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小沢健二 So kakkoii 宇宙 Showsで持ち帰ったもの。

僕は小沢健二 So kakkoii 宇宙 Showsの東京2公演へ行ったんだけど、その後もなんだかずっとライブのことを考えていて、こんな経験は過去に覚えがないし、これはしっかり何かを持って帰ってきている感じがした。
※ライブの最後は「生活に帰ろう」と言って終わる。そして各々がそれぞれの”何か”を持ち帰り生活に戻っていく。

ライブを観た後すぐの感想は、インスタのこれ なんだけど、これはすごく短く言った言葉で本当はすごく長い。なのでせっかくだから「本当は長い」を書いてみた。

「離脱」

今回のライブでは「離脱」というものがあった。
それは演奏中に短い時間だけ起こり、「離脱」すると演奏がとてもゆっくりになる。なんなら歌さえも。
ライブにノリノリでも「離脱」が起こると、おっと!と不思議な時間に投げ込まれる。面白い。そしてその間の演奏もしっかりとすごく魅力的。時間軸を曲げてのスクリューだ。

小沢さんは良いことからも悪いことからも「離脱」と言った。
そもそも生活・日常から「離脱」しているライブでそれを行うということに自分は2つのことを感じた。
ひとつめは、今ここで起こってるライブ(のそういう生活から離れた特別な瞬間)をみんなで分かり合うという、それ自体をもっと共有したいという思いで、演奏の中でさらに劇中劇のように存在させる、ということ。
ふたつめは、このライブ自体をもっともっと解放された空間にしていきたい、つまりちゃんとしたリズム・ビートで進むこと自体からも離れることで、決まってることなんて何もなくて、もっと全然なんでも自由なんだよ、ということの実証。そのどちらも交差していっぺんに表現したものが「離脱」なんじゃないかと思う。
「離脱」は、コロナで「世の中の裂け目」が日常になった世界でもっと先にある「裂け目」。なのかも。

その自由さは、ライブの他の部分でも感じていて、行ったり来たりする未体験な曲のマッシュアップも、より良ければ一曲ずつ演奏していくことからも「離脱」していく、という気持ち。
そしてその「未体験なマッシュアップ」と「離脱」が混在するとやばい。
会場に来ている人たちはほぼ全曲知ってるくらいの人たちが多いと想像できるけど、そんな僕らさえも先に何が起こるか分からないドキドキが通底したライブになる。

さらにもうひとつ、演奏前のドラムカウントも無い。より自由な演奏だと僕らは感じられる。魔法のよう。
実際にはドラムカウントの代わりに(たぶん)ティンパニのディン!ドン!という音で瞬間的に演奏が始まる。
ここですごいのは、今ドラムカウントの代わりにと言ったけど、代わりというレベルを超えて、そのティンパニの響きがトテモカッコヨク、今回のライブ特有の特別な空気を作ってる。

つまり「離脱」も「未体験なマッシュアップ」も「ドラムカウント無し」もただ壊すとか逸脱するんじゃなくて、全てがより良いとても自由な空間へと向かってる。
当たり前とか常識とか楽だとか、そういう普通にしてたら引っ張られる重力に逆らって上昇する。重力を狂わす。狂わす、というところに自ら変えていく意志を感じてグッとくる。
そうやって本当のことを運んでゆく。

これはもちろん「飛行する君と僕のために」からの引用だけどこれに限らず、小沢さんはもう1993年から今に至るまで歌詞の中で本当のことを全て言ってる。と思う。(インタビューと違って)


「余談」

ちょっと話が逸れるけど、今からはどうにもできない過去の曲も根底には今と変わらない本当のことを言ってることに時を経て改めて驚くし、だからこそ様々な時代の曲が混ざっても違和感のないあんなライブができてるんだと思う。
しかも、本当に今の小沢さんは時間を超越するかのように時間を行き来してるように見えて、
1995年や2000年代に行ったり、1993年の自身のシルエットは現れるし、ステージ上では1992年に戻ったり。
そう思うと歌詞にいきなりねずみ小僧とか全然ありえる。「未体験なマッシュアップ」だってそう。
全てを空を横切る彗星のように見てる。


「千秋楽最後の小沢さんの話」

でこれが僕にとっての本題。
千秋楽の最後の最後、生活に帰る前、いつものモノローグと違うラフな雰囲気で話してくれたことがある。

“バンドの衣装や物販のデザインをするのがめちゃくちゃ怖かった。
それは音楽だけ集中してほしいとかそういう目に対して。
でも小沢さんにとってはそれに従うことは音楽をやることの天井を作ってしまうことになる。
やりたいと思ったらやったほうがいい。”

(要約はあまりよくないと思うけど…)というような話。
これはすごいなと思った。
やっぱり最後の最後、生活に帰る直前にしか言えない、僕らが見てきた魔法のようなライブの裏側の話だ。
やっぱり僕らが観た、めちゃくちゃすごいライブは呪文唱えてポンっと出てくるわけなくて、
こうするともっともっと良いってところに全員が全力で努力して向かうしかない。
ここまで言ったきたこのライブの特別なものは全部そうやって人力でできてるんだと思う。

戻るけど「離脱」なんて30人以上が一斉にあんな変則的なことをするなんてもう普通じゃないし、でも出来てるのは本当ただただ練習しかないと思うし、普通の演奏よりもより緻密で高度なことをやっていて、それは結局、集まってくれたみんなに自由を感じてもらうっていう強い気持ちと裏側での努力の上での魔法なんだと思う。
めちゃくちゃSo kakkoii。

そして、魔法の裏側の話をしてくれたのは集まったみんなを信頼して、そういうことも共有しようと思ってくれたってことだと思うし、
個人的にはあの小沢さんでも怖いと思いながらやってるなら、自分が信じたことだったらビビりながらでも全然やっていこうっていうとても大切な話になってる。

結局この話は生活の中で何か思ったり行動したりする時に、最大に宇宙が薫る話で、僕が生活に持ち帰るものになったと思う。

でもそれほどの怖さはない
宇宙の中で良いことを決意する時に

と改めて思える。
(というように曲の中ですでに全部みんなに伝えている)

…と妄想含めていろいろ言ってきたけど、そんなことよりも、
ライブ終了直後、後ろから聞こえた知らない同士の女性たちの
「わー最高だったー!あのすみません!ハグしませんか!」(ハグをする)
というのがブッチギリに正解で最強で最高だったと思う。


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