22.09.08_TAGOE活動記
葉山の近代美術館でアメリカの写真家アレック・ソスの展覧会が開催されている。6月末から始まって、行こう行こうと思いつつも、今夏は自分にとってはアウトプットをしっかりやる時期でもあったので、あまり影響も受けたくなく、一つの方法案で固めていく時に、別案が他人の展覧会を見たことでちらついても嫌だなという気持ちがあり先延ばしにしていた。しかし、このまま先延ばしにすると行かなくなるかもと思い、今日の午前中に小一時間ほど見ようと向かった。まぁ、気持ち的には制作がひと段落して、今はあたらしい方法案も試行するべき時期ということで。
個人的な感想としては、すばらしい写真だが、それ以上でも以下でもないかなというのが正直なところ。"写真のことを写真で考える"という近年のシリーズは、未知な感じがあったけど。ただ、参考上映されていたソスのドキュメンタリーが良くできていて、ソスが写真を作る前後で、どれだけ内省的で詩的な時間を持っているかが分かり、大判カメラを抱えて、被写体の前に据え置き、黒幕を被る姿が悪く言えばぶざまで、良く言えば夢中で、なんか勇気づけられる。自分が写したい被写体、人でなくとも、それは自分にないもの、自分より大きいと自分が感じる存在、自分にとって未知なもの、そういったものに心が動かされるというのは僕も分かる。そこで、あのアレック・ソスといえど、不安定な自己をさらけ出さざるを得ない姿は、何かぐっとくるものがあった。
さて、余談が長くなりましたが、今日からTAGOEの5期がはじまりました。もう5期、ちょっと継続的な時間を感じられるような響きになりました。ほぼオールメンバーの参加で、じゃあテーマを決めようということで、はじめからお菓子をほうばりながら話し合い。前回がゾンビということで、身近なものではなくて、空想をめぐらせながらの活動だったので、今回は身近なものをテーマにしたいとなんとなく思っている。前回くらいまでは、めちゃくちゃで好き勝手な発言でテーマ案が次々出てきたのに、みんなどこか遠慮がち。やっぱり随所に大人の階段を昇ってしまっている感ある。アサキやキホが映画を作りたいだとか、お芝居がしたいと言うので、じゃあオーディションぽく即興劇をやってみようということで、設定はマクドナルドの注文の場面を店員とお客に分かれて二人で演技をしてもらう。お客は注文した商品のメニューに対して所持金が5円ほど足りないという設定。5円足りなければ、それで注文を止めるのか変えるのか、交渉をするのか、近くの誰かに頼るのか、そういった展開があるよね?と、投げてみる。僕もそうだったと記憶するけど小学校低学年くらいだと、社会の一員としての大人の役割になりきりたい欲求がある。それをお芝居というものが、手軽に実現させてくれるのは分かるのだけど、そのだいたいが、役割に対して解像度の粗いおままごとになる。それは、一応大人の僕から見ると、大人の社会の劣化したものに映り、あまり魅力的なものではない。やっぱり、自由な感性が社会的な場所を求めるということで、必然的に縮こまってしまうことはあるのだろう。しかしひとまず、店員とお客のリアルさについて、ちょこちょこ僕がツッコミを入れてみることにした。お金足りないお客さんがいたら、簡単にそうですか、とは言わないんじゃない?とか。より社会を教えているような気がして、どうなんだろうとか思う。
と、お芝居に延々と付き合っても、5期のテーマは決まらなそうなので、一旦それは終了して、今日中に決めると発破をかける。映画を作るにせよ、お芝居をやるにせよ、基本的にはテーマがなければ作れないのだし。ということで、TAGOEにとって身近なものといえば、川。という会話が出てくる。そもそもTAGOEも田越川からいただいた名称だし、川って僕らの活動場所のビルの目の前に流れていて、確かにあるのだけど、どこか忘れられているような、自然であって自然でないような不思議な存在。でも、川をテーマにすれば、川にまつわるお話を創作することもできるし、地域の人たちに川にまつわる記憶を語ってもらっても良いし、フィールドワークもできるし、川にてパフォーマンスなんかも可能性としてはあるかもしれない。どちらにせよ、室内に閉じこもるよりも、実際に川に行ってみようよとなるのだろうから、そうすれば未知な側面に出逢うことができるのかもしれない。ということで、幾人かは乗り気でないような感じもあったけど、しんくんが言うなら仕方ないからやってあげるという発言もありつつ、でも楽しそう!という声もありつつ、5期のテーマは『川』に決まる。