「政治家らしくない」政治家寺田静さんに感じた、日本が変わる可能性


これまで数えきれないほど、
多くの政治家に会って来た。
何千人、いや何万人だろうか。
そんな僕が先月お会いした
ある政治家は、
よい意味で、
とても「政治家らしくない」方だった。

参議院議員1期目の寺田静さん。
小学生の息子さんと一緒に、
先月開催した「田原カフェ」に来てくださった。
テレビで見る僕が怖そうで、
あまり会いたくなかったそうだ。
寺田さんは中高時代不登校となり、
高校を中退した経験を持つ。
政治家としては異色だろう。

「なんで政治家になったの?」
僕はまず尋ねた。
秋田県選出、夫は衆議院議員の寺田学さん、
秋田へのイージス・アショア配備が問題になった時、
反対の意思を示す野党側の候補として、
推されたという。
出馬するか悩みに悩んだそうだ。
しかし、「たくさんあった、
もろもろ許せない気持ちが背中を押した」と言う。

寺田さんは、
病に倒れた弟さんを、
介護した経験がある。
教育や介護の問題、
また、母となって関心を持った環境問題、
当時問題になっていた、
医学部の女子受験生差別問題など、
さまざまなことに理不尽さを感じていた。
「今まではそういう不満を夫にぶちまけることで、
夫を助けることを通して、
世の中を変えたいと思っていましたが、
議員になって自分が主体となって変える」
と考えたのだ。

中高時代、不登校になった理由は、
「学校の管理教育」だと言う。
当時はひどい「校内暴力」の余韻が残る時代。
ムチを持った教師がいる、
スカートの長さ、靴下の色……
あらゆることを学校は管理しようとした。
一方で、教師たちは、
シンナーの匂いをさせているような生徒に眼もくれない。
「彼らのほうがよりおとなの助けを必要としているのに……」
と、寺田さんは感じた。

今の日本で行われている、
「理想像を掲げて、
それに合わせて、
子供を矯正してくような教育を変えたい」と語る。
「じゃあ理想は要らないの?
教育はどうしたらいいの?」
僕は突っ込んだ。
「子供の得意なことや個性を生かして、
幸せに生きていく道を見つけることが、
子育ての最終目標だと思っている。
学校教育も同じように考えるべき」
と寺田さんは迷いなく答えた。

僕は、故宮澤喜一首相がかつて語ったことを思い出した。
「国際会議に行くと、
日本の政治家はほんとうに発言をしない。
どうしてだと思いますか?」
英語力の問題ではないという。
「日本の学校では『正解』ばかりを求める。
間違うと恥ずかしい、という空気がある。
世界は違うんですよ。
何も発言しないことこそ恥ずかしい」
そんな教育を変えるべきだと、
宮澤さんは言いたかったのだ。

寺田さんの話にも通じることだ。
「こうあるべき」という像をつくり、
そこから外れると叱る、
外れたら「恥ずかしい」という空気をつくる。
本当は、外れることも、
間違うことも恥ずかしいことではない。
しかし、少しずつだが、
日本の教育は変わりつつあるという。
たとえば、寺田さんも加わっている、
「超党派フリースクール等議員連盟
(現・超党派多様な学びを創る議員連盟)」の
取り組みによって、
「教育機会確保法」が6年前に施行された。
フリースクールや家庭などでの、
子供たちの多様な学びが認められたのだ。

少子化問題も話したのだが、
限られた時間で深めきれなかった。
すると後日、
これだけはお伝えしたいと、
こんなメールをいただいた。
「少子化は大問題です。
国防にいくらお金使ったところで、
他国に攻められる前に、
国民がいなくなり自滅します!
という危機感を持って、
取り組んでおります」

僕はその文章に爽やか、
かつ力強いエネルギーを感じた。
不登校、介護、子育て……。
さまざまな経験が今の寺田さんを形づくり、
理不尽な思いは、
エネルギーとなっている。

僕はジャーナリストの長野智子さん、
各党の女性議員たちと、
「クオータ制実現に向けての勉強会」
をつくっている。
女性の政治家が増える、
女性がトップになることで国が変わることは、
他国を見ても明らかだ。
寺田さんのような政治家が、
どんどん出てきてほしい。
そのとき、きっと日本は変わる。