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ギリギリで生きていたくはないけれど【随想】

子どもが生まれてから17年間くらい共働きをしていたが、いつも何かに追われるようなギリギリの日々であった。

まずは保育園のお迎え。
帰宅の遅い夫と高齢の義母には頼れず、比較的定時で終わる職場に異動させてもらい、ほぼほぼ一人で行っていた。
学童保育のお迎えもまた然り。
時間ギリギリまで仕事をしてダッシュで帰るため、通勤時間に融通がきくよう職場の近くに駐車場を借りて車通勤にしたり、繁忙期には朝早めに行って仕事をしたり、昼休みも昼食後すぐ仕事にとりかかったりしていた。

息子のことで、どうがんばっても時間調整ができなくなり退職することとなった。

息子には知的障害がある。
中学から特別支援学校に通い、現在は「就労継続支援B型事業所」に毎日通っている。将来の就労に向け職業訓練をしながら、わずかな工賃をいただいている。本人も気に入っており楽しく通っているが、惜しむらくは利用時間が短いことだ。利用時間は(福祉制度により時間に制限があるため)大体5、6時間といったところ。うちでいうと、朝8時半に家を出て夕方4時15分には帰宅する。1人で長時間の留守番が難しいため、私は外出していても息子の帰宅時間に合わせて帰るのが現状である。夕方までのパート等はできない。体調不良で病院で点滴して貰っていて時間がかかり「4時15分にまでには帰れるようお願いします。」と医師に懇願したこともある。

たとえ家にいても、原稿を書いたり本を読んだりして気持ちが乗ってきても、息子の帰宅時間はいつも気になっている。
そして、主婦の常で時間は細切れにしか使えない。
いかに集中するか、いかに効率を上げるか。
いかに自己の欲求と時間を考えギリギリの範囲でクオリティを高めるか。
常に葛藤がある。

これを諦めてしまったら知的活動などできやしない。
弱音を吐く訳ではない。
しかし、なるべくならギリギリで生きていたくないのが本音でもある。


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ひとみ
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