幕間:トリスメギストス暗黒円卓会議
「……うん、今日、郵便配達のお仕事お休みだったからさぁ、お部屋でだらだらしてたんだけどね。そう、アトリエCの二階で。」
営業時間外のBAR.タカラギコの奥まった一角。節約の為か、最小限の蝋燭はいかにも覚束ない。
「シーナさんはお店に立ってる筈で、ツーデルくんも留守にしてたから、二階はもぬけの空の筈で。キッチンにおやつ取りに行ったんだよね。……そこで偶然、聞いちゃってさぁ。」
丸テーブルを囲む四つの影のうちの一つ。肩を狭め、背中の羽を小さくたたみ、声を潜めて語る様子はいかにも後ろ暗い。
「あんなしーちゃん……シーナさん、初めて見たよ。あんな真剣なダシガラさんも。」
「そして、"思い出してしまった"訳ですね。」
厳かに口を開くのは別の影。全身を覆う傷跡が放つ凄みが場を支配する。物憂げに閉じた目を開き、稲妻の様に言い放つ。
「自らが世界征服を企む悪の組織《トリスメギストス》の七幹部が一、《怠惰》の二つ名を冠するロゼッタ・フェルニールであると。」
「……でぃさんは、よく真顔でそゆこと言えるよね。」
しかしまぎれもない事実であるから仕方ない。
「私は役場経由の依頼を請けたら結果として片棒を担がされただけで、進んで悪に加担したわけではありませんから。貴女のように。」
さすがは最強のウェイトレス、護身も完成されている。人ごとだ。
「……マーラさんは、昨日の夜。私は今日、あのこがうちを訪ねてから。」
三つ目の影。酒瓶を抱えて机に突っ伏すもう一人の背中を撫でさすりながら、穏やかに続ける。
「でぃさんは酒場であのこと会ったのよね。それで思い出した。……悪の科学者、"三人目"のフー・ダシガラットのこと。そして、」
「……今のアイツが、"四人目"だって事をだろ。」
ためらいが詰まらせた言葉を捨て鉢に繋いだのは、酔い潰れているかに見えた男だった。思い出した様に瓶の中身をグラスに注ぐ。
「"三人目"が計画の為に残したこの街との繋がり。悪の科学者としてのアイツを世界が拒絶したとして、その繋がりをまで葬り去ることはできなかった。ヤツ無しでこの街の日常は廻らない。……だからヤツを消す為に世界は、"不要な設定を取り除いた日常のために最適化された四人目"を作り出さなくちゃならなかった。」
マーラ・シャンセー。【黒】属性の錬金術の達人。その実力たるや条件によっては単独で世界を滅ぼしうるほどのもの。繋がりの力をあやつり、世界――スレや板を俯瞰する視点を持つ者の最高位に位置する彼にとって、"読み解き書き綴る者"の思惑は手に取るようであったかも知れない。
「辻褄は合ってた。"三人目"の残した繋がりは破綻なく引き継がれてたよ。昨日まではな。」
言葉と共に吐き出しているのは、底知れぬ怒りだ。
「今更。今更だぜ?"無かったことになった筈の三人目"の存在を、俺たちゃ思い出しちまった。俺が、世界が、"四人目"のアイツ自身が。何が起こる、決まってる。『お前は辻褄合わせの為の急拵えの人形だ』と、何の罪もないアイツに突き付けにかかりやがった、俺のダチに。俺たちに、『辻褄合わせに体良く付き合わされたマヌケ共』だと、突き付けにかかりやがったんだよ……!」
グラスを煽り、力任せに机に叩きつける。
「下手くそがッ!……どいつもこいつも、お可哀想な登場人物の一人も作らなきゃ、三文芝居一つ回せねぇ!お陰で俺は、ダチと思い出話の一つもできゃしねぇときた……!」
気まずそうに肩をすくめるロゼッタと、声をかけようとして果たせないミューティオ。ディートリンデはグラスが割れていない事を確かめ、沈黙を守る。
「……ほっといてくれりゃいいんだ。いっそのこと。そうすりゃ俺たちゃ、あの海辺の街で……」
いくらグラスを煽っても、暗く沈んだ怒りは彼の意識を酩酊に沈める事はなかった。むしろ、錬金術師としての思考は冴えを増していく。
「……完璧な計画だった。この世界に残す爪痕も、忘れ去られることによって得られる平穏も、あの海辺の街の顛末も。それに今更横槍突き入れる?……たかが一柱の神のどこにも繋がることの無い暴走に過ぎなかったとして、姑息な奴らの事、何らかの『言い訳』、『アリバイ作り』の一つや二つ用意している筈……」
彼の与り知らぬところではあったが、全ての発端となった一枚の《鏡》は彼の「得意分野」に深く関係する属性を備えていた。それが彼の思考に推進力を与えている。
「……つまり"神の意志"のみによらない、"この世界の登場人物の意志"の介在……を装う……必然性の補填……浅知恵だが……。望み得るとしたら誰だ?ここに居る四人でないとして。《憂鬱》は違う、アイツは満足してた筈。《傲慢》……ヤツか?あの海の連中が救われて、その上何を望もうってんだ?」
頭を抱え、加速する思考の手綱を御そうと一心不乱に呟き続ける彼の耳には、営業時間外の酒場に我が物顔で押し入ってくる、騒々しい足音も届かない。
「ただ……アイツは種族特性上DATとの親和性が高く……パラレルとして切り離された昨日までの状況下でも"三人目"と俺たちの行いを記憶に留めていた可能性がある。今回の事態そのままを志向していたわけでないとして、ヤツの行動が間接的にでも影響を及ぼした可能性が……ヤツは今どこに居る?一体何を……」
「おお、怖。犯人探しでっか。こんな暗がりに顔つき合わせて。」
声に目を向けると、燭台の明かりの外、ぶすぶすとくすぶる赤いタバコの火を基点として闇が形をなしていた。
「まるきり『悪の組織』の寄り合いや。……ワイら、善良な市民は恐ろしくてよう寝られへん。」
嘲りに歪んだ口から煙と悪意が吐き出される。その様は、無理やりに加速されて拗れたマーラの思考を断ち切って、ある端的な事実を彼に示した。
「……てめぇ、ノートン……てめぇが?なんで、」
「誰に向かって口聞いとる。債権者様に。」
古来より、ありとあらゆる文化圏において"悪"と見なされてきた職業、金貸し。中でも彼の生業は、法外な利子を取り、人の弱みに付け込んで食い潰す闇金融。
「『なんで?』決まっとるやろ。悪の組織《トリスメギストス》の七幹部が一、《強欲》のノートン・アーミル様が……」
ある程度長期の付き合いを要し、場合によっては人心掌握の必要もある超過債務者を前にしては決してあらわにすることの無い、それは本性。他者を踏みつけ利を貪る、いかなる美辞麗句によってしても決して正当化され得ない邪悪。
「あの程度の"端役"で満足するわけがあらへんやろ。」
「て、めぇ……」
椅子を蹴立てて立ち上がったマーラに対しても怯む様子はない。その激昂を柳に風と受け流し、己の悪を露わにする。
「何をどうしやがった……てめぇのせいで、何が起こったかッ」
「狙い通りや。やっとオモロくなって来た!大団円?クソ喰らえや。波風の一つも立たん街でビジネスができるかい。」
自らが悪だという、世界からも忘れ去られかけた事実を殊更に強調する様に。血の気を失ったかつての幼馴染の顔に、タバコの煙を吹きかける。
「たかが"人形(ガラテア)"、たかが"出し殻"。ワイの活躍の肥やしにするのに、なんの気兼ねの必要がある?」
ゴッ、と鈍い音。
冒険者としてそこそこのキャリアを持つロゼッタ・フェルニールは、隣に座る一児の母の様に口元を押さえて小さな悲鳴を漏らす様な事はしない。ただ、「うわっいたそー」と思うだけだ。マーラの拳が、である。
机と椅子数台を巻き添えにして盛大にひっくり返るノートン(それを見て初めて眉をひそめるウェイトレス)。荒く息をつき震える拳を逆の手で押さえるマーラは、怒りと痛みを持て余している様でもあった。このような重く沈んだ──シリアスな文脈で、怒りに拳を固めて誰かを殴るという経験は、彼にとって初めてのものであったろうから。
「……うう〜〜〜ん。」
床に伸びたままの悪者から、ブツブツと呟きが聞こえる。
「ケンカの仕方ってモン……知らんかぁ……流石になぁ……これでチャラっちゅう、ワケにもいかんわなぁ……」
あぐら姿勢にひょっこりと上体を起こし、頭を下げて一言。
「すまん。ツケにしといてんか。」
「折れてはいないでしょう。二、三日は痛むでしょうが。」
ディートリンデの声を聞いてか聞かずか、マーラは赤く腫れた右手をじっと見ている。消え掛けたタバコの残り香に、問いかける様に呟く。
「わかんねぇよ。俺には、わかんねぇ。」
「……あのね、マーラさん。」
意を決した様に切り出したのはミューティオだった。
「あの子の親友として、お礼を言わせて。ありがとう。あの子の事を本当に想っているのは、間違いなくあなたよ。」
マーラ、ノートン、ミューティオ──シンシアは、"一人目"の彼女と直接の繋がりを持つ三人だ。"一人目"……フーズマリー・トラウムという、夢見がちで心優しい少女。
「でもね、もしかしたら……あの子の事を、一番よくわかっているのは、あの人の方かもしれない。」
マーラは答えない。
「今のフーちゃんは、フーズマリー・トラウムよ。間違いなく。"一人目"のあの子の様に明るくて純粋で……、"二人目"の様に、理不尽に真っ向から立ち向かう強さを持って……。今のフーちゃんとなら、いつかまた『マリーとシア』って呼び合える気がする。まるで誰もが望んだ夢(トラウム)の続き。」
マーラは答えない。何かに耐える様に唇を噛み締め、震えている。
「あの人――"三人目"のフー・ダシガラットさんはきっと、自分一人を犠牲にする事で、私たちとこの世界の全てに、優しい夢を見せてくれたのよ。悲しいことを何もかも忘れた、心地よいまどろみを与えてくれた。……でも、夢はいつか覚める。こんな風に。」
そんな当たり前のことにだって、夢を見ている最中には気づけない。大切な人を起こしに出向いて、そのまま一緒に過ごす幸せな日常の夢。
「寝坊助さんは私たちの方ね。その目覚めがどれほど不本意で、昇る朝日が明るいばかりでなかったとしても……受け入れて、先に進まなくちゃ。今のフーちゃんは、私の娘の命の恩人でもはじまりでもない。優しいあの人は、暗くて深い海の底に居る。それでもきっと、って思うの。今のあの子は……」
「違う……そいつは違うぜ……!」
祈る様なシンシアの言葉を、唸る様に遮るマーラ。
「俺たちは、手に入れたんだ。俺たちみんなで行動して、反則級の手まで使ってさ、ようやく手に入れたんだよ!誰そ彼とも彼は誰とも付かない薄明かりの中で、ずっとまどろみ続けられる権利を!」
"四人目の彼女"も、その権利も、自分たちが勝ち取ったものだ。今更横から出て来てつまらぬケチをつける連中に、斟酌する必要があるのかと。
「クソッタレの『厳しい現実』を押っ付けてくる奴らなんか、もう知った事かよ。ほっといてくれりゃそれでいい。俺たちみんな海辺の街で勝手にやるさ。誰に描かれた運命でもない、俺たち自身の足で自分の人生を生きる!そういう道を手に入れたんだ、そうじゃないかよ!」
「そのきっかけとなった彼女は、暗くて深い海の底のまま、と。」
ディートリンデの呟き。刺す様に。
「……本人が望んだ事だ。神の安易で軽薄な一時しのぎの救いなんて、願い下げだと。それを否定できるやつが居るのか?」
結論など出よう筈もない。それぞれの想いは繋がることなく、BAR.タカラギコの夜は更けていく。
***
たそがれ色に染まる海の話を耳にするたび、私の心に思い浮かぶのは、いつだって抜けるように澄んだ空色だった。
小さな頃大好きだったお話。「このお話はここまで」と、途絶えてしまったそのお話。どれだけいい子にしていても、「ここまで」の続きが語られることはなかった。
――神様はね、とても忙しいの。
お話の先をおねだりする私に、お母さんは困ったようにそう言ったっけ。
悪の科学者・ダシガラさんが焚きつけたのは、「途絶えてしまったお話」によって暗い海に堕ちてしまった人たち。どれだけねだっても祈っても……良い子にしていても、待ち望んでやまない自分のお話の続きはやって来ない。だったらいっそ、思いっきり「悪い子」になってみたら?
子供じみてると私だって思う。でも私は共感してしまった。命の恩人であり、大家さんであり、尊敬する大好きなしーちゃん……シーナさんに、嫌われて絶交されちゃうかもしれなくても、それでも「悪の組織」の片棒を担ぐことに決めたのは、そういう理由だ。
神様は忙しくて、たまにお話を放り出してしまう。悲しい過去をほのめかしたまま。誰かを不幸にとどめ置いたまま。報われないまま忘れ去られた人たちには、神様を恨む権利があると思った。文句の一つも言う筋合いがあると。
同時に思う。悲しい過去を描き、誰かを不幸に落とし込んでなお、自分以外の誰かの人生を、物語を描きたいと志し――そしてそれを果たせなかった神様の気持ちは、一体どこに行くんだろうって。彼らの後悔や無念もまた、あの海の底に淀んでいるんじゃないだろうか。
文句を言われる筋合いはあるかも知れない。それでも、果たせずとも語り始めた神様たちの無謀と蛮勇がなければ、この世界には何一つとして生まれることがなかった。熱も光も広がりも、影も濁りもあの海も。
海へ堕ちたみんなは救われた。だから、神様の後悔も、少しは報われたっていい。
私の背中の翼に繋がる、静かで深いあのお空。それに挑んだ誰かさんも。
そこまで考えて、ふと気付く。今、「このお話」は、なんの為に語られているんだろう。
神様は忙しい。どれだけ続きを待ち望まれても、途中でお話を放り出してしまうくらいに。でも私たちが今立たされているのは、誰もが納得して受け入れたハッピーエンドの続きなのだ。誰に望まれる事もない、「めでたしめでたし」に陰を落とす後日談。
マーラさんを、ミューティオさんを、四人目のダシガラさんを。悲しませて、戸惑わせて、不幸にして。それでも語らざるを得ないとしたら、その執念の裏に何があるんだろう。ノートンのおじさんは、もしかしたらそれを知っているんだろうか。
できる事なら、その「何故」が明らかにされればいい。望まれずとも、繋がらずとも、このまま語り尽くされればいい。真新しい後悔が、せっかく救われたあの海を汚してしまう前に。
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