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『宇宙ベーカリー』(短編小説)


「・・・早ければ、あと36時間で、人類初の民間宇宙旅客機RETTURA号は月に到着するそうです。かつて人類初の月面着陸を果たしたニール・アームストロングは、月旅行を想像できたでしょうか・・・」

   携帯ラジオからニュースが流れてくる。世間は宇宙旅行関連の話題で持ちきりだ。私はふぅ〜と溜息をついてから、ラジオのスイッチをOFFにした。

   ここは「宇宙ベーカリー」。かつて宇宙飛行士に憧れた少年が大人になり、夢のかけらを引きずったままオープンさせたちっぽけなパン屋だ。言うまでもなくその少年とは私のことである。

   宇宙が綺麗に見える場所。それは自分がお店を持つ上で絶対にゆずれない条件だった。全国の不動産屋を飛び回って散々迷った挙げ句、選んだ場所は海へと突き出た細長い半島の先っぽにある物件だった。もともと小さな灯台だった建物を人が住めるように改修したらしい。

   夜になれば、海を往来する船の光と、今にも降ってきそうな星の大群が見渡せる。岬の高台にあるこの場所では空を遮るものが何もない。まさに天然のプラネタリウム。ここしかないと思った。

   周辺には電車もバスも通っていない。宇宙ベーカリーに辿り着くには海沿いのくねくね道を車で延々と走り続けなければならない。当然、相当な時間がかかる。オープン初日こそ家族や友人たちが駆けつけてくれたが、翌日以降お客はさっぱり来なかった。こんな辺鄙なところまでわざわざパンを買いに来るような物好きなお客なんていないのだ。

   そういえば、ここ数日、誰かと口をきいた記憶がない。一週間ほど前に郵便局員のお爺さんと話したのが最後だ。話したといっても「郵便です」「ありがとう」という一瞬のやりとりをしただけである。

   自分のお店を持つこと、一人の場所を持つことは、東京で働いていた頃からの私の念願だった。でも、いざこうして俗世間から離れた場所で一人の時間を長く過ごしていると、それはそれで居心地が良くないことに気付く。寂しさとか、退屈感とか、人として当たり前の感情が私にもやってきたのだ。もう店を畳もうかな、なんていう気持ちが一瞬頭をよぎった。

「ああ、今日も暇だ」

   どうせ今日もお客なんて来ないだろうと開き直っていた私は、崖の上にぽつんと設置された古い木製ベンチに腰をかけて、昨日一昨日と同じように辞書みたいな分厚い宇宙詩集を開いた。

——
流れる星に音はなく
時空を超える船は目に見えぬ
あなたはどこにいる
待てども待てども気配はなく
宇宙(そら)の彼方で嘲笑う光に
その姿を重ね合わせ
あれは嘘だったのだと居直る
イカロスが瞬く宇宙の果てで
いつしか心は尽き果てる
——

   読んでいるうちに、孤独の霧があたりに立ちこめてくる。私は、勢いよくパタッと詩集を閉じた。ムシャクシャして頭をかきむしる。鼻をほじる。海に向かって「あーっ」と叫ぶ。このままこの地で、来ないお客を待ち続け、強い陽射しに晒され続ければ、いずれ私は生きた屍になるだろう。想像するだけで目眩がした。

   ・・・もう待つのはやめにしよう。自分から動こう。私はここにいる。宇宙ベーカリーはここにある。まずは存在を知ってもらわないと何も始まらないのだ。

   すぐに私は集客の策を練り始めた。まずは商品であるパンのラインナップにテコ入れをする必要がある。本当に魅力的なパンが店頭に並んでいれば、どんな場所であろうがお客はやってくるはずだ。都内の女子大生は、パンケーキを食べるために3時間も並ぶのだ。

   現在、宇宙ベーカリーのラインナップは7種類しかない。チョコレートを練り込んだ「ブラックホール食パン」、カスタードクリームを筒状に細長く包み込んだ「ロケットコロネ」、円盤形の「空飛ぶメロンパン」、塩とバターの風味が豊かな星形の「塩スターパン」、華奢で繊細な「三日月クロワッサン」、まんまるのコロッケにパン生地の輪っかをつけた「土星パン」、そして、サラミをパン表面にのせた「クレーターパン」だ。

   これじゃ、やっぱり物足りないのだ。

   私は早速、新作の開発に取りかかった。さて、どんなパンにするか。ああでもないこうでもないと厨房で一週間ずっと悩み抜いた末にひとつのパンが生まれた。

   星がカラフルに彩られた「オリオン座パン」。

   ベースとなるパンは砂時計やリボンにも似た星座の形をしっかりと再現している。ベテルギウスの位置には小さなドライストロベリーを、ベラトリックスとリゲルの位置にはホワイトチョコチップをトッピング。他の星の位置にはマーブルチョコを配した。なかなかの完成度だ。

   新作であっても店頭に並べるだけなら今までと同じである。新作登場のニュースを世の中に発信しなくてはならない。私はSNSで宇宙ベーカリーのアカウントを作成し、パンの写真を投稿することにした。

   慣れないSNSの操作に戸惑いつつも、オリオン座パンの写真をアップデートできた。あとはメッセージを添えて投稿ボタンを押すだけだ。

宇宙ベーカリー @uchubakery   
星屑岬の宇宙ベーカリーからのお便りです。
このたび、新しいパンが仲間入りします。
ぜひ食べてほしいです。
車にお気を付けてお越しください。
[◎◎県◎◎郡星屑岬1-1 宇宙ベーカリー]   

   えいやっ、と気合いを入れてクリックする。投稿完了。よし、これで宇宙ベーカリーに関心を持ってくれる人も増えるかもしれない。・・・あっ、しまった。パンの名前を入れ忘れていたことに気づく。文言を追加したいが編集のやり方がわからない。眠たくなってきたので、細かいことは気にしないことにした。さあ、もう寝よう。



「うわっ、なんじゃこりゃあ」

   翌日、SNSを開くと、とんでもないことが起こっていた。ものすごい数の通知が来ている。「いいね」は10万を超え、「シェア」は1万を超えていた。そう、昨日の投稿がバズったのだ。

   嬉しさと驚きのあまり、思わず指先が震える。これはつまり、新作のオリオン座パンが世間から高く評価を受けたということだ。今はちょうど月旅行など宇宙の話題に事欠かない時期だけに、うまく時勢に乗ったのかもしれない。夢見心地のまま、寄せられたメッセージを読み始めた。

パパイヤさん  @uchubakery かわいい! 食べてみたい。
花子  @uchubakery これどこに売ってるの???
yukiyuki  @uchubakery 超スキ!
ハイボール独身  @uchubakery おいしそう〜。いろんな意味で。
ミスターぽぽ  @uchubakery 新しい!その視点はなかった。
永遠の少年  @uchubakery セクシー!!

「ん? 」

セクシー女優K  @uchubakery エロい。
こぱみゅ  @uchubakery エロかわいい!
花香奈  @uchubakery このパン、つくった人、絶対にスケベ親父だ。

「ええっ、どういうことだ!? 」

tago  @uchubakery どう見てもブラジャーパンだね。
大トロ  @uchubakery ラインストーン入りの可愛いブラジャーじゃん。
じいこ  @uchubakery これは・・・鑑賞用のパン!
マーティン山岸  @uchubakery 食べてみたいけれど、星屑岬って遠くね?
作家の卵  @uchubakery 今度ドライブがてら行ってみよう!!

「・・・・・・」

   渾身の新作であるオリオン座パンは、SNS上では女性用下着のブラジャーをイメージしたパンだと勘違いされて広まっていた。確かに形は似ているし、焼き上げたことでふっくらと丸みを帯びて、ますますブラジャーっぽく見えたのかもしれない。散りばめたチョコやフルーツが、女性の下着特有のキラキラした装飾の雰囲気をいっそう後押ししたに違いない。

   うれしいのかうれしくないのかわからない複雑な気持ちになったが、SNSを含むネット上でかなり話題になっていて好意的な意見が多いのは間違いなかった。

   ダイレクトメッセージには、テレビ局情報番組や雑誌数社からの取材オファーも来ていた。とあるウェブメディアでは「宇宙ベーカリーが勝負をかけた新作は、勝負下着のようなパンだった」というタイトルで、この記事もまたバズっていた。

   私の知らないところで、オリオン座パンが一人歩きしている。いや、オリオン座パンなんてもう存在しないのだ。世間にはブラジャーパンとして認識されてしまった。

   ・・・ちょっと落ち着こう。

   いま大切なのは、このネット上の大騒ぎに対して店主である私が今後どう対応するかだ。選択肢は二つ。否定するか、しないかだ。

   このままブラジャーパンの存在が世の中に広がり続ければ、どうなるだろうか。“エロパン職人”として私は生きていかなければならない。それは、なかなか勇気がいることだ。

   かといって、「違うんです! これはオリオン座パンなのです」とSNSで公に否定すれば、世間の興味関心が一気に失われていくのは目に見えている。やっぱりロマンチックよりエロチックの方が人の注目を集めるのだ。

   このヴァーチャル空間での盛り上がりは、すぐにリアルにも到達するだろう。こんなことを考えている間にも、お客がやってくるかもしれない。私は急いで厨房でパンを焼き始めた。

「ああ〜、忙しくなるぞ! 」




   予想通り、30分もすると、車が次々と店の前の駐車場にやってきた。狭い店内はお客でいっぱいになり、行列ができはじめた。

「あーっ、本当にあった! ブラジャーパン」
「かわいい!」
「友達の分も買っていこう」
「これ、超インスタ映えしそう」

   飛ぶように売れていくオリオン座パン・・・いや、ブラジャーパン。焼いても焼いても追いつかない。原料もなくなり、あっという間に売り切れてしまった。

   客足が途絶えない中、全身に滝のような汗をかいた純朴そうな若者がやってきた。高校生っぽい風貌だ。ここまで、はるばる自転車でやってきたようだ。

「いらっしゃいませ」
「あの・・・ブ、ブ、ブ・・・ブラジャーパンありますか? 」
「すみません。全部売れちゃいまして・・・」
「ええっ! 」
「申し訳ないです・・・」

   ひどく落ち込んでいる若者に、私は諭すように言った。

「ほら、他のパンはまだありますので、もしよかったら・・・」
「いやっ、ダメなんです。ぼくは、ブ、ブ、ブ、ブラジャーに勢いよくかぶりつきたかったんです」
「そ、そうなんですね・・・」

   若者はブラジャーの部分だけ少し照れながら言った。でも、ないものはない。ブラジャーパンにありつけず生気を失いかけていたその若い眼差しは、何かに気付いた。

「あっ、あれは乳首パンじゃないですかっ! 」

   若者が指さした先にはクレーターパンがあった。まんまるの形をした惣菜パンだ。表面にはクレーターのように見せかけた薄切りの丸いサラミがトッピングされている。なるほど、それに見えなくもない。

「あれは、クレー・・・」
「買います! 乳首パン、ください! 」

   若者の表情がピカーッと輝いた。「また来ます! 今度はブラジャーパン絶対に買います」そう言い残して、鼻歌を歌いながら店の外へと出て行った。こんなにも自分のパンで喜んでもらえるなんて。私はやめないでよかったと思った。

   その後、乳首パンも一気にネットで拡散された。そうして、乳首パンとブラジャーパンは大ヒットを飛ばし、店を代表するパンになった。宇宙ベーカリーは、お客が絶えない人気のパン屋になった。

   私のパンを待っている人がいる。私のパンを食べて喜んでくれる人がいる。それだけでもう十分うれしい。パン職人として大事なことに気付いた私は、“その道”で生きていく覚悟を決めた。

   パンのラインナップはどんどん“そっち方向”に変わっていった。ハムとチーズがたっぷり入った三角の形をした「パンティパン」もベストセラー商品になったし、ビーフカレーのフィリングを詰め込んだ「ブリーフカレーパン」も一部の層に熱烈に支持された。

   パン作りに没頭する日々の中で、宇宙飛行士への未練は静かに少しずつ小さくなっていった。宇宙詩集を開くこともぱったりなくなった。

   ある日ふと思った。「宇宙ベーカリー」という屋号は、もうこの店にも、今の私にも、そぐわないかもしれない。

宇宙ベーカリー @uchubakery   
星屑岬の宇宙ベーカリーからのお便りです。
このたび、お店の名前を変えることにしました。
「宇宙ベーカリー」は、
「ランジェリー・ブーランジェリー」として
新しい一歩を踏み出すことになりました。
今後も引き続き、できたてのパンで
あなたのセクシーを刺激し続けます。
[◎◎県◎◎郡星屑岬1-1 ランジェリー・ブーランジェリー]

   
   かつてNASAの宇宙飛行士を夢見た私は、セクシーなパン屋の店主になった。まったく人生はわからないものである。


(了)

   


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