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円環の中に見いだす人生の歌ーカムカムエヴリバディ考察
2021年11月からNHKで放送された朝ドラ「カムカムエヴリバディ」。
普段はドラマもほとんど見ない私だが、偶然早起きした日に見たことをきっかけに第一話から追いかけ直し、気づけば毎日最新話を見ることが一つの楽しみになっていた。そんな珍しくハマったドラマが今日112話で最終回を迎えた。世の中でも多少話題になるくらいにはヒットしていたようだが、この作品の何が面白かったか、私なりに考察してみたくなったので書いてみることとする。
とはいえ、文章を書くのはひじょ〜〜〜に久しぶりなので、拙文かもしれないが、そこは追々修正を加えることとして……
そもそも、カムカムエヴリバディのあらすじについてはNHKの公式ホームページに掲載されているので、そこを参照してほしい。(https://www.nhk.or.jp/comecome/)
ここから先は最終回までのネタバレを含むので、未視聴でネタバレが嫌な方は見てからのほうが良いかと思う。
喪失と「再起」
まず、この作品は二つのキーワードにおいて整理し、楽しむことができる。
その一つ目は「再起」である。
物語の大きな流れは、戦前・戦中・戦後・高度経済成長期・平成〜令和の100年間をファミリーストーリーとして描いている。そこからもわかるように、日本の敗戦から現在までにかけての復興、すなわち再起を描いているとも読むことができる。100年のストーリーということもあり、ファッション、流行の音楽やTV番組などを効果的に挟み込み、時代の変遷を感じさせる演出となっているのが楽しいポイントだ。
しかし時代変遷の表現以上に、各キャラクターの「喪失」とそこからの「再起」が繰り返し描かれていくのがこの作品の魅力の一つであると思う。
勇にとっての甲子園(もしくは安子)、錠一郎にとってのトランペット、文四郎にとっての時代劇役者…
るいは母、ひなたは文四郎を失い、安子は稔、家族、そして娘のるいを失う。
これは主要キャラクターだけではなく、ほぼ全ての登場人物が何かを喪失し、挫折する姿が描かれているように感じる。
そんな挫折した、時には心折れそうな彼らに、錠一郎の「それでも人生は続いていくんだよ」という台詞が効いてくる。そして同時に思い出されるのは、伴虚無蔵の「来るべきその日のために、日々鍛錬せよ」という言葉である。
この物語の登場人物たちは決して華々しい大成功をおさめるわけではない。(いや、ハリウッドでの活躍は結構な大成功かな…とも思うが。)日々、おはぎを売り歩き、回転焼きを焼き続け、英語講座をラジオで毎朝聴く。そんな一人ひとりの日進月歩の鍛錬が、それぞれの人生を彩っていく。そんな彼らの「再起」を共感しながら楽しむドラマであると思う。
キーイメージ「円環」
ここまでだと「なーんだ、日本の復興に個々人の人生を重ね合わせた、日本の物語か」となってしまうが、そうではない。このドラマのメッセージは「円環」にこそ込められているのではないか、というのが私の考えである。
各話タイトルの丸い円、オープニングの映像やタイトル、餡子のお鍋や大月の回転焼き……
なんだかやけに円のモチーフが多いなと気付いた。運命の巡り合わせの表現か?必ずどこかで出会えるとか、そういうメッセージか?と(陳腐だな…と思いながら)考えていたときに、ふと「大月」の苗字で思い至ったのである。そう、円は「太陽」と「月」すなわち「日向」と「日陰」のモチーフなのではないか。だからこそ、錠一郎の苗字は「大月」でなければなかったのではないかと。
「日向」と「日陰」:二項対立で見えてくる物語
この物語に一貫して登場する主要なキャラクターの一人、それは時代劇俳優のモモケンこと桃山剣之介である。ルイ・アームストロングが「On the Sunny Side of the Street」で日向の道を歌う一方で、「暗闇でしか見えぬものがある 暗闇でしか聴こえぬ歌がある」という台詞に表されるように、彼は「日陰」の存在を強調する。そして、この作品には「日向」と「日陰」の関係を持ったキャラクターが登場する。
モモケン/伴虚無蔵、るい(もしくはトミー北沢)/錠一郎、ひなた/文四郎。
「日向」と「日陰」は太陽と月の関係のごとく相関しあい、表裏一体となって物語を紡いでいく。こうやってみると、親子三世代の物語であると同時に、日陰から日向を、時に目が眩みそうになりながらも目指す、そんな物語なのである。そして彼らは皆、長い時間をかけてようやく日向の道に立ち、歩み出していくのである。この関係は徐々に人気を失っていく時代劇が、ハリウッド映画によってまた陽の目をみる姿にも見ることができるように思う。
安子が「アニー平川」を名乗った理由もここにあるのではないか。
彼女は「雉眞安子」の人生を日陰に追いやるために、日向の存在「アニー平川」を名乗ったのである。そして物語の終盤、ラジオを通じて(桃山剣之介の映画の話題をきっかけに)彼女は自身の人生を独白する。50年以上の長い年月を経て、やっと「雉眞安子」に陽が当たったのである。ひなたが安子を背負いながら「おばあちゃんも日向の道を歩いてよ」という台詞が印象的だった。
毎日陽が昇り月が出て、また陽が昇るように、何があっても人生は続いていく。そして出会いが人生を変化させ、日々の努力の積み重ねが明るい未来に繋がり、また新たな出会いが待っている。そんな円環の中を生きるのが私たちなのだ。私はそんなメッセージをこの作品から受け取れるように思う。
On the Sunny Side of the StreetのVerse
カムカムエヴリバディのテーマソングとなっている、On the Sunny Side of the Streetには実はこんなVerseがついていた。
Walked with no one and talked with no one
And I had nothing but shadows
Then one morning you passed
And I brightened at last
Now I greet the day and complete the day
With the sun in my heart
All my troubles blew away
When I heard you say
僕はそれまで誰かと共に歩んだり話したりもせず
憂鬱だけが唯一の友だちだった
けれどある朝、キミから話を聞き
ついにやっと光が見えた
今は来る日を歓迎し充実して生きている
心に輝く太陽を添えて
すべての問題は消え去った
キミが僕にこう教えてくれた時から
「キミ」の存在、すなわち「日陰」からみた「日向」の存在が私を救う、そんな物語なのだとこのバースを読んで確信した。メインパートの素晴らしさはさることながら、この前置きが加わることによって増す魅力は言い尽くせない。温かくて、優しい歌である。このドラマを楽しんだ人にぜひ知ってほしいと思ったので、ここに引用して掲載させていただいた。
感想
今日最終回を見て、ハッと思いついたことを書き殴ったので考察が浅薄な点も多く甘々なのだが、まぁ専門家でも無いしこのくらいで勘弁してもらえると嬉しい。なんだか、世の中では伏線回収が〜と盛り上がっているみたいだが、私としては伏線というよりは無駄のないキャラクター配置が面白かったと感じた。やや説明的だし、大円団!!!のつまらなさもあるっちゃあるけれども、それは朝ドラだしNHKだしそんなもんかな〜と思っている。
それにしても、脚本家さんはオダギリ・ジョーが好きなのね!と強く感じた。いい台詞、ほとんど錠一郎が言ってましたもんね。私も好きです、オダギリ・ジョー。インタビューによると、錠一郎はオダギリ・ジョーの当てがきだったそうなので納得。
個人的には文ちゃん(本郷奏多)がとっても好きだったので、文ちゃんのラストについては「デイジー誰やねん!!!」ってなりましたが、まぁしょうがないか……「寂しいだろ、ばか。」の文ちゃんでさらにこのドラマにハマった、と言っても過言ではない。
妊娠中〜育児中の慣れない日常の中で、なかなか面白い作品に出会えて良い気晴らしになった。一つの楽しみが終わってしまった悲しさはあるが、また良作に出会えますように。ここまで読んでくださった方、ありがとう。