ベルリンの乳幼児演劇祭FRATZフェスティバル①
ベルリンのFRATZフェスティバルにやってきた。Theater O.Nという劇場が企画している乳幼児演劇フェスティバルである。5月3日から8日まで開催しており、ドイツ国内外のカンパニーが参加している。日本もポーランドとの共同作品である「KUUKI」で参加しているようだ。上演だけでなく、各カンパニー同士の交流も兼ねたシンポジウムが企画されている。一つの作品につき大人は10ユーロ、学生は7ユーロ、子どもは5ユーロであるが、Fachpublikum(専門の観客)として申し込むと、45ユーロになる。7作品見るので値段的にはあまり変わらないが、名札がもらえたり、シンポジウム参加者の名簿に名前が載ったりするので、こちらで申し込んでよかった。7日からは児童青少年演劇祭のAugenblick mal!がはじまる。さらに、4日からはTheatertreffenもはじまる。今回、4日から12日までベルリンに滞在するが、そのあいだに3つの演劇祭を訪れることになる。
メイン会場はPodewilという文化施設。天井や窓が子どもらしいデコレーションで飾られているほか、子どもが遊べる仕掛けで溢れている。会場ロビーには赤いプラスチックのボールのプールが置かれ、そのなかで小さな子どもが遊んでいた。あとから聞いた話では、ある作品の舞台装置であるようだ。上演する機会があまりないのがもったいないので、こうして子どもたちの遊び場として貸し出しているとのことだった。ほかにも、階段のところに、ピタゴラスイッチのようにボールを転がせる仕掛けがあった。これらの仕掛けははじめからあったわけではないそうだ。子ども向けの演劇のフェスティバルであるはずなのに、シンポジウムなどは大人向けで、作品のあいだに子どもたちは手持ちぶさたになることに疑問があがり、今のようになっているのだという。
tout petit(ベルギー)
「licht!」
振付・ダンス:Lies Cuyvers, Ciska Vanhoyland
ベルギーのカンパニー「tout petit」によるダンス作品。タイトルから光をテーマにした作品であることが分かる。会場に案内されるなか、子どもが前にくるようにアナウンスされる。入口のところに着いて、しばらく待っていると、扉のなかから懐中電灯を持った女性が二人出てきた。二人とも半ズボンから素足が出ている。そういう衣装を着た演者のようだ。二人は人込みの足元を照らしつつ、観客を会場内へと案内する。会場前は明るいのに懐中電灯を用いていることから、この作品において懐中電灯が中心的な小道具であることが予想できた。
開場内は完全な暗闇ではなく、どこに誰がいるか見分けがつく程度に明るい。舞台上は暗いが、そこに小さな光が灯る。演者の懐中電灯である。小さな丸のなかに足が二つ並んでいる。二つの足が小刻みに二歩進むと、懐中電灯の光もそれについていく。ダダッ、ダダッと足をそろえながらリズミカルに舞台上を移動していく。上演中に流れている音楽は、打楽器と電子音によるリズムを重視した音楽である。基本的なリズムは変わらないが、いくつかのシークエンスごとに音のニュアンスが変化する。この音楽に合わせて、演者の動きも変化していく。
光という素材をどう扱うか。「tout petit」はフィジカルダンスを組み合わせることで、光という素材で遊んでみせる。懐中電灯の小さな光のなかに足を並べるだけではない。光をボールに見立てて蹴飛ばしたり、懐中電灯の距離を変えて、ボールの大きさを変えたりする。冒頭は懐中電灯の光と足によるパフォーマンスが続く。そのあと、もう一人の演者も加わり、光を用いた身体遊びはレパートリーを増やしていく。片方の懐中電灯を床において、壁に光を投げかけて、その光を利用して影絵をつくる。演者の一人がストップモーションしているところを、もう一人の演者が懐中電灯で照らす。懐中電灯をリズムに合わせて前後に動かせば、演者自身はストップモーションしているだけだが、リズミカルな表現になる。
この調子で続くのかと思ったら、ある程度したところで、表現方法が大きく変化した。懐中電灯の光が消えて、一度真っ暗になると、音楽に合わせて今度は大きな光が灯る。舞台上に照明装置が並んでいたのである。それぞれ茎の上の花のようだ。それぞれの高さは異なる。コロがついているので、動かすことができる。この照明の林を演者の二人がアクロバティックに動かしていく。鉄棒のようにしがみついたり、電線を引っ張って引き寄せたり。二人が照明を動かすと、当然ながら光の形も変わる。そうやって作り出したスポットライトのなかで二人は新体操みたいに互いに身体を預けながら踊っている。
最後の方で、蛍光のシーツが出てきた。暗闇のなか、ぼんやりと緑色にシーツが光っている。布を用いた振付をするだけでもきれいだが、蛍光の特性を利用している。シーツを広げた状態で懐中電灯の光を当てると、光の当たっていた部分がぼんやりと光る。この性質を利用して、手や顔を影絵として残しながら、光を重ねていった。最後にシーツごと二人でくるまった。
これで上演は終わりだが、上演のあとは子どもたちが参加できる仕掛けが用意されているのが常である。「licht!」では、最後に用いられていた蛍光シートで遊ぶことができる。まずは一人の子を舞台に挙げて、シーツの上で寝転がせた。身体の輪郭を懐中電灯でなぞると、自分のシルエットが残るという遊びである。これだけでは終わらず、今度はシーツがいくつも用意され、それから子どもたちに小さなライトが配られた。この光でお絵かきができるのである。ライトは十分な数があったので、大人も混じって遊ぶことができた。シーツにライトを当てて動かせば、簡単に線が引ける。長く置けば、その線は太く濃いものになる。時間が経つとだんだん薄くなるので、それもおもしろい。試しに螺旋を描いてみると、書いた線から薄くなるので、立体的に見える。しばらくしたあと、今度は親子がシーツの上で横になっていた。会場の照明を明るくし、それからまた暗転にすると、寝転んでいた部分だけが見事に黒く残る。上演後に参加できる作品はいくつかあるが、そのレパートリーがいくつもあるのを見たのは、これがはじめてだった。
FRATZアトリエ「Nesting」
コンセプト:Shelly Etkin
美術:Yoav Admoni
メイン会場のすぐ隣に教会の跡地がある。天井はなく、壁が残っているだけで、あけっぴろげな空間である。その隅に、ぽつんとピンクの造形物がある。近くで見るとそれは、放射状に組まれた木の枠組みにピンクの紐が編み込まれた「巣」だった。このなかでパフォーマンスが行われる。
すぐ隣に遺跡の小さな部屋があり、そこに荷物をおくことができた。FRATZアトリエとはお試し企画のようなもので、参加者に直接意見を聞くための機会であるようだ。参加者は大人だけだった。なかに入れるのは十数人。アーティストの関係者が犬を連れていたのがおもしろかった。人間十数人と犬で、「Nesting」のパフォーマンスを観劇することになった。
巣のなかに入ると、上があけっぴろげであることに気づく。遺跡自体があけっぴろげなので、青空が見える。巣のなかであるにも関わらず、外の様子が見える。巣は紐が編み込まれている造りなので、真正面を向いても外が見える。
巣というテーマにどうアプローチしているのだろうと思ったが、パフォーマンスからはあまり巣というテーマを感じなかった。放射状に組まれた巣の真ん中に大きな金属製のお盆が置かれている。二人の演者がそのお盆を挟んで、儀式めいたことをはじめる。目を閉じて、片方は済んだ声で歌い、片方は動物みたいな奇妙なうなり声をあげている。
編み込まれた紐にもたれかかるのは気持ちよかった。慣れてくると参加者は、演者の方を見ずに空を見上げたり、目を閉じたりしていた。思いっきりリラックスしてみると、この作品の楽しみ方に気が付いた。内側からは演者の声が聞こえ、その響きが木組みを伝って、身体全体で感じられるようだった。また、巣の外からは車の走る音や人々の話し声などが聞こえた。
上演後には、大きなお盆のなかに立つことができた。その状態でお盆が槌で打たれる。骨が震えるほどの衝撃はないが、それでも微弱な振動が全身を覆っているのを感じることができる。また、お盆ではなく、水の入ったお鈴が置かれ、それを槌でなぞるパフォーマンスもあった。鈍い音が響くと同時に、お鈴のなかの水がはねていて面白かった。
上演後の振り返りで演者が話していたことだが、共鳴という言葉が何度も出ていた。たしかに金属製のお盆は振動を起こすものであるし、放射状の木組みはその振動を参加者全体に伝えるのに向いていた。あけっぴろげの遺跡のなかに、あけっぴろげな巣があり、そのなかで上演が起こっている。内側と外側という構造がいくつも重なり合った空間のなかで、内と外のあいだで、共鳴を感じるというのが、この作品の楽しみ方であるようだ。
FRATZシンポジウム
Sisters Hope(デンマーク)
Traum-Raum – Bildung der Zukunft(夢―空間 未来の教育/造形)
メイン会場の一室の前に、ベールで顔を隠した怪しい女性が鎮座している。彼女の前にはガラスの桶が置かれていて、そのなかにはたくさんの紙切れが入っていた。女の後ろの部屋は曇りガラスでなかが見えない。ときおり、別のベールの女性が部屋から出てきて、参加者を部屋のなかに誘っている。参加者は目隠しをして部屋のなかに消えていく。
参加の仕方は簡単、入口の近くで女性が出てくるのを待ち、差し出した手を取ればいいのだ。無言のまま目隠しされ、手に導かれるままに部屋のなかに入る。少ししたところで立ち止まり、目隠しを外されるが、目は閉じたままで、と言われる。鞄を外され、腰を下ろし、それから床の上に横になる。部屋のなかは神秘的な音楽(睡眠用BGMみたいな)が流れているほか、催眠術をかける口調で、英語の指示が流れる。息を吸って、吐いて、エレメントが身体のなかを流れるのを想像して、脚から足へ、足の指先へ流れ出ていくのを感じて。ヨガをしているみたいだった。ヨガ的なイメージをしている合間あいまに、望む未来のイメージをするように促される。
横になってイメージをしているあいだ、たまに肩を上からゆっくり圧迫されたり、ほほを優しく包まれたりする。目を瞑っていても、足音や気配で分かるので驚くことはなかった。目を瞑り、心地よい音楽のもと、エネルギーの流れるイメージをする。それだけでかなりリラックスできるが、たまに触れられるときがなかなか気持ちよかった。
しばらくして、イメージした未来を紙に書くように言われる。自分の近くをまさぐると、一切れの紙とペンが置かれていることが分かる。紙に記入するために目を開けると、寝ながら書いている人もいれば、起き上がっている人もいる。書いた人から順に、ベールの女性に連れられて外に出る。部屋の外にいた怪しい女性は、未来のイメージの書かれた紙を儀式的に処理する役割だったのだ。なかなかスピリチュアルな体験だった(ほかに表現を思いつかない)。
FRATZシンポジウム
Sisters Hope(デンマーク)
Poetisches Ich & Sinnliche Gesellschaft(詩的自己と感覚的社会)
先ほどのスピリチュアルな体験を与えてくれたのは、デンマークのSisters Hopeというグループによるもののようだ。このグループは、パフォーマンスアーツを用いて、教育や研究、アクションなどを行っているらしい。シンポジウムでは、彼女たちの理念と活動について紹介された。
「Poetic Self(詩的自己)」と「Sensous Society(感覚的社会)」という独自の考えをもとに、文化施設や学校の共同でプログラムを企画しているようだ。きちんと理解できたか分からないが、端的に言えば美的な感覚を用いて、社会的な取り組みを行っているということだと思う。学校教育や経済活動では理性が重要視され、美的な感性は重要視されていない。自己や社会を美的な側面から捉え直すことで、理性だけでは取りこぼしているものを扱うことができる。ノートに、Sensous Society(感覚的な社会)とは可能性の社会(Potential Society)というメモが残っていた。
Sisters Hopeのドキュメントやシンポジウムの映像から、かなり多岐に渡るプロジェクトを行っていることが分かった。紹介ムービーでは、柄の悪そうな男子生徒が表現することの必要さを話していた。やや宗教チックな感じもするが、先ほど体験したこともあって、分からないでもない。自己対話や自己表現、あるいは自己実現といった事柄を、アーティストの補助によって、美的な方法で昇華させているのだと思う。アーティストと社会をつなげるやり方はいくつもあるだろうが、Sisters Hopeは「Poetic Self(詩的自己)」と「Sensous Society(感覚的社会)」という視点からそれに取り組んでいるようだ。