表情を取り繕う
進化論のダーウィンは、その表情の研究の中で「表情とは感情の言語だ」と言っていることは以前紹介した。つまり感情というものは、表情や身振りとして表現されてくるものなわけだ。ならば、表情をコントロールすることで、感情をコントロールすることが可能になるだろう。表情や身振りを取り繕えばいいわけだ。そして表情や身振りを取り繕うことは、じつは礼儀の一環なのである。
実際、哲学者のアランは、あらゆる民族において礼節は同じものなのだと言っている。それぞれの国や民族で礼式は異なっていても、顔を崩さぬこと、表情を崩さぬことが、すべての国に共通した礼節の第一法則なのだとして、次のように説明する。
「礼儀は言語と同様、それぞれの社会で異なるが、平静と節度はあらゆる国々に共通の礼儀である」「礼節の最高の法則は、無意識な一切の感情の動きを禁止することにある。礼節を真に表すものは、本来何も意味しない顔である。表情というものはすべて攻撃にほかならない」
「まず手と顔つきから始めて、たとえばこぶしを握りしめるとか、歯を食いしばるとか、眉をしかめるという激怒の始まりを表すあらゆるしぐさを解きほぐすことだ。これが礼節にほかならない。礼節というものは、つねに愛憎の動きにゆすぶられる心を統制するには、大変重要なものであり、大きな影響力を持っているものなのである」(アラン)
眉根を寄せて眉間にたてじわを作る表情は「威嚇の表情」である。この表情に加えて、歯をむき出せば、もはや恫喝の表情になる。威嚇や恫喝を示す表情は、何も言わなくても、それだけで人に不安や警戒心を掻き立てる。幼い子供などは、この表情を見ただけで怯えを示すという。
険しい表情は険しい態度であり、温和な表情は温和な態度である。だから、表情を取り繕うのは礼節のひとつのワザだし、とりすました顔つきは安全だ。感情の動きが統制されているからである。何があっても顔色を変えぬこと、喜怒哀楽を表情にあらわさないことである。
アランは、「自分のなかに秩序と規律を打ち立てること、自分を正しく支配し律すること」が礼儀であり、礼節なのだと言っている。表情やしぐさを整えることは、自分の心を整えることなのである。
(参考文献)
・アラン「アラン著作集第3 巻 情念について」古賀照一訳、白水社
・チャールズ・ダーウィン「人及び動物の表情について」浜中浜太郎訳、岩波文庫