『まっしろなピュー』(超短編小説)
やっぱりそうだった。空に浮かんでいた白色のそれはピューだった。その謎の物体は、ここのところ毎日のように私の前に姿を見せる。いつだってドローンみたいに空にぷかぷか浮かんでいる。
マンションのベランダで洗濯物を干している途中、私はピューの優雅な空中浮遊に目を奪われてしまった。ひょっとしたらピューは生きているのかもしれない、なんて思いながらしばらく見とれていたら、空に溶けるように消えた。
私はたまに一点の何かをじっと見つめたくなることがある。なぜかはわからないが、幼い頃からそうだった。小学生の時、壁にいた小さな蜘蛛をじっと三時間くらい目で追ったことがある。暗い思い出だ。
ふと物干し竿の端に何かの物体がくっついていることに気付いた。そっと近づいてよく観察してみると、それはついさっき空に溶けたはずのピューだった。遠くから見るのとはずいぶん印象が違う。
何と表現すればいいだろうか。この地球には決して馴染めないような違和感のある姿をしている。クリオネに少し似ているかもしれない。全体的に白くて体が透き通っていて自ら少し発光している。すごい、やっぱり生きているんだと確信した。
チャンスとばかりに、気付かれないように手を伸ばしてピューをやさしくつかんで手の平にのせてみた。ピューの感触は言葉では形容しがたいものだった。数秒後、ピューは煙みたいにふわ〜っと消えた。
狐に化かされたような気分だったが、私は気を取り直して、残りの洗濯物の作業を再開することにした。
最後のTシャツを物干し竿にかけたところで、私は気付いた。今度はピューが部屋の中に浮いているのが窓ガラスごしに見える。よしとばかりにベランダの戸をそっと閉めてピューを閉じ込めた。
室内に入って、目線の高さにふわふわ浮いていたピューに、ふうっと息を吹きかけてみると、驚いたような動きをして、ゆらゆらしながらクローゼットの中に入っていった。
ちょっとにやけていると、オッドアイの黒猫がベランダを通りかかって、妖怪を見るような目でこちらを一瞬にらんで走り去った。なんだよ。
そういえば。だいぶ前の話だけど、月刊ヌーで未確認飛行物体の特集が組まれていて、そこには「ピューは迷子になっている人の前に現れる」と書かれてあって、ピューをしょっちゅう見る私は軽くショックを受けた。
私の死生観はちょっと歪んでいる。人は生と死の間に境界線をつくろうとするが、そんなにくっきりとわけるものではないと思っている。死は生と県境のようにつながっていて、いつか肉体が滅びても私はそのまま生きていると信じている。
以前、一度心臓が止まって二十分後に奇跡的に生き返った人と話したことがある。その人は心臓が止まった後、「00時00分。お悔やみ申し上げます」という医者の声を聞いたらしい。その後の家族の泣き声も話し声も覚えていると言っていた。
それを聞いた私は、なぜだか涙が出た。なぜかというと、一度生まれてきた生き物は無にはならないってことがわかったから。私は死よりも無が怖い。だから嬉しかった。
こんな暗いことばかり考えているから、私にはピューが見えてしまうに違いない。そう、月刊ヌーに書いてあった通り、私は迷子なのだ。命という迷宮をさまよう流浪の民なのだ。
・・・認めたくないけれど私は愛に飢えているのかもしれない。
翌日の夜、私は駅前の裏路地にある安い居酒屋にふらっと立ち寄った。一杯だけ飲んですぐに帰るはずが、気がついたら空のビール瓶が5本も目の前にあった。めずらしく泥酔した私は勘定を済ませ、頭を冷やそうと思って店を出た。
「ああ〜、悪酔いした。慣れないことはするもんじゃないなあ」
気持ち悪くなって意識が朦朧とする中、千鳥足で数メートルふらふら歩いてから、私は路地にぶっ倒れた。
「ああ〜、ピューはいらない。愛をください」
そんなことを、私は何度も大声で叫んでいた。酔っ払いの意味不明な独り言ほどタチの悪いものはない。通りがかる人みんなが私を避けるように歩き去っていく。そんな中、銀色の服を着た男が声をかけてきた。
「大丈夫ですか? ものすごく顔色が悪いですよ・・・」
(了)
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