ビブリオフィリア
昨日、夜遅くまで『男はつらいよ』を観て、明日は土曜だから、目覚し設定はOFFにしてさ、カーテンも思いっきり閉めて、ぐっすり寝た訳だ。もちろん、冷房もつけっぱなし。お陰様で、目覚めは十一時半、二度寝する程に眠気は無くて、ベッドから出る程の元気も無い。枕元に置いてあった『スプートニクの恋人』を手にとって読む。1章分読んで疲れてしまって、冷蔵庫から"阿蘇の天然水ペッボトル2L"を手に取って、コップについで飲む。寝ている間に失われた水分が体中に行き渡って僕の脳味噌がようやく、朝日を浴びた。体は目を覚ましてないけど、脳味噌は目を覚ましたので、ベットに寝転んでまた、『スプートニクの恋人』を読む。あと、100ページほどで読み終わる。時計を見る、まだ1時間も経っていない。やけに目が充血して、こめかみが痛い。あぁ、そうだ。昨日、眼薬せずに寝たせいだ。眼薬どこにやったけ?、あぁ、そういえば、昨日、学生証無くしたんだった。まぁ、家の中、リュックの中を注意深く探せば見つかるはず、そうであってくれ。1ヶ月前に無くしたアパートの鍵は、何故か1週間前、生協の方から連絡があって、「昨日、保健センターの受付横の椅子に落ちてあったよ」と言われた。あれ、僕が無くしたのは、1ヶ月前なんだけどな……。てな事を思い出しながら、本を読み進めていると、本の内容がどうやら、ちゃんと頭に入ってなかったみたいで、さっきまで読んでた物語が、全く意味分からなくなってきた。昨日の、実験の解析みたいだ。なんの為か分からず、試料を作って、なんの測定か分からない分析装置を使って、得られた測定結果を、エクセルでマニュアル通り測定して、意味の分からない散布図を作って、よく分からないものを導出した、その時のゴチャゴチャした脳内と同じだ。もう一度、3ページくらい戻って読み直す。本の世界に僕自身が溶けていくように没入していく。村上春樹の文章は、情景描写が上手い。一度も行ったこともない、ギリシャのとある島の景色が鮮明に僕の脳内に浮かび上がる。水平線の彼方まで続く海、日没近くの太陽は、水色の海に食われるかのように沈んでいく、海面付近の空は、紫色に染まっていて、まるで紫キャベツを絞って得られた染料をキャンパスにベタ塗りした絵画みたいに。どんどん、僕は本の世界に入っていく、沈んでいく。気づいたら、最後のページ。最後はこれまた、村上春樹らしい、人によっては解釈の異なる終わり方。読み終わったあと、本を閉じ、ベッドの上であぐらをかいて、脳内で最後の文章について思考を巡らす。自分なりの解釈を導き出す。他の人は、どう解釈したのか気になって、notionで”スプートニクの恋人 感想”と調べて、7つくらいの記事を読む。自分と同じ解釈をしたものにだけ、”スキ”を送る。それから、数分間のネットサーフィンをしていたら、スマホに通知が来た。
〈Weathernews、今日の熊本の天気〉
あぁ、そうだ、一昨日から、洗濯物を干しっぱなしじゃないか、早く取り入れないと。ベッドからようやく離れて時計を見る。十三時半、あ…もうこんな時間、食堂は、十四時には閉まってしまうじゃないか、急がなくては。僕は急いで、ズボンと上着をテキトウに取って着替える。テキトウに歯磨きもした。顔は洗ってない。スマホと自転車の鍵、アパートの鍵もポケットに入ってる。急いで、玄関のドアノブを押して開ける。物凄い日差しが僕の目に真っ直ぐに突き当たった。眩しい、そう思った直後に、蒸し暑い空気が僕の体中を覆う。体が重く感じる、しかし学食を食べねば。まるで人質のセリヌンティウスを助けるべく、まっすぐに王のいる城に突き進んだあのメロスのように、僕は文系食堂へ自転車を立ち漕ぎで向かう。そこには、人質のセリヌンティウスは居ないけれど、僕の大好物の、"ジューシー鶏カツオーロラソース"が待っているのだ。食堂に着いた頃には、僕は汗ダクダク。お目当ての鶏カツオーロラソース、小鉢を2つ、ライス中盛、味噌汁を選んだ。会計に並ぶ。
店員「750円です」
僕「ミールカードで」
そう言って僕は、左ポケットに手を伸ばす。
しかし、それはスマホと違った感触だった。ポケットから”それ"を出して、僕は”それ”に目を向ける。
”それ”は、スマホではなかった。僕がスマホと思って、急いで左ポケットに入れたのは、『スプートニクの恋人』だった。
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