自己紹介②ジュビロ磐田 前編2006〜2016年 浜松生まれの野球しか興味なかった男がこのクラブに人生の楽しみの大半を占めるまで
先日の初投稿の野球ファンの遍歴に引き続きまして、今回からサッカー編に入ります。
そもそも、Jリーグって2022シーズンだけで全カテゴリーで58クラブもあるんですよね。私が生まれた1993年は10クラブしかなかったことを考えると、まだ全都道府県とは行ってないけれど、すごい進化だと思います。
何が言いたいかって言うと、
こんなに多くのクラブがあんのに好きなクラブ一個に絞れねえよ!
って思うわけです。いくつかのクラブ見て、楽しまなきゃ損でしょうと。
なので、このサッカー編では文にできそうな特に愛情の深いクラブ4つを段階を分けて書いていこうと思います。
地元愛をちょっとだけ語らせて
私は初対面の方に自己紹介をするとき「浜松生まれ相模原育ちです」と答えています。母方の実家が浜松で、私はそこで生まれました。夏休みと年末年始はコロナ前は仕事が忙しくなければいつも帰っています。
私が自信を持って言えること。
それは、浜松という街が大好きだということ。
人の空気感のあたたかさ。鉄道や景色の静かな空間。うなぎ・浜松餃子といった料理の美味しさ。「やらまいか」という浜松市を代表する方言に基づく精神力の強さと産業の発展etc…などなど。いつも帰ってくればホッとするし、東京に戻るときには寂しさとまた来たいという気持ちがそこにある街です。
〜ジュビロサポーターになるまで〜
きっかけは親戚の伯父さんだった
野球ファン(巨人ファン)でしかなかった私が、ジュビロ磐田サポーターになったのは、2005年。野球に飽きたわけではなく、なぜサッカーにハマったのだろう。その本意をあの頃の気持ちに戻って考えてみたけど、思い出せません(笑)
でも、数あるクラブの中でジュビロ磐田を応援しようってなったのは、地元愛ともともと応援していた、私といつも遊んでもらっていた親戚の伯父さんの影響でした。なので迷いはありませんでしたね。当然、どんなサッカーが面白いか?なんて知らないし、細かいルールもまだその時は知らない。
ただ、今思うのは、静岡県を語る上で切っても切れないワード、「サッカー王国」。
ずっと野球のみ好きでいたとしても、浜松に生まれた以上、言い方は悪いけどいつかははまらざるをえなかったのかな、とも思ってます。
こうして、野球ファンとサッカーファンの二刀流が始まったわけです。
黄金時代は知りません
圧倒的に強かった時代って、どんな感じだったんだろう?
このクラブを語る上で、1990年代後半から2002年の完全制覇あたりまでの「黄金時代」と呼ばれる圧倒的に強かった時代があります。
ですが、私はその時代サポーターではないのでそれを知らない。
もちろん、サポーターになってから、映像や本で振り返ってはいますが。
その時代を知っている人が羨ましいな、と思うことはありますし、何年かかってもまた戻れるといいなっていう思いも常にあります。
日韓ワールドカップとジュビロ磐田の完全制覇は同じ2002年。なんでこのときサッカー興味なかったんだろう。よく後悔します。
2006年〜2014年
現地の熱をはじめて知った時代
はじめて現地で観戦したのは、2006年のエコパスタジアム。
日本代表はドイツワールドカップで惨敗して、新しくオシムさんが監督になった年ですね。
懐かしいメンツがたくさん。
1年後から、3連覇で黄金期を迎える前の鹿島。当然ですが当時から厄介な相手だったし、勝てたと思ったら終了間際に追いつかれた。当時現地ではじめて見た内田篤人と柳沢敦の速さは忘れられない。そしてこの試合後にレジェンド・名波さんのセレッソへのレンタル移籍が発表されるという衝撃もあった。
そして次に現地で見られたのは、2009年。
前年にまさかの残留争いで、なんとか入れ替え戦を制して薄氷の残留を果たした翌年でした。私は中学を卒業し、高校入学までの春休みを使って親戚巡りも兼ねて2試合に行きました。
3月には今考えると貴重だった新スタ前の万博記念競技場のガンバ大阪戦。惨敗でした。
印象に残っていたのは遠藤保仁の上手さ。どれだけ囲まれても落ち着いてボールを出せる衝撃。ちょうど前年にマンチェスター・ユナイテッドのファン・デル・サールからコロコロPKを決めていた時ですね。この2得点も2本ともPKでの得点でした。
まさかこの11年後にジュビロに来るなんて…
1ミリも思わなかった。
4月にはヤマハスタジアムデビュー。バックスタンドで土砂降りの中で観戦だったけど、あまりにも近くて球を蹴る音がめちゃくちゃ聞こえたのが心地よかった。ここでも勝てず。後に日本を代表するキーパーになる権田修一がまだデビューしたての頃で、ファインセーブを連発された記憶。
この試合を最後に観戦から遠ざかることになった。まあ理由は高校時代が部活漬けだったこと。大学が遠くてそんなにバイトをしてなく、お金もそんなあったわけではないこと。だから結果と映像をチェックする日々でした。
その間、ジュビロは2010年にナビスコカップを制覇するものの、かつてのような優勝争いには絡めず。そして2013年にJ2降格を味わうことになり、2014年からJ2へ。2014年には口に出したくもないあまりにもショッキングなプレーオフ敗退。2013年〜2014年ははっきり言えばサポーターを辞める気はなかったものの、楽しくないなあと思った年でしたね。
そんな中、私にもクラブにも大きな転機が訪れることになるのです。
J2・2年目 2015年の快進撃
11月1日・伝説の味スタ
2015年。ジュビロは前年の終盤に就任したクラブのレジェンド、名波浩監督のもとで2年目のJ2を戦っていました。
開幕から、ジェイ・アダイウトン・カミンスキーの新外国人トリオが全員当たり、前年の失敗をバネに大宮・福岡と激しい昇格争いを繰り広げたこのシーズン。
シーズンも終盤となったラスト4節。ちょうど首都圏・味スタでの東京ヴェルディ戦ということもあり、友達を誘って行ってみよう!となりました。気合を入れて人生ではじめてジュビロのユニフォームも古着のユニフォームショップで買いました。
そこで私は伝説を目撃することになったのです。
絶望から歓喜へ。
久々に見に行った試合が、こんなに興奮するものになるとは。そして初めて掴んだ現地での勝利。数日は余韻がおさまらなかったことを思い出します。
その後、無事に昇格を勝ち取り、J1へ戻ることになります。
2016年
観戦数は増えど、勝てなかった
J1初年度は大宮、湘南には初参戦。スタジアムの見やすさとかアクセスとか、いろんな考えに目が届くようになったかな。
大宮戦で小林祐希のJ1初ゴールを見られたことは結構自慢。
久々のヤマハは私の誕生日に。勝てなかったのは悔しかったけど、終了間際にPKで追いついて、まだツキがあったのかな。
3試合行ったけど、この年は勝てず。復帰一年目は2ステージ制だったとき。2ndステージで失速するものの、1stステージの貯金が効いて、最終節で残留。
そんな翌年、あの超大物の加入によって、私の記憶に残る2017年シーズンが始まることになるのです…!
→後編に続く
※最後まで読んでいただきありがとうございます
ジュビロサポーターの方の感想良くも悪くも大歓迎です!