あなたがわたしを忘れても:RE①

目次

ちぎれた世界の白ははらはらと踊る。あたかも飛び立つ海鳥のように。

「――あなたは、フー……、」

それは紙片。それは頁。文字、記述、記録。そして記憶。

「……ダシガラットさん。」

しんしんと降る追憶を透かして、天を射落とさんとする赤と青の視線。

「あなたに会えて良かった。」

どことも繋がれなかった昔語りは祈り、或いは懺悔めいて。訥々と。

***

「……改めまして、お会いできて光栄です。ええと、フー・ダシガラットさん。科学者でいらっしゃるとか。」

「"悪の"科学者ね。大事なトコよ、神父さん。」

お口に合えばよろしいのですが、と差し出すティーカップには上等な紅茶。不法滞在を悪びれもせず、居直るばかりか威圧までしてみせる不審者を前にして実に鷹揚な事だ。

「どうぞお気になさらず、無理もない事です。まさかこんな森深くの……ふふ、廃墟に。持ち主が現れるなんて誰も思いませんでしょう。」

少々予定を繰り上げすぎました、と人の良さそうな顔をほころばせる。近々改装が入る予定でもあったのだろうか。そういえば、「ウェーテルモナー木工所」の若い衆を森の中で見かけた事があった。まさかこの廃墟を目当てにとは、私も思いが至らなかったが。

かつて聖堂であった事を伺わせるのは、くすんだステンドグラスに掲げられた朽ち傾いた十字架のみ。既に落ちかけた日の光は鬱蒼とした森に阻まれ窓から差し込む事はない。どこから取り出したものか、頼りないランプの灯りが私の分厚い丸メガネを照らしている。

「わたくしと彼女の二人には、少々広すぎる様子です。貴方さえよろしければ、これまで通り使って頂いても……」

「私がココを"何に"使ってるか知ってるの?」

ぴしゃりと遮る。大八車の裏に隠れるようにして縮こまる"彼女"が耳をそばだてなくても聞こえる程のボリュームで。私は苛立っていた。

「アンタの……信仰に、もとる行いかもよ?」

頃合いの拠点だった。あの森よりも街に近い分動き易く、地下室の状態も良く精密機材の組み立てに向き、何よりウサギや子供達の目をはばかることが出来た。正確に言えば、私の《左眼》が見つけたのだ。そういう物件を。

邪魔は入らない筈だった。それを曲げてまで現れたということはつまり……この二人はそこそこ「肝いり」の運命であるらしい。

――母親と暮らすささやかな幸せ、それを与える事の出来なかったあの日の小さな後ろ姿が、閉じた左瞼の裏を苛む。世界はこの《石》が「まがい」であることを、執拗に思い知らせずにはおれないらしい。……ウンザリだった。

この神父本人に罪はないが、世界を語ろうとする《意志》を持つもの同士、その理の穴を指摘するのは無粋ではあれ全くの筋違いと言うわけでもあるまい。
此方はネタを一つ潰されているのだ。


「ねぇアンタ、神様を信じる?」

私は彼に背を向け眼鏡を外し、

「信じるものは救われるって、心の底から信じてる?」

朽ちかけた十字架を睨みつけた。まるで挑むかのように。

「"全知全能"、"全ての始まり"、"ありとあらゆる者たちの親"。それなのに、」

振り向いて目を細める。左右で違う二つの色。左の瞳は怒りに燃えて、右の瞳は嘆きに濡れて。
口元に浮かべるのは、全てを諦めたような笑み。
それでいて尚、見る者に頑なな意志を叩きつける。

「信じる者しか、救ってくれないなんてさ。」


「はい、わたくしは、神を信じております。」

居住まいを正し、まっすぐに答える様子はこの手の論争に慣れ親しんでいる者の様子だ。元は学者か。

「科学者である貴方にとっては、神秘を……殺す事こそが生業でらっしゃることとは存じますが、」

あくまでも理をもって、こちらの土俵で四つに組もうという姿勢が伺える。相手を打ち負かす事を目的としない紳士的な論戦を展開し、後ぐされ無くお茶を濁そうという腹か。

「思うに、信仰と科学とは、必ずしも相反し、矛盾するものではないとわたくしは」

「そういうカビの生えた議論をしようってんじゃないんだ。」

生憎とそうは行かない。

「……美味しい"ニラ茶"、ありがとう。コツを知ってるっていう淹れ方だったわ。」

表情に軽い驚き。畳み掛ける。

「大八車に荷物はその子だけ?ずいぶん軽装かと思ったら、帽子の中に"四次元ポケット"仕込んでるのね。どう?帽子の手品はその子にウケたかしら?」

「貴女は……そうですか、貴女も錬金術を。」

あからさまな敵意を受け流し微笑む余裕は既に無い。

「科学者が錬金術に通じているのがそんなに不思議?アンタ程じゃないでしょ。錬金術を知る聖職者、なんてさ。」

「錬金術が異端とされたのは遥か昔の話です。教皇庁御用錬金術の名家・プリンシパリティはその代を重ねますます隆盛を誇っています。ギルドとの連携も密に……」

「外様に外注するのと、聖職者本人が錬金術師になるのとは事情が違う。……アンタ、"壁"を超えてるだろ。」

スカウターを使うまでも無い。滲みはじめた動揺は、自己の存在矛盾を自覚する者のそれだった。

「ならアンタは知ってる。神は居る。存在する。この世界はそういう風にできてるって。」

二流の壁、一流の壁、選ばれし者の壁。どの道にも存在する能力の位階。
繋がりの力を行使し、世界を俯瞰する視点を持つ錬金術師の内、ある一定の水準を超えた実力を持つ者たちが、望まずとも自覚してしまう真実がある。

スレ、板、読み解き書き綴る者。
この世界のほんとうの形。

「アンタは"知ってる"。神は居る。天国があるかは知らないけど、……地獄ならある、って。」

どうやら反論は無いようだ。目を剥くほどの驚きは、欺瞞を看破された事によるものだろうか。

「地獄――《DATの海》。忘れ去られた者たちの行き着く終着点。世界に対し、神に対し、『忘れないで』『捨てないで』と嘆きながらその身を灰に返してゆく責め苦。……ねぇ、それって一体何の罰なのかしら。彼らが一体何をしたというの?ただ世界に生み出され、神に見放されたというだけで。たまたまどこにも繋がれなかったというだけで。」

彼は答えない。私の背後、十字架から目をそらすように俯く。

「救われるのは、ごく一部。神に愛され、うまく繋がれた幸運な人々だけ。神"が"信じ、愛する者のみ。……救われる?本当に?」

その表情はうかがえない。小さく震える肩。

「人は忘れる生き物。どれだけ恋い慕い焦がれた想いと感動も時の流れの前には無力。物語の供給は加速の一途、媒体の多様化と取捨選択の効率化は忘却への道筋をどこまでも短く舗装してゆく。個々の世界はより小さく狭く、彼我の壁はより強固に高く、今や、繋がりなど誰も求めない。永遠無限など、ゆめまぼろし。
……この世界を取り巻くミーム、その総てが、かの《海》に堕ちる日は必ずやって来る。遠からず。」

怒りに燃える左眼が炯々と輝く。答えに窮し黙り込むその様がどれほど哀れみを誘おうが、許しはしない。

「私たちみんな、生まれた時から地獄行きを宿命づけられている。《DATの海》という地獄が設定されたこの世界に産み落とされた、その瞬間に。そんな知れ切った末路にすら思いを致さず、一時の熱に浮かされ好き勝手に生み増やして手前勝手に死んで行く、それが私たちの……アンタの神。私たちを取り巻く揺るぎないクソッタレの現実よ。
ねぇ、神父さん。もう一度聞かせて?」

右眼を濡らす嘆きを失望が上塗りする。私の《意志》はこの程度の運命すら曲げられないのか。

「アンタ、神様を信じる?信じるものは救われるって、心の底から信じてる?」

「――わたくしは、」

絞り出すような、震える声。

「わたくしは、神を信じております。わたくしども、全てを救って下さる……」



「……あー、ごめん。」

張り詰めた空気が弛緩する。私は眼鏡を掛け直し、頭をかきかき吐き捨てる。

「まぁ、色々あるんでしょ、事情が。アンタ、悪徳って感じでも無いしさ、なんか気苦労多そうだし。板挟みになって大変なんじゃないの。」

大人気ないことをしたものだ。別にこの神父──登場人物をいじめた所で何が変わるわけでもないというのに。

「地下、使わせて貰ってるけど、すぐ片づけるから。」

言いながらドアまで歩き、

「――わたくしは、信じています、神を。……信じているのです、……」

扉に手をかける。繰り返される呟きに私が振り向く事はない。ここにはもう、私が心動かすに足るものは何一つ残っていない。


「……錬金術が、ただ現状を追認する為の、諦めのためのすべでは無いと。」


「何……?」

扉から手を離す。男を見る。

「何だって?」

「錬金術は、持たざるものの杖です。無力な我々が、縦と横とのつながりをもって、世界を味方につけるための術。優しい嘘、ちゃちなペテンにすらも、力を与えることが出来る……」

――誰だ、コイツは。つい先程まで私が責め、詰り、それに俯く事しか出来なかった哀れな男は?

「わたくし達の生殺与奪を握るのが全能不滅ならざる神であり、救いなど望むべくもない……あなたの言うその『くそったれな現実』を、ちゃちなペテンで上書きする事だって、きっとできる。」

自分の事を「教会の神父さん」などと名乗り、さも人の良いステレオタイプな街中の一司祭然として振る舞おうとする男はどこへ行った?

「全てを救う神など、ゆめまぼろしであるならば。それに手を伸ばしてこその錬金術師ではないのですか。」

持ち上げられた両目に宿る光は狂気じみていた。それが聖職者のものであろうものか。

「……結果として現われ出でたるが、"機械仕掛けの誂えられた神"であったとして、救われる立場のわたくしたちにとり、一体何の不都合がありましょうか。」

世界を"騙ろう"とする、錬金術師の目だ。


「……何て言った!」

腹から湧き出る堪え切れない感情は、私の顔をさぞ凶悪な笑みに歪めていた事だろう。

「『神が居ないなら作ってくれましょう』、だってェ?信仰者が……?」

意図せず喉が震える。ああ全く、腹が痛い。

「藪もつっついてみるもんだ、どんな愉快な蛇に噛まれるかわかったもんじゃ無い!この嘘吐きのペテン師め、何が『神を信じる』だ。……手ずから作るだと?聞かせてみろよその絵空事の内訳を。」

「確かに《DATの海》は黎明期の名作『世界制服をたくらむモララー』に端を発し複数スレッドに渡って引用された、板にふかぶかと刻みつけられた強固な設定です。しかし、結局は過去作からの引用……錬金術によってかたちづくられた設定の一つに他なりません。錬金術によって、太刀打ちできない道理がありましょうか。」

まるで歌うように滔々と。語る程に熱を帯びギラつく目は楽しげでさえある。

「錬金術による設定の"強度"について、あなたは如何にお考えですか?」

返答を保留し続きを促す。きっちり三秒待ってから始まる立て板に水。律儀な奴だ。

「わたくしは『説得力』にあると考えます。『過去の名作からの引用だから』《DATの海》は強い説得力を持つわけです。節操のない神…参加者が為に無軌道に膨張してゆく参加型スレッドの状況を揶揄し、牽制する意味合いでも実に有用、腑に落ちる、それ単体でも優れた設定……でもね……すべて、すべてあなたのおっしゃる通り……破綻してるんです!」

鼻息荒く詰め寄って来る。ちょっとキモい。

「突き詰めて考えれば、こんな馬鹿げた話はない!生まれた時から地獄行き?誰が納得するというんです!いえ誰がしようが関係ない、わたくしは絶対に認めない!」

つばが飛ぶ。ばっちぃ。

「《DATの海》はその性質上、総ての過去ログの集積場です。そして錬金術は、時空を超えた繋がりから力を借りる術――つまり錬金術の視点から見れば、《DATの海》を、素材に溢れた豊穣の地として捉えることも可能なのでは?」

まるでダムの決壊だ。己の内にわだかまった"理"と"想い"のたけを高らかに歌う喜び。

「『世界制服をたくらむモララー』から幾星霜、わたくし達はついに錬金術を得ました。第四の壁に干渉し、自らに迫る破滅を知った……そして、その錬金術こそが、定められた破滅を打ち破るための唯一の鍵、わたくし達にもたらされた福音なのです!」

切られた言葉の残響が、朽ちた聖堂に長く響いた。十字架を背にした男は息を整え、静かに言葉を選び出す。

「ダシガラットさん、わたくしは、神を信じております。わたくし共すべてを、お救いくださる。」

まっすぐに私へと届く男の両目の光。
ありうべからざるものに手を伸ばす、ギラつく狂気。聖職──人々を教え導く立場の者にはふさわしからぬ激しい衝動。

「救いの存在しない筈の地獄、《DATの海》の底に、救いをみいだすこと。
それこそが、わたくしにとっての、」

しかし、或いは。

「わたくしの信じる神の、存在証明なのです。」

時にそれは、"信仰"と呼ばれるのかもしれない。


「……全てを救う神は存在する。だから地獄にも救いはある。"わたくし"が見出す。存在する"事にする"……、ねぇ。
成る程、確かにそれは『神を作る』というに足る、大した発想だわ……」

私は返す。堪え切れぬ笑みを満面に浮かべ、

「……そのお花畑加減もなァ?」

そこに力いっぱいの嘲りを乗せて。

「気が変わった。やっぱり地下、しばらく借りるわ。……アンタの全てを否定してやる。」

決して届かぬ理想。成し得ぬ奇跡。この男は一体どこで筆を折るだろう。大言壮語のツケをどう支払うだろう。考えるだにゾクゾクする。一柱の神が擁する主人公、私の行く手を阻んだこのネタがどんな無様な末路を辿るか。

「理論も、想いも、何もかも。念入りに。」

全てを否定し、否定し切って……そしてそこに一握でも何かが残るとしたら――

「何故なら私は悪の科学者、フー・ダシガラットだ。」

――万に一つも、あり得ないけど!

口元に浮かぶ諦めの微笑。常より口角が上向きなのに、きっとたいした意味は無い。


「……それは、共同研究をして頂けるという意味に受け取らせて頂いても構いませんでしたでしょうか?」

ふと、気付けば男の息が荒い。

「は?」

「いえ……わたくし、わたくし……」

ギラつく目は迫力を増すばかりだ。呟きつつにじり寄ってくる。

「……ずっと、ゴルテナの……神学校の中に居たもので……このような持論を……開陳する機会もまるで無く……」

思わず距離を取る。相当に気持ちが悪い。

「貴女のように……は、『話のわかる』おかたに出会えた事、初めてでっ」

「待て待て待て寄るな離れろ」

「この感動ッ!錬金術のわかるおかたとの語らいッ!嗚呼!素敵過ぎる!さぁ今から朝まで語り合いましょうあの《海》に朝をもたらすその日まで!」

「寄るなーッ!!」

コイツ、最初押し黙ってたのは単に感極まっていただけか?
少なくとも、寝床は別に用意するべきかも知れない……


想定外の男の勢いに不覚にも押されてしまった私には、二人の会話を一言一句聞き漏らすまいと耳をそばだてる小さな影に気を向ける余裕は無かった。

その影が硬く握り締める、鈍い刃物の輝きにも。

***

次話

#しぃのアトリエ #AA長編 #小説

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