『葬られた遊び』(短編小説)
アパートの前の通りで、十歳くらいの少年たちが何やら変わった遊びをしている。ビニール傘を天に掲げながら地面から勢いよくジャンプして空中で数回転。着地の時にポーズを決める。回転数と着地のかっこよさを競う遊びをしていた。
気になった僕は少年たちに声をかけた。
「ねえ、それなんていう遊びなの?」
「・・・つむじかぜ遊び」
「へえ。なんで傘を持っているの?」
「傘があると空中に浮きやすいんだよ」
「そうなんだ」
「次は兄ちゃんの番なんだ。ほら見ててっ!」
どうやら少年たちは兄弟らしい。きっとフィギュアスケートのジャンプを真似して遊んでいるのだ。ダブルなんとかとかトリプルなんとかみたいなあれだ。最近の子供はこういう遊びをするのかと感心していると、目の前で、長男と思われる少年が高くジャンプした。
「えっ」
助走もなしに、二メートル以上飛び上がり、トリプルどころか十回転くらいして、ゆっくりと両足でぴたっと着地した。彼の周囲には風速三メートルほどの突風が発生した。開いた口がふさがらなかった僕は、すぐ隣りに立っている弟らしき少年に訊いた。
「ねえねえ、今のジャンプ、何回転したの?」
「十二回転くらいかなあ」
「すごいね!プロのスケーターよりすごいよ」
「兄ちゃんは調子のいい時だと二十回転できるよ」
「えっ、二十・・・」
そう話していた弟も、自分の順番がまわってくると、ぴょんと飛び跳ねて空中で七回転ほどした後、体をY字にして美しく着地した。僕の髪の毛がその風でふわっと乱れた。
「こらっ、あんたたち!」
突然、背後から声がした。少年たちの母親らしき女性が、明らかに血相を変えて現れた。そして興奮気味に言った。
「どういうことなの!?」
「・・・お母さん、ごめんなさい」
「絶対にやらない約束だったでしょ!」
「本当にごめんなさい・・・」
母親の興奮はおさまらない。その矛先は、少年たちだけでなく、僕のところまで向けられた。
「あなた、うちの子たちに何か用ですか?」
「いえ・・・ちょっと遊びを見ていただけです」
「いいですか、ここで見たことは忘れてください」
「あの・・・、正直言って、すごい才能だと思いました」
「・・・いいから忘れてください」
「は、はあ・・」
顔を真っ赤にした母親は子供たちを連れてその場を立ち去った。母親のこわばった表情が目にやきついて離れない。なぜ、あの“つむじかぜ遊び”がダメなのか想像もつかなかった。
帰宅後、僕はネットで「つむじかぜ遊び」を調べた。それらしき情報は出てこない。言葉を漢字やカタカナに変えて検索しても、求めているような内容はなかなか見当たらなかった。調べはじめて三日ほど経った頃、国立図書館で二つの情報に辿り着いた。
一つは、昔の新聞記事だった。そこには、にわかには信じられないことが書かれていた。昭和二十七年の夏とある。東京は数十年に一度の暑さに見舞われていた。まだ冷房が普及していなかった時代だったこともあり、特に気温が高くなる都心部では多くの人が熱中症で搬送された。当時、うだるような暑さに支配された東京は非常事態に陥ったのだ。
しかし、傘を持った十五歳の少年『風上一志』が突然現れ、猛暑の東京を救う。記事によれば、少年は銀座四丁目の交差点で、大きく飛び上がり、体を数百回転させて、東京都内に風を発生させたという。少年が回転していた時間は約三分ほど。その風は、少年の汗から発生する気化熱によって冷風になった。
都内の体感気温が三度下がり、多くの命を守ったと書かれている。記事の見出しは「東京を救った十五歳の人間扇風機」だった。
掲載されているモノクロの写真が印象的だった。当時の銀座の街で風が起こっている様子を捉えた写真なのだが、道を行き交う女性たち全員のスカートが重力に逆らうようにめくれあがっていて恥ずかしそうに手でおさえようとしていた。
もう一つの情報も、昭和二十八年頃の古い新聞記事だった。記事の印刷がかすれており、ほとんど本文の文字が読めないのだが、なんとか見出しだけは解読できた。「大流行のつむじかぜ遊び終焉の兆し。その裏で禁止の動き。少年は自殺か。“風上一族”は失踪」とあった。
二つの記事から僕が立てた仮説は、風上一族の一人である少年が銀座でジャンプして風を起こし東京の気温を下げたことで一躍注目され、同時に風上一族の名が知れ渡り、それをきっかけにつむじかぜ遊びが社会現象化した。しかし、何らかの理由でその遊びが禁止され、風上一族も姿を消した。禁止されても密かに遊ばれ続け、次第に姿を変え、今となっては冬季スポーツのフィギュアスケートの一部として生き残っているのではないか。プロのフィギュアスケーターですら四回転が限界なので、あの少年たちの十二回転がいかに異常なのかということだ。
つまり、アパートの前で遊んでいた子どもたちとその母親は、風上一族の子孫なのかもしれない。そう考えれば合点がいく。
それでも疑問は尽きない。そもそも当時なぜ、つむじかぜ遊びが禁止されたのだろうか。なぜ少年は自殺したのだろうか。なぜ一族は失踪したのだろうか。あの母親はなぜあんなにも怒っていたのだろうか。
「よしっ」
僕はひらめいた。自分が実際につむじかぜ遊びをやって確かめてみればいいのだ。そしたら何かがわかるかもしれない。
僕はアパートの四畳半の真ん中で垂直に飛びながら体をひねってみた。何度も何度も飛ぶのだが、これが結構難しい。着地は体がよろけるし、一回転できればいい方だった。あの少年たちの一人は二十回転できると言っていたが、ありえない。同じ人間とは思えない。
その日以来、僕は毎日毎日特訓を重ねた。
一ヶ月が経ち、本格的な夏が訪れようとしていた。努力の甲斐もあって、僕はなんと五回転まで飛べるようになっていた。飛んだ後は扇風機の「中」くらいの風が発生する。部屋は心なしか涼しくなった。風上一族の血をひいていないにも関わらず、短期間でここまで成長できたのは、僕の並々ならぬ情熱があったからに他ならない。数十本の折れた傘と大家からの苦情の手紙が努力の証だ。
その情熱はどこから生まれてくるのか。それはただ一つ。街中のありとあらゆるスカートをめくることだ。“風のいたずら”を人工的につくりたい。
・・・というのは冗談だ。地球温暖化を救うためだ。僕は三度の飯より地球温暖化のことを心配している人間だ。モルディブを海面上昇から救いたい。北極の氷をこれ以上溶かさない。日本列島の熱帯化をストップしたい。この愛する宇宙船地球号のために僕は立ち上がらなくてはならない。・・・ということに表向きはしておく。
一年後。努力の甲斐もあり、僕は百回転できるようになっていた。ウェイトレーニングで足腰を鍛え、さらに食事制限によって体をできる限り軽くした成果が出たのだ。
その年、東京をはじめ世界中で記録的な暑さを記録していた。地球規模の異常気象だった。気象予報に寄れば、何の因果か、昭和二十七年の猛暑を思わせるような夏だという。
僕は、体感気温四十五度を超える真夏の銀座通りを歩いていた。多くの人々は外を出歩かず建物の中で過ごしていたので、いつもの銀座の賑わいはない。ジリジリと街の全てを溶かしてしまいそうな容赦ない陽射しを浴びながら僕は思った。
「今しかない」
特訓の成果を見せる時がきたのだ。これからこの街を冷やし、この国を冷やし、この惑星を冷やそう。そして僕は世界の英雄になる。
銀座四丁目の交差点の真ん中で、僕は開いた傘を空高く掲げ、体をひねらせながら躊躇なく飛び上がった。周囲の人間たちが僕のことを奇異な目で見ている。頭のおかしいやつだと思って見ているのだろう。
「まあ見ていろ、わが偉大なる力を・・・」
僕は銀座上空約五百メートルの地点まで一気に飛び上がった。
超高速で体を回転させた。自分を円の中心として、風が渦のように徐々に広がっていく。体中から汗が吹き出す。汗の気化熱によって風は次第に冷たくなっていく。
三分ほど回転を続けると、街にまとわりついた熱が和らいだ。涼しくなった銀座通りに自然と人が戻ってきているのが見えた。
「まだまだこれからだっ!」
さらに速度を上げながら僕は一時間ほど回転し続けた。どんどん風が巻き起こる。計算上、この回転のエネルギーは北極と南極にまで届いているはずだ。
「・・・もうダメだ」
体力の限界を迎えた僕は、徐々に回転をゆるめながら、少しずつ地上に落ちていく。傘の力で重力に抗いながら、僕は銀座四丁目の交差点のど真ん中に、降り立とうとしていた。待ち構えていた観衆は、固唾をのんで僕を見守っていた。
ストン。
僕が両足を揃えてトの字ポーズで格好良く着地した瞬間、集まった観衆から大きな拍手が起こったのと同時に、足元から渦状の鋭い風が巻き起こった。すると、女性たちのスカートがいっせいにまくれあがった。あらわになった銀座美女たちがいっせいに顔を赤らめた。銀座の街は涼風と赤い彩りに包まれた。なんというシュールな風景なんだろう。
体力を使い果たし、脱水症になりかけていた僕は、その場で倒れた。
その後、「地球を暑さから救った傘男」として、僕は“時の人”になった。銀座の一件は、国内にとどまらず世界中のニュースで取り上げられ、各種メディアから取材依頼が殺到、テレビ・CM出演のオファーも腐るほど舞い込んだ。出版した本はミリオンヒットを飛ばし、ファンクラブまで設立された。僕の半生は映画化され、世界三十ヵ国で三十言語に翻訳されて公開された。アメリカの大統領に接見し、中東の富豪から宇宙旅行のメンバーに誘われた。与党からは環境大臣のポストを用意すると打診された。住む場所もアパートから億ションに変わった。
わが世の春を謳歌している僕に、ある日、辛口気象予報士が噛みついた。
「温暖化が和らいだのは彼のおかげではありません。この惑星は、もともと温暖化と冷涼化を繰り返しています。銀座の出来事も、その日がたまたま温暖化のピークを迎えた瞬間であり、冷涼化へと切り替わる瞬間でもあったのです。いずれ地球に氷河期がやってくるでしょう」
その気象予報士のデタラメ発言をきっかけに、わかりやすいくらい僕のまわりから人が減っていった。本は古本屋に山積みになり、ファンクラブは解散し、宇宙旅行のメンバーはキャンセルの連絡が来た。「傘を持った詐欺師」と呼ばれるようになり、イメージが大切な政治家への道も絶たれた。街を歩いていれば子供から石を投げられた。
天国から地獄に突き落とされた僕は、狭いアパートに戻り、ひきこもるようになった。生きているのか死んでいるのかわからないような日々。いっそのこと死んでしまいたいと思った。毎日をぼーっと過ごしていると、ふと、風上一族のことを思い出した。そうだ。同じなのだ。昭和二十七年、彼ら一族が一瞬にして表舞台から消えたのと重なる。
「ピンポーン」
その時、インターフォンがなった。またピンポンダッシュなどの嫌がらせかと思って覗き穴から外を見ると、白髪の老人が立っていた。僕はドアを開けた。
「あの、何かご用ですか?」
「俺が誰かわかるか?」
「えっと・・・どなたですか」
「お前さんと同じことをして表舞台から姿を消した男だ」
「え?」
「ずっと世間は、俺が自殺したと思っている」
「まさか・・・風上一志さん?」
「ああ、以前はそんな名前だった」
「とりあえず入ってください」
僕は老人を家に上げた。
「お前さんが銀座で“あれ”をやったのをニュースで知った時、俺がどれだけびっくりしたかわかるか?」
「・・・」
「約六十五年前、俺がやったことを再現したんだ。お前は」
「・・・はい」
「俺が表舞台から姿を消した時、一族の中で“つむじ風”は禁止された。そしてそのまま、つむじ風のことは世間から忘れ去られたはずだったんだよ」
「そういうことだったんだ・・」
「しかし、問題なのは、なぜ一族でもないお前があの力を持っているのかということだ。今日はそれを聞きにきたんだ」
「実は・・・」
僕はすべてを老人に話した。アパートの前で少年たちが遊んでいたのを見たこと、少年たちの母親が言ったこと、国立図書館で見つけた新聞記事のこと、一年かけて練習したこと・・・。老人は黙って最後まで聞いた後、つぶやいた。
「お前は一族の人間なんだよ」
「えっ」
「苗字は何だ?」
「田中です」
「じゃ、お前の母方の実家の苗字を言ってみろ」
「笠に上と書いて笠上(かさかみ)です」
「・・・やっぱりな。お前の母親の実家の苗字は、もともと風に上と書いて風上(かざかみ)だったんだよ」
「苗字が変わったってこと?」
「そうだ。お前の祖父母が変えたんだろう」
「なぜ変える必要が?」
「一族と知られないためだ」
「ああ・・・」
「当時、俺たちの能力を恐れた連中が、一族を根絶やしにしようとしたんだ。それを知った一族の人間たちは全国にバラバラに散らばって身を隠したんだよ」
「・・そうだったんだ。ってことは自分も危ない?」
「もう随分昔の話だからな、今はどうだろうな・・・。ただ、あの気象予報士は、当時俺たちを狙っていたヤツらの子孫かもしれん」
「・・・」
「まあ今回、正直、俺はうれしかった。お前を見ながら、あの時の自分を見ているみたいだった」
「あの、一つ聞いていいですか?」
「ああ、何でもきけ」
「昭和二十七年の夏、なぜ銀座でつむじ風を起こしたのですか?」
「それはな、猛暑の東京を救うため・・・・・ではない」
「ではない!?」
「銀座を歩く美女たちのスカートをひらひらと風に泳がせるためだ」
老人は超真剣な真顔で語っていた。ずっこけそうになった。僕は間違いなく、この老人と同じ血をひいていると思った。
(了)
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