日記0717
初めて自分でゼロからShaderを書いた。
なぜこれほどShaderという魔術に惹かれているのか考えた。
それはすなわち、表現を作る過程の行為が非常に工学的であるからに他ならない。
つまり脳内でイメージした表現を全て空間上の数値に置き換える。そしてそれを実現するための場の生成を数学的に構築する。
それらを発散しないように、意図した通りに動かす、状態遷移などを加えオートマトンの機構を作る。
これらの過程では制御工学、形式言語とオートマトン、集合論、数学の知識を用いる。このような、形式に対して意味づけをして脳内のイメージを現実世界に全単射するこのプロセスが私の心を掴んで離さないのだろう。
制作過程ではただ形が機械的に動いてるだけのように見えていたのが、徐々に自然に映り始めて、やがて人が美しいと感じるようになる。
この不自然が自然に変わり美しさへ昇華する過程を自分の手で経験できるのは、まるで我が子の成長を見られたような感覚であり、とても誇らしい気分になる。
「形式に対して意味づけを行い、それを適切に連結させて目的を達成する」という行為はエンジニアリングの本質であると思うし、抽象的であるので、この思想や思考自体は任意の事柄に転用できる。
大学に入ってどうしても資本主義の合理性を気にせざるを得ない環境や空気感に晒されてる自分の身からしても、この事実は救いとなってくれる。
資本主義の目線から評価を行い、それによって見下し、溜飲を下げるような己の自尊心のことにしか興味のない連中らが蔓延る世の中に抗う手段としてアートを続けたいし、さらに「ものを作る」という行為によってそういった世の中を自分の手でもう少しマシにしたい。
今後の目標は音楽との同期を目的としたblenderやUnityなども含めたグラフィック表現を作りたいです。
最近はアメリカやフランスや中国でも資本主義の限界が見え隠れし出して、ここ10年で今の秩序や社会が一気に崩壊し変化するような予感を日々感じる。
この感情は誰にも共有できない、共有したとしてもどうしようもない。
この行き詰まった感覚をどう処理して生きていけば良いのか最近わからなくなっている。
それに対する一縷の望みとして世界全体が幸福になるようなものを作るという行為に思いを寄せている。というかそれくらいしか生きる意味が見出せない。
だからこそエンジニアリングは自分にとっての宗教であるし、「モノを作ることで自分の周りだけでなく世界を幸せにする」という思想はみんなが持って欲しいと思うばかりだ。
追記:
よく成功してる人が「自分の身の周りの人は幸せにしたい」と言ってるのをよく見かける。だが、それはすなわちそれ以外の人々は貧困になろうが、死のうがどうでもいいということの裏返しであるように思えて、その人の浅ましさを勝手に感じ取ってしまう。
そんなに頭いいのになんでお金儲けに走るの?なんで周りしか助けないの?とかそういう感情がずっと頭の中で反芻する。
せめて自分はそうはならないように生きて死にたい。