戦え!ダシガライダーピンク!②
ライダーキックが影を蹴散らし、ソーリーヘッドが闇を焼く。
わたしたちを取り囲むのは、"影"としか言い表しようのない敵意の塊。人型を取り行く手を阻む。しかし、ハリボテの戦闘服に身を包んだわたしたちは本物のヒーローさながらの快進撃を続けていた。
ここは「DATの海」と呼ばれる不思議な場所。なんと、「(わたしたちが普段住むところの)地上」の価値に十倍もの値が付くらしい。海岸の街で、あの神父さんがお大尽さながらの豪遊をキメていたという情報も得ている。許しがたい。
……それはともかく、「地上」ではハリボテに過ぎないわたしたちの戦闘能力も、長年ショーとして積み上げてきた経験と実績は、この海に於いては十分な実力として認められるのだという。どころか、ライダーさんなんかはオフの日は蚤の市で悪党狩りをしてお金を稼いでいる腕自慢だ。パンチのキレも闇に鮮やか。
「……これだよ、これこれ!こういうのがやりたかったンだよオレは!こんな風にエキストラたくさん雇ってさぁ!」
人型を取る影は、見ようによっては"悪の戦闘員"にも見える。特撮ヒーロー物に無くてはならぬ第二の主役、縁の下の力持ち。
「すまんな、いつもオレ一人ばかりが敵役で。恨むなら自分の稼ぎを恨め。」
謝りつつ繰り出すソーリーヘッドバット。ソーリーマンさんの必殺技だ。普段悲観的で消極的な彼もノリに乗っているようだった。
わたしも闇にチョップを繰り出す。吹き飛ぶ影。ちょー気持ちよかった。拳を固め見得を切る。
「しかし、キリがないな。先に体力が尽きたらすまない。」
ソーリーマンさんが言う通り、わたしたち四人を取り囲む影の層は厚みを増しているようだった。一人蹴散らす毎に二人が立ち塞がる。このままでは……
「上等だぜ!ピンク、スマン、オレ達ならやれるさ!ピンチを乗り越えてこそ、ホンモノのヒーローだ!」
ライダーさんの言葉にうなづく。わたしたちならやれる。そして、ハリボテではないホンモノの特撮ヒーローに……
「頭に乗るで……ないわッ!」
背後からの風圧と怒号に振り返ると、そこに緋色の伝説が立っていた。
遅れて、周囲の影がばらばらとほどける。伸ばした爪による斬撃だろう。軌跡でさえ見切れなかったが。闇になお明るく輝く白銀の長髪の下、炯炯と光るまなこ。血の色をした。
特撮コスプレ集団であるところの我ら、ダシガライダーショーチームに、実は"本物"が参加している。悪の女首領役、レクティア・ディアベス。齢200を超える真の吸血鬼であった。
「……あンの小僧!わらわに対してニヤニヤニヤニヤと……そんなに可笑しいか!芸事にはげむわらわの姿がそんなに可笑しいか!」
DATの闇より尚色濃い暗色の翼を広げ、宙を舞うかのような高速移動。その軌道に切り裂かれるかのようにして、わたしたちを包囲していた影の群れがなすすべもなく崩壊してゆく。
「わらわだってのう!いつまでも居候の隠居生活ではならぬと思うて!たまにはかわゆい知己の弟子達に美味いものでも馳走しようと思うて!」
真っ二つでは足りぬとばかりに、翼の風圧に吹き上げられた影を四分、八分と裁断する。残忍なオーバーキル。八つ当たりめいた。
「若者文化にも触れねばならぬと思うて!今の流行りに乗らねばならぬと思うて!」
もはや緋色の暴風だ。わたしたちが唖然と見上げるうち、周囲の影の脅威は形も留めず闇に消え去っていた。
「それをあの小僧め!プリンシパリティの青二才めが!今度会ったらタダでは済まさぬ!」
わたしたちの知らない因縁があるのだろう。思えば、リオンさん一行がモナーブルグにいる夏の間、レクティアさんは「お腹を壊した」と言って教会で行われるショーの打ち合わせをよく休んでいた。リオンさんに、ショーでの姿を見られたくなかったのかもしれない。今日は悪い事をした。
それにしても、この特撮ヒーローショーは別段若者文化では無く、流行にはカスりもしていない事については、いつか誤解を解かねばなるまい。ソーリーマンさんにお願いしたいと本人を見ると既に申し訳なさが後光を差していた。後にしよう後に。
「……ふぅ、それにしてもまったく。おんしらときたらさっそく"誘われ"おって。わらわがいなければどうなっていたことか。」
言葉にハッとして、三人で顔を見合わす。たしかに、わたしたちはまるで理想の特撮ヒーローを演じる事に夢中になっていた。目の前に立ちふさがる脅威を払う、そのこと自体に陶酔し……。
「あのまま続けておれば、おんしら全員、仲良くこの《海》の住民よ。」
過去を装い、生者を誘う死者。その巧妙さに背筋が凍る。リオンさんがわたしたちを評して"無力な素人"呼ばわりした意味がよく分かった。
しかし、偽物だらけの集団に唯一の本物が居たように、唯一のプロもまた存在していた。吸血鬼にして魔力を用いた特殊な錬金術の達人、レクティア・ディアベスその人である。
「おんしら、ここはわらわに任せて早く行け。」
感動して思わず声が出た。ピンチの時に聞いてみたいセリフトップ5には入るであろう、全おとこのこの憧れだ。わたしの中のおとこのこが飛び跳ねて喜んでいる。ライダーさんの目もきらっきらだ。当然、続くやりとりも厳選せねばなるまい――
「……レクさん!そいつは出来ないぜ!アンタ一人でこの群れを食い止められる筈がねぇ!」
くそッ、ライダーさんに先を越された。だが満点だ。にやけそうになる口元を必死で抑えて真顔を作り、言葉をつなげる。
「そうです!わたした」
「阿呆が遊んどる場合かッ。」
怒られた。悲しい。
「……そもそも力こぶ作って真正面から遣り合おうという時点でおんしらの負けじゃ。厄介な粘着には"スルー"が基本。目的を思い出せ。『水底に辿り着く』、ただそれだけを己に言い聞かせよ。最も波が荒れるここ海面近くでも、わらわが矢面に立てば影を無視してゆくことも叶おう。」
ふと気づけば、周囲に再び影の群れ。文字通りきりがないのだ。しかし、だとすればレクティアさんの身も本当に危険ではないか。
「……なんじゃその目は。まさか、見くびっておるわけではあるまいの?このレクティア・ディアベスを。」
緋色の光が闇を圧する。
「《DATの海》……成る程伝え聞いた通りじゃ。陽の登る事のない永遠の黄昏……」
広げた翼は闇より暗く、白銀の髪と白い肌はまるで夜空を切り取る月のよう。
「わらわの領域よ。」
夜に生きる伝説。ヴァンパイア・クイーン。
「……レクさん、すまない!」
ソーリーマンさんの謝罪が呼び水だった。わたしたちは、再び集まりかけていた影の合間を縫って潜行する。
背後に風を感じる。光に誘われる羽虫めいて、周囲で形を成す影はわたしたちに構う事なく浮上していく。
闇一色の視界に、緋色と銀の残像。瞬き毎に刻み込む。水底はまだ遠い。
***
黄昏色の《海》の中で生者としての己の存在を誇示し、主張する。見るものが見れば目を剥くような悪手である。いかなる伝説の怪物とあっても、嘆きと悲しみの空気そのものに押し潰されるのは時間の問題と思われた。
影は時を追うごとに圧力を増し、翼の機動力は遂に用を為さなくなる。十の影を切り裂く一息の間に三十の影が四方に生じ、徐々に斬撃に対応するものまで現れ始めた。
響く硬質な金属音。剣を携えた影だ。爪を弾かれた反動で背後に迫る影を両断し、改めて向き直る。明らかに、有象無象の曖昧な影とは圧が違う。――"わらわ用"に過去を捏ねあげたか。
影の手にしたつるぎは白色に輝いている。まるで陽光が形を成したかの様だ。闇に異色の白光に眉をひそめる。
――鍔元の"サイタマ結晶"から成る光を"スルー水晶"の刀身で制御・増幅。過去、どこぞの錬金術師が、吸血鬼を狩る為に拵えたものだろう。それは誰かが"語り損なった"、過去の残響。語られつくされる事なく世界に無価値と見なされ、今こうして《海》で形ばかりを成している。そして生者に牙をむく。
斬りつけられれば無事では済むまい。光に照らされているだけでも危険だ。しかし周囲を囲む影の圧は尚強まり、更に背後の影が互いに寄り合わさって一塊の巨人を形作り始めた。強い光が巨大な影を成すように。
「錬金魔法(ケミカル・ルーン)……!」
吸血鬼が声と共にかざした掌を起点として魔法陣が展開され、闇を緋色の閃光が走る。
……例えば魔法を使って火を起こしたとして、火打ち石と焚き木を用いて事を成すよりも早く手軽に見えるだろう。"錬金魔法"とはつまりそういうものであり、魔力を用いて必要な道具や工程のいくつかを省略する錬金術の為の技術の事を指す。その性質は等価交換の原則を覆すようなものではなく、利用できる価値が無ければ何を新たに生み出すこともない。当然、得物を構えて襲い掛かってくる相手を止める為のすべでありはしない。
閃光を身に受けた影は身じろぎひとつする事もなく光輝くつるぎをいよいよ高々とかかげ、背後の巨影はその質量を増してゆく。つるぎから放たれる白色光によって遂に吸血鬼の肌が焼かれ始めた。緋色は白に圧され、やがて漆黒が全てを塗り潰す――白光一条。
しかし、崩れ落ちたのは黒い巨人の方だった。
膨れ上がった巨体が白く裂け爆ぜる。吸血鬼の背後、つるぎを振り下ろし残心する影。……否、それはもはや影ではなかった。
「――迎えが遅くなって、あいすまぬ。」
もしも語られ尽くされず、世界に無価値と見なされたなら。
「この《海》でなら、そなたとまた逢えると……信じていたとも。」
ならば、私が価値を認めよう。何度だって語り直そう。たとえ、私一人にとってでも、あなたは価値があるのだと。
「のう、我が夫、レンよ。語り尽くされることのなかった、我が最愛の思い出よ。」
金の頭髪は太陽に似て。しかしその光は闇を焼くことは無い。月を翳らすことは無い。
「――ああ、僕のレクティア。君となら何度でも。」
緋色と白が混ざり合い、闇を鮮やかに染め上げる。最早、黒が付け入る隙はあるまい。
口にするのも気恥ずかしい、歯の浮くような台詞はきっと、いつだってこんな風に、目の前の現実を塗り替えてゆくだろうから。
***