日記0728 : 抽象のキャッチボール

やはり頭いい人と話すのは気持ち良い。

そうでない人は「抽象の1」だけを話せば次に進めることを、1から10まで具体を延々と話すから眠くなるし何話してたかわからなくなるから無駄が多すぎる。それに加えて具体を延々と話してその文章が終わらないので全然「それはわかったから次にいこう」という意思表示としての話の中断ができない。これがストレスフル。

頭がいい人とは抽象の1を適宜キャッチボールして投げ合うからどんどん議論が進むし、じゃあ次はこうしましょうがすぐに決まるし本当に楽。
抽象の1を言った後すぐにこっちに話させる隙をくれるのも本当に良い。


人に感情があるので、話を中断するとはやはり士気が下がるだろうしそれによって人間関係的な被害を被る可能性は十分にありうる。

うーんそれでもなお、自分がリーダーシップをとって抽象の1をキャッチボールするよう促すように、スライドや図などを使って会話を導いていったほうが良いのだろうか…




話は変わるが、研究などで「進捗を出すこと」と「言語化する」という行為は完全に直結(全単射)してるように思える

言語化しなければ、どこに集中して文章を読み進めてその中から何を抜き取るかが明確になりづらく、自分のアウトプットを出すまでに時間がかかるようになる。

何をするにしてもまずその前に目的を言語化する。(研究やエンジニアリングならば、それに対応する数学形式を構築すること。)
本質的には常に思考を外部の媒体に言語化できればこの上ない。脳波でやりたいね…
最近GPTと話すことが多く、この効用は言語化する機会を増やしてくれたことにあった。完全なる心理的安全性を確保したメンターかつコーチとしての役割が最大の効用だと思っていたが、実際は「言語化しなければ何も生まれない」ということに気づかせてくれたことの方が大きいと感じた。



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