フー?ダシガラットの日常②
手入れの行き届いた花壇に揺れる大振りの花が閑静な住宅街に色を添える。芝生鮮やかな前庭に建つ立派な犬小屋を見るだけでも住人の格の高さは分かりそうなものだが、そこが新進気鋭の「テゥゼント商会」を一代で築き上げたミューティオ・テゥゼントの私邸だと聞けば、むしろそのささやかさに驚く手合いの方が多かろう。
「でも、本当に珍しいわね。フーちゃんがこうして遊びに来てくれるだなんて。」
「たまにはタカりに来たってバチ当たんないでしょ。昔のよしみだ。」
「いつだって歓迎よ!お茶菓子はクッキーでいい?」
「施しに注文つけて悪いけど、煎餅とかない?今甘いモン腹に入れたら胸焼けしそう。」
何せ今しがた散々"喰らった"ばかりである。目の前の幼馴染とその旦那のノロケっぷりを。
全くこの女ときたら、30超えて独り身の友人を前にして遠慮をするということがない。自分がいかに旦那に愛され、かつ愛しているのかを、あの手この手で見せつけようとするかのようだ。
最も、アタシも別に独り身である事を今更嘆いたりはしない。天才科学者フー・ダシガラット様の圧倒的科学力について来られる男がこの世のどこにもいないのだから仕方のない事である。日輪は常に一つ……。
「……フーちゃん、これ良かったら。うちの売れ筋、『恋の叶うペンダント』って評判で……」
黙って受け取る。質草にでもしようという魂胆だ。他意はない。
「ご覧の通り。私は今、とっても幸せよ。」
また始まった……と思わないでもないが、不思議と嫌味に感じないのは人柄だろうか。アタシと顔を合わせるたび、まるで何かの儀式のように、彼女は自分の幸せを披露してみせる。
「素敵な人と、運命の出会いをして。小さな教会で、結婚式をあげて。」
人柄、人徳……或いはそこに、アタシが何らかの切実さを感じているからだろうか。
「かわいい娘に恵まれて。暖かい家庭を持って。」
まるで義務のように。大切な誰かとの約束を果たしているかのように。
「夜が来て、朝が来て。繰り返される、安らかな日々。」
その正体を、アタシは知らない。ただ、古くからの親友の幸福を、素直に好ましく思うのみだ。
そう、アタシは知らない。その筈だ。
「……全く。アンタらの式には出席しないで正解だったわ。きっと空気に当てられておかしくなっちまってたところだ。」
天使のお通りとは、まさにこの様な「間」の事を指すのだろう。瞬時に凝った空気の冷たさはとてもその語感にそぐわぬものであったが。目の前の親友は、よく見知った柔らかな笑みをその顔を浮かべたままだ。
「……おかしく、なっちまえば良かったのに。」
冗談めかして深める笑みにアタシも空笑いを返して見せるが、それで空気が弛緩することはない。
「……フーちゃん、忙しかったんでしょう。どこにいるかも分からないから、招待状も送れずじまいで。」
「そうそう。忙しいみぎりでね。ダシガラット・アカデミー創立の為、ケントニャスを西東。」
マーラのアホは置いといて、魔術師ギルドは悪魔研究の第一人者ウラエスター・モラウリー、レギコザインは法王庁御用錬金術名家プリンシパリティーの御曹司等、そうそうたるメンバーを講師陣に迎えるにあたってはそれなりに苦労をしたものだ。東奔西走、親友の人生の一大事に駆けつけるいとまも無かった。
時系列的に無理はない。辻褄は通る。……まだ、吞み込める。
「ノルちゃん、だっけ?良い子みたいね。街でよく見かけるわ。」
彼女の表情は動かない。
「男を二人も従えてさ、仲良し三人組でいつも楽しそうに……ガキの頃のアタシらを思い出す。アンタも商売が軌道に乗るまでは相当な苦労があったろうに、よく屈託もなく育てたもんだよ。まっすぐな愛情を感じる。アンタらしい……」
「ノルちゃんは、いい子よ。とっても良い子。本当に可愛い、大切な私の一人娘。……食べちゃいたいくらい♩」
貼り付けた笑顔に殺気にも似た迫力が滲む。
「でもね、違うの。そうではない。私は何も出来なかった。何も……出来なかったのよ。」
それが澱の様に積み上げられた強い自責の念である事に、アタシは気付く。
「ただ……あの子は、出会って、繋がってくれた。私がどうしても行かせてあげられなかった学校というキッカケも借りずに。この街で、たくさんの人たちと。かけがえのない、友達と。それに……」
沈黙。逡巡。伏せた目を持ち上げ、柔らかな双眸はアタシを捉える。まっすぐに。
「……とても、優しい人がいたの。きっと、その人があの子の"はじまり"。」
「そうか。アタシも、挨拶くらいはすべきだったかしらね。かわいい一人娘と遊んであげたことが一度もないんじゃ、親友の名が廃るってモン。」
彼女の表情は、動かない。動かない事が、かえって雄弁でもあった。
ミューティオ・テゥゼントといえば「百面相」で知られている。ある時は貴族然としたたおやかな淑女、またある時は粗暴とも思える逞しい女商人の顔を変幻自在に使い分け、社交界の花からタフな交渉人、頼れる女社長の全てを完璧に演じ分けることによって、過酷なモナーブルグ商業界で確固たる地位を築いてきたのだ。ブラフ、誤魔化し、煙に巻く。いずれもお手の物に違いない。つまり……
「……大変だった、って、聞いたわ。あの子が生まれた時。ひどい嵐だったんだってね。」
柔らかな微笑み。それを崩さない事が、今の彼女の精一杯であるのだろう。
「優しい、人がいたのよ。」
会話はそれで終わった。
ミューティオ。彼女にはかつて別の名があった。シンシア・ドナースタークという名が。
彼女がいつ自分のファーストネームを改めたかは知らない。しかし、彼女の幼少期を知るものであれば、「ミューティオ」という響きには複雑な感情を覚えるはずだ。
彼女の「百面相」は、複数の人種的特徴を同時に併せ持つ類まれな身体によるものだ。いかなる遺伝子の悪戯か、まるで表情を変えるかのように、種族の壁を超えて顔や声音を作り変える事ができる。今でこそ商才を支える武器として昇華されてはいるものの、幼い時分の彼女にとって、それは苦しみの源でしかなかった。
思慮分別の無い連中の物言いを借りるならば、
曰く、「まざりもの」。
曰く、「奇形種」。
曰く、「不義の子」。
そう囃し立て、彼女をいじめる悪ガキどもを、何度蹴散らしてやったか分からない。にも、関わらず……
ミューテイション。突然変異。
自らの特異性を殊更に強調し嫌が応にも想起せしめるミューティオという名に込められた自虐と露悪。そのセンスは、彼女自身の気性には到底そぐわないものではないか。
そう、それはむしろ、
フー・ダシガラット。「何者かの出し殻」を名乗る、友の在り方に寄り添うような。
アタシの名はダシガラだ。
では、アタシはいつからダシガラなのか。
誰の"出し殻"であるのか。
──優しい、人がいたのよ。まるで、貴方のような。
そいつはアタシではない。……何故、アタシではない?
***