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【コミュニティー・ベーシックインカム提唱】

いきあたりばっちりな卒論シリーズ1

今回はアジャイル型の卒論としてこの文章を書いている。海外のニュースで音声入力で卒論を書いているのを見かけ、自分も試してみている。


卒論について、 私はずっと文章を書くことができなかった。
しかし最近お坊さんに相談していたらこういう風に投稿で書いたものを全部貼り付けたらいいんじゃない?と言われて、それなら書けそうだと思ったのでこういう風にして書いている。なんなら皆さんのコメントもバシバシ取り入れながら書いていく心づもりなので、コメント大歓迎である。


先生から今回の卒論の認可条件は12ページほど文章を書くことである。と言われたのでとにかく書くことが重要だ。私は毎日これから20分ほど時間を使って文章を書いていくことにする。


大体はウォーターフォール型で卒論は書くものだが、私は全体の設計をできないので、アジャイル型で進める。楽しいし。


ちなみにアジャイル型と卒論をググってみたらどうやらアジャイル型は日本発の論文から紡ぎ出されたようだ。そんな事は趣旨からズレてしまう、 というか調べれば調べるほどこのように脱線していくし、思考も変わっていくので、その変わっていくプロセスをみんなで楽しみ、ときに話しながら卒論を進めていきたいと考えている。

前置きは長いが、本文について書いていく。
私はこの数年ほどベーシックインカムについていろんな情報を見て、時に参画してきた。しかし日本でベーシックインカムが 実行される事はまだ先の話になりそうだ。 それか私が認知してから4年も経つが、国家から行われたのは100,000円程度の現金給付である。遅い、遅すぎる。

では問いを変えよう。私たちが手ずからベーシックインカムが目指すもの(例えばそれは豊かな生活、人々がつながり孤独から脱却すること。子供や子育て世代が貧困に陥ることがない世界。)をどうやったら最短距離で体現できるのかということである。

私の言葉で言うならば、人類全体がより健やかに生きるために何ができるのか。その問いに答える1つの手段が、私はベーシックインカムだと考える。しかしながらベーシックインカムには誤解が多い。なぜならそれは半分私たちのイデオロギーを含んでいるからだ。ベーシックインカムはあくまでビックアイデアで現実的ではないと言う見方も多い。しかもベーシックインカムの半分を占めているのは思想、哲学だ。過去の批判についてここでとやかく話をするつもりはここではない。

私が話したいのは、どうやったらこの私たちが 実現したい未来を、今私たちの手で進めてい けるのかということである。 山森亮氏の「ベーシックインカム入門」(p252)ではベーシックコモンズ(社会的に共有される公共財のこと。)とベーシックインカムについての話がある。公共的側面としての論点はあったものの、私的な安心感のあるつながり、関係性について述べている文書は特に言及されていなかった。

そこで私はベーシックインカムとベーシックコモンズを担保するコミュニティーを新しく取りという観点から話を述べたいと考えている。シチズンシップにも近いかもしれない。

コミュニティーベーシックインカムとは何か。それは森山亮氏の考えを借りるならば、ベーシックコモンズという土台があった上、もしくは家族的な間つながりを各々が担保された上で、毎月ベーシックインカムを享受するというものである。 その段階における私たちができることと限界について、具体例を交えながら述べていきたいと思う。


また、これから書いていく文章は、下記の書き溜めや調べていく中で取り上げていくものとする。興味のある人はこちらから参照されたし。


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