ーNew era has comeー新規宇宙飛行士募集!胸の不発弾を超えてゆけ
🚀2021年秋、新規宇宙飛行士募集決定!!
10/23日、衝撃的なニュースが世界中(衝撃なのは日本だけ?)を駆け巡った。
何と、JAXAが来年2021年の秋ごろをめどに新しく宇宙飛行士を募集するというのだ!!!!!!!!
前回行われたのが2008年なので、13年ぶり!宇宙飛行士を目指す人たちにとっては、まさに、待ちに待ったといった感じだろう。
そろそろ募集が始まるのではといった噂はあったし、宇宙飛行士からももっと日本に宇宙飛行士を増やしてくれという声が上がっていたのも知っていた。
(2030年頃の月面有人探査を見据えて)個人的には5年後くらいに行われるのかと思っていた。
まさかこんなに早いとは..!
人生何が起こるか分からない、本当に(笑)
以下は前回の募集要項
自分は小学校高学年くらいに宇宙飛行士を夢見たときから、宇宙飛行士になって宇宙へ行くことを目標に生きてきた。
理系の学部(専門は地質学)を卒業し、現在社会人3年目で、宇宙機の運用業務に関わってきた。
10分間立ち泳ぎができるかどうかはやったことがないので分からないが、小学校の頃6年間スイミングスクールに通っていたこともあり、水泳は得意なので大丈夫だろう。(大学では水泳部に入ろうと思っていたが、練習が想定以上にハードだったのと、他のサークルでの活動時間が確保できないので断念した)
他の条件も若干不安はあるが、これから磨いていけば取り除いていけるだろう。
順調にいけば来年度で要件を満たすはずだ。
だが実はそうではなくて、このままだと応募資格を満たすことができない。
なぜかというと、今会社を休職中で来年度から大学院に通うため、運用業務に従事した期間⇒2年半となり、
大学院修士課程修了年度である2023年にようやく卒業資格を得ることができるからだ。
だが、来年度の募集にはチャレンジするつもりだ。
実は過去にも、学生時代にダメ元で応募している人たちがいるからだ。
🚀何度でもチャレンジ可能ーやる気さえあれば...
それが、星出さんと山崎直子さんだ。
二人は一度不採用となりながらも、二度目、三度目のチャレンジで実際に宇宙飛行士として採用されている!!
※星出さんは二度目では最終選抜者には選ばれたものの、不採用となり、三度目の正直で無事に宇宙飛行士として採用された。
大切なことはあきらめないこと、そして宇宙が好きだという気持ちだろう。
年齢も関係ない。
油井さんは何十年も宇宙飛行士への夢を抱き続け、39才で宇宙飛行士に採用された(JAXA宇宙飛行士の選抜時の年齢として最長)。
昨年、山崎直子さんとお話する機会があったときに、”これからの時代で、宇宙飛行士を目指すうえで大切なことは何だと思いますか”と尋ねると、
”あきらめないことは当然のうえで、日々の日常をおろそかにしないこと”だと(いうようなことを)おっしゃっていた。
最初はあまり理解することができなかったのだが、社会人として生活を進めていく中でだんだん分かるようになった。特に休職し始めてから”日々の日常”の大切さを痛感した。
日々を丁寧に生きることがどれだけ難しいことか。
気づけばいつの間にか、さっきまで明日だったものが今日になっている。
適当に何かに流されて生きているとーたとえば周りの視線、普通という呪い、好きになれない業務etc...ー、中身が空っぽのまま灰になるだろう。
一日一日後ろめたくない日々をレンガのように積み重ねていけば、気づけば宇宙遊泳していることも夢ではないだろう。
🚀不発弾を超えて行け
上記で休職中と書いたのも、実は心の病気を抱えることになったためであり、心療内科に通いながら、大学院に向けた勉強やその他の勉強、オンラインサロンの活動再開、その他諸々を行っている。
同じように、精神的な病で宇宙飛行士の道を断たれそうになりながらも、持ち前の明るさを失いかけてもそれでも夢を諦めなかった 人間がいる。
宇宙兄弟の南波日々人(ヒビト)だ。
彼の病気はPTSD(Post Traumatic Stress Desease;心的外傷後ストレス障害)通称、パニック障害というもの。
原因は、月ミッション中に月の谷底に落ちたクルーを助けるときに、酸素不足により発生した呼吸困難。
この事故以降、ヒビトは宇宙服を着るだけでフラッシュバックが起こり発作を起こすようになり、前線から外されることになる…
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自分の場合も仕事が原因だった。
元々、地球観測系のミッションに関わっていたのだが、直接的に目に見えて貢献を感じることができなかったため(後から振り返り、自分は直接的に貢献していることを感じていたいタイプなんだと分かった)、
”役に立っていないのではないか”という社会からの疎外感や、まわりに比べて何も胸を張れるようなことができていないという劣等感を抱えていた。
希望通りの部署に配属されなかったことも要因の一つで、自分の興味の向かない仕事に長時間費やすことにも疲れ切っていた(そんな人がこの世にごまんといることは百も承知だ)。
誰の役にも立っていない=世界から必要とされていない
と思うようになり、希死念慮が生まれるようになった。
職場の先輩からの厳しい態度、仕事の内容的に組織の中で感じる孤立感
あらゆることが積み重なり、職場の先輩が引き金となり心は壊れた。
もちろん助けてくれる人たちはいたが、そういった人たちーいわゆる味方の声が聞こえながらも一人で抱え込んでいた。
今は一旦休み、色々考える機会があったおかげで、大分自分自身や、自分の考え方について見つめ直せるようになった。
むしろ、以前より心が成長したように思う。ずっと働き続けていたらこんな機会はなかったと思う(このことについては別記事で書く予定だ)。
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ヒビトを象徴するのが、ムッタがヒビトの月への旅立ちを見届けるシーンでの以下のセリフだ。
ムッタに言わせれば「ただ真っすぐに宇宙へと続く」ロケットロードのような人間。それがヒビト。
他にも、
宇宙飛行士になれないと決めつけてうじうじして後ろ向きなムッタに対して、「あきらめきれるんなら、そんなもん夢じゃねぇ」と言い放ったり、
子どもの頃の2人に対するインタビュアーからの、"将来宇宙飛行士になりたいか?"という問いに、「絶対宇宙飛行士になって宇宙へ行きます」と答えていたり、
※ムッタは対照的に「なれたらなります」と答えていた(笑)
自分が決めた宇宙飛行士という夢に向かってまっしぐらなのがヒビトなのだ。
(ヒビトの魅力は語っても語りつくせない🍶🌕
久々に宇宙兄弟を読んでヒビトを見ていたら泣けてきた)
しかし、上述の事故以降、
「一人になりたいんだ」
(自分のPDは克服できても、PDになって発作を起こしたという事実は)「周りの頭ン中からは消えねーんだ」
といったネガティブな言葉を発するようになり、しまいには突然失踪することもあった(ネガティブなだけの失踪ではなかったが)。
そんな中で、ヒビトの周りの理解者は
(一人にさせてくてれというヒビトに対して)
「一人になるなと言っているんだ」
(与圧服を着て10mも歩けなくなったヒビトへ、まずはグラサンやアメフトのヘルメットを着て同じことをしてみよう、と提案し)
「大切なのは"できる"という経験を得ること」
(タクシーで発作を起こし不安になるヒビトに対し、宇宙服を着ているかどうかは関係ないと励まし)
「宇宙服はおれらの味方だ。」(by ムッタ!)
といった言葉で折れそうな彼を励まし続けた。
結局、発作は起こることがなくなったが、いつ起こるとも分からない病気を抱えたヒビトを良く思わない上官からアサインが認められず、
ヒビトは今までとは違った方法で宇宙へ進むことに決める。
方法は変えても宇宙飛行士の道を進むことはあきらめなかった。
立ち直ったヒビトの
「もう発作は起こらない。起こり方も忘れた」
という言葉が印象的だ。
そして、更に印象的なのが
「そうだよな 俺も...
一生消えないなら 受け入れるしかない
内ポケットの不発弾も月まで連れていく」
という言葉。
みんながヒビトを受け入れるように、
ヒビトもいつ起こるか分からない発作(内ポケットの不発弾という表現がなされている)を抱えて生きることにしたのだ。
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病状が回復したり、完治したりすることを”寛解”という。
精神的な病気の寛解は、他の疾患と比べてむずかしいように感じる。
何をしたら治るか、個人によって、より千差万別だからだ。
自分の場合は、定期的に行っている臨床心理士さんとのカウンセリング、医師による診察、友達との会話で、お、だんだん良くなってきてる!!と感じることができている。
感覚的には、ほぼ空になっていた心の暖かいお湯が、気づけばだんだん溜まっていってる、という感じだ。想像よりずっと早く持ち直せてる気がするが、これは
友達や臨床心理士、オンラインサロンのメンバー、親、医師、後輩などのおかげだ。
人手が少ない中、まわりの役に立とうとして頑張った結果、精神的に負荷がかかったことは、仲間を助けるために行動した結果PDを抱えたヒビトと共通しているかもしれない。(そう思うことにする笑)
ヒビトとは違うが、自分の場合、元々根底に”希死念慮”があった。
これからもずっと消えることはないんだろうなと思う。
これからの出逢い次第で分からないけど。
(出逢いはよくも悪くも必ず人を変えるので。人は誰かのスイッチになるために生まれてきたのかもしれない。)
またいつ出てくるか分からない希死念慮という不発弾を抱えることになったが、それでも、宇宙を目指し続ける。
タイミング的に来年の選抜試験では、自分が選ばれることはない。
だが、(言い訳になるという意味じゃなく)、一度チャレンジして自分の”宇宙飛行士として宇宙に行きたい”という意思を伝えられ、
6年後、11年後を目指して、今やるべきことをクリアしていき、意識的に課題を解決していくことで、今はまだ不安のある英語力や人間性を高めていくことができる。
脂の乗った30,35歳。ちょうどいいのでは?と思う。
人生はタイミング、なるべき時に宇宙飛行士になる。
自分が宇宙飛行士になって宇宙へ行くべき時もきっと来る。
そう信じて、宇宙に繋がる日々を創っていく。