り書き並べてみたい。以下のゲームの名前は便宜上勝手に名付けたものである。

・サインゲーム
まず行ったのは、自分を紹介するサインをつくるというゲーム。顔から胸にかけてのあたりにフレームがあると考えて、そのなかで表情と身振りでサインをつくる。サインをつくるときには、自分の名前の意味やリズムからつくってもいいし、名前とは関係なく、自分の性格や好きな動きから構成して構わない。
輪になって座っているので、一人ずつサインを回していく。一人がサインを行うと、ほかの全員が続けて同じサインを真似する。そうやってどんどん回してく。
回し終わったら、今度は誰でもいいので、一人を指さす。そして、その人のサインをやる。刺された人は「誰?私?」というサインを返す。人差し指を上に向けてクルクルと回すのが、英語の手話で「who」であり、人差し指を自分に向けるのが「I」である。刺された人は、また次の人に回してく。ある程度慣れてきたら、そのやりとりをよりナラティブにする。感情的なニュアンスを加えて、より表現豊かにやる。
彼はこのゲームを最初にやるそうだ。自己紹介にもなるし、言葉によらないコミュニケーションの準備になる。

・身体ゲーム
歩き回って、言われた数字の人数でグループをつくる。このとき28人の参加者がいた。2人、4人、8人、14人、最後は28人。それぞれで指示されたものを身体で表現する。2人のときは数字の8。4人のときは自転車。8人のときは家。14人のときはお城。28人のときは東京だった。家では、ダリルが入るための扉をつくる。お城では、入城するための跳ね橋をつくり、なおかつそのときの音を考える。まず静的な身体表現を練習して、それからそこに動きを加え、音を加えた。最後の東京では、東京で体験することを挙げ(満員電車、東京タワーなど)、近くにいる人でどんどんそれらのメルクマールをつくっていって、全体として東京を表現した。

・インクルーシブな公園をつくる
東京をつくったときのように、今度は公園をつくる。公園には何があるか。ジャングルジム、ブランコ、シーソー、ツリーハウス。これらをまず7、8人のグループでそれぞれを表現する。一度つくったあと、今度はインクルーシブな公園をつくるとしたらどんな遊具が考えられるか考える。視覚障害の子も楽しめるジャングルジム、精神障害の子が楽しめるブランコ、車椅子の子が楽しめるツリーハウスなど。予算は気にせずに、思いつくまま自由に、けれども実際的なものを。
このとき注意したいのが、サービスになってはいけないということ、公園にくる究極の目的を忘れてはならないということだ。どうして子どもは公園にくるのか。遊ぶため、友達と会うため、体を動かすため、リスクを楽しむため、さまざまあるだろう。仮に、車椅子の子どもがすべり台に登れるようにエレベーターをつくれたとする。しかし、それはサービスになってしまう。サービスになるということは、自分はサービスを受ける側になってしまう。体を動かしながら遊ぶ、リスクを楽しむということがそこにはないからだ。
ジャングルジムは触れると音がなるものを考えた。上に登れば登るほど音が高くなる。そうやって自分の位置を聴覚的に理解できる。それと同時に、テクスチャー(触感)も場所によって異なるようにする。聴覚と触覚で楽しめるジャングルジムである。ブランコはハンモック型や、向き合ってブランコできるもの、揺れずに高さだけ変えられるものなど、さまざまなものが挙げられた。精神障害にはさまざまあり、それぞれに合ったものが求められるからだ。人によっては包まれる感じがほしいし、自分なりの空間にしたい人もいる。
ツリーハウスは、車椅子の人が登れるリフトが設置されている。リフトは手で回ることで挙げられる。リフトとは別にスロープがある。スロープにはごつごつしているところや揺れるところなどがある。
こうしたアイデアが出た後で、はじめに考えた公園と、今考えた公園、どちらの公園に行ってみたいかと尋ねられた。もちろん後者である。
障がいがあるとき、二つの考え方がある。一つは自分には障がいがあって、それゆえ何か不便があるとき自分がそこに適応できるように何とかしなくてはならないということ。もう一つは、自分が環境に障がいがあるので、環境を変えれば障がいはなくなり、自分は障がい者ではなくなるということ。個人が障がい者であるかではなく、環境によって特定の人が障がい者にされてしまう。このように考えれば、アプローチすべきは個人ではなく、環境になる。
私たちは障がい者のアクセスを考えたことで、今までにないような公園を考えることができた。ダリアはそれを「access of aesthetics」と呼んでいた。誰かにとってもアクセスを考えるとき、それを実現するための方法を考えなくてはならない。このとき、私たちが慣例的に信じてきたルールを変えることになる。ジャングルジムから音が出たっていいし、ブランコは横並びでなくとも構わない。ツリーハウスに登るときに、はしごだけでなくてもいいのである。究極的な目的を考えて、そこに向けて考える。これは演劇をつくるときにも重要だ。インクルーシブアーツというのは、社会的なものでもあるが、それ以上に創造的美的なものである。前者だけではサービスとなってしまうのだろう。

・1、2、3
最後にダリルがいつもやっているというワークを紹介してくれた。ペアになって一人ずつ交互に「1、2、3、1・・・」と言っていく。二人で3つの数字を交代で言っていくので、少しややこしいが、それほど難しくはない。今度は「1」と言う代わりに、身体動作と声を付ける。例えば、手を上に挙げて「ポウッ」という声を出すとする。すると「ポウッ、2、3、ポウッ」と交互にやっていくことになる。それが慣れたら、今度は「2」に動作と声を付ける。慣れたら「3」にも動作と声をつける。気が付けば奇妙な会話のやりとりのようになっている。

ダリルは一組ずつ、会話を披露するように言った。一組が「1、2、3、1」から発展したやり取りを見せる。ほかの人はその様子を見て、どんなふうに見えたのかコメントする。やっている方はどんなやり取りかは意図せずやっている。それを周りから見ると、例えば会社の同僚や親子のやり取りとして映る。最初から、身体を使ってシーンを作れと言われたら、ここまで多様な表現は出ないだろう。

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