伊勢貝マモルの終活(終)
手に汗握って状況を見つめていた魔王は驚愕と共に、あの女神だけは差し違えてでも討ち滅ぼすという決意を固めた。
地上13階からアスファルトへの落下衝撃だけでは、あるいはマモルの息の根を止めるのに不十分かも知れぬ。しかし制動の効かない空中で守るべきものを抱えた今、いかな勇者といえども暴走轢殺トラックの轍から逃れる術はない。
鮮やかな裏切り、謀殺である。元より無関係の外世界人を害して己が尖兵と仕立て上げるを蚊ほども躊躇しないド外道だ。転生先で記憶や自我を操作し、何食わぬ顔で忠実な手駒に変えてしまうすべの一つも有していないなどと、どうして言えよう。
女神の美しい顔は勝利の確信に輝いている。射殺す視線をそれに向ける魔王にしかし、今この瞬間、状況に介入する手段は何も無い……!
落ちるマモルとコノヨ!迫る地表!猛進する暴走トラック!二人の落下地点を――獰猛なフロントパネルが――キャブルーフが――通り過ぎ、
衝突!マンションのエントランス部が崩落!二人はトラックの荷台に落下!……そこには、
満載の藁束が積まれていた。
◇◇◇
『ほーほっほっほ!んほほほほ!』
藁山から這い出す無傷のマモルを高笑いで出迎えるのは誰あろう、近隣の牧場から家畜用飼料を満載したトラックを「暴走」せしめた女神である。コノヨは気を失っているが、こちらも怪我はない。
『これで私は、マモル!貴方とその想い人の命の恩人!この恩を返したくばもはや大人しく転生して頂くほかはありますまいよおほほほほー!』
完全勝利!と勝ち誇る女神と、全てを諦め放心した様子の魔王を交互に見て、マモルは頭を下げる。
「マジで助かった。二人とも、ありがとうございました」
女神はフフンと胸を張る。魔王は力なく笑う。マモルは未だ目を覚まさぬコノヨに目を向ける。
「……しばらく、時間が欲しい。いろいろ整理する時間とか」
――爺ちゃん。まっつぐ生きてきて、ようやく一つ。やっと一つだけ掴めたかもしれない。爺ちゃんは、嘘つきじゃなかった。だから……もう良いよな。
マモルは既に、覚悟を決めていた。
◇◇◇
「つーわけで世界平和だ。どうだ文句あるか」
傷だらけのマモルの前には、釈然としない様子の女神と、滂沱の涙を流す魔王が並んでいる。
《ニールカーン》に転生したマモルはまず、女神の領地を荒らす魔王の軍勢を残らず叩きのめし、次いでこれ幸いと魔王の首を挙げに押し寄せてきた女神配下の武装勢力のことごとくを打ち払い、両軍に強引な終戦を押し付けたのだ。
「俺は魔王にも世話になった。転生を飲んだ時点でお前との義理は果たした。外様の人間に戦争の解決なんか押し付けたんだ、一から十まで思い通りになると思うなよ」
「……ちっ。こんな事なら洗脳魔法でも編み出しとけばよかった」
「マモルさん……!ありがとうございました!この御恩は一生、一生……!」
「そんじゃま、あとはよしなにやれ。どっちかが勝手しやがるようならまたいつでも呼びに来い。コツはもう掴んだ」
コツ……大体地上6階部分から飛び降りて後頭部を地面に打ちつければ、現世での肉体を殺し切らずに転生が可能であると分かった。いわゆる幽体離脱的な状態とでも言おうか。死ぬ気になればやってやれないこともないものだ。身体の方はマモルの自宅で寝ている。
「本当に、戻ってしまうのですね。……異世界はお気に召しませんでしたか」
「これ以上居ると情が移りそうなんでな」
ふてくされていた女神は、マモルの言葉に意外そうに眉を上げ、小さく笑う。
マモルは戦った。女神のためでも魔王のためでも、己の"まっつぐ"のためでもなく、ただ目の前の人々のために戦った。正しさは交錯しそこに絶対は無く、時に間違え行き過ぎ裏切られ、マモルは多くの者に憎まれた。それと同時に多くの者に慕われ、愛してもらうことができたように思う。
彼にとっての「現世」よりよほど濃厚な世界との繋がりはきっと、あの日彼女から教えてもらった新しい生き方が自分に備わったからに違いないと、マモルは思う。それをひとまずは生き切った。だからもう一つの世界でも、できるかどうか確かめてみたいのだ。彼女と同じ戦場で。
「勇者マモルよ、貴方の帰還を認めます。その道行に祝福のあらん事を」
「おう」
「マモルさん!お気をつけて!魔王は……魔王はいつまでも心の中に!」
「またな」
光に包まれ、意識が遠くなる。重力が消失し、次いで何かに強く引き付けられる感覚。懐かしい匂いを嗅いだ気がして――ふつりと途切れる。
◇◇◇
「ま、これくらいはサービスの範疇という事で」
「当然である、この魔王に抜かりはない!」
「あなた口調や振る舞いの一貫性とか少しは意識しては?」
◇◇◇
体が重い。次いで絶望的な空腹を覚える。それはそうだろう、もう何日寝たきりなのか。一応、魔王が中心となり最低限の栄養補給他、植物人間状態の肉体の生命維持をしてくれたというが……呻きながら体を起こすと、目が合う。
「おかえりなさい」
コノヨであった。
膝を揃えて煎餅布団の傍に座り、冷ややかな……恨みがましい視線でまっすぐマモルを見つめている。
それはそうだろう。勝手に他人の自殺を止めておきながら2、3言葉を交わした後で姿を消し、どこへ行ったかと思えばこうして自分が死にかけているのだ。衰えた体はまだ布団に根を張り、マモルには身構えることもできない。
いまにも文句の数十は飛び出そうかというコノヨの口元が、ふっとほころぶ。視線はまっすぐマモルに向けられている。まっすぐに。
戦いを経てきた戦士の目だった。一つの世界の存亡をかけたマモルのそれと比してもなお、何ら遜色のない過酷さをしのばせる――戦い続ける、勇者の目をしていた。
低血糖に喘ぐマモルの頭は状況打開の筋道を探しあぐね、ぐるぐると回る思考は過去へと向かう。あの日女神にそそのかされてから、ずっと温め続けていた言葉があった。マモルはやっと、それを絞り出す。
「あの、とりあえず今度お茶でも、いかがですか」
【終わり】
Illustration by しゃく◆wSSSSSSSSk
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