見出し画像

遠隔地で実務補習を受けた時の思い出

こんにちは。タガックスです。
先日の試験に合格した方は、今まさに実務補習の真っ最中!という方が多いのではないでしょうか。 

私は、5日間コースを3回受けて診断士登録をしました。
その中で特に思い出に残っているのが、仙台で受講した2回目の実務補習です。東京在住で、東北には縁もゆかりもない私がなぜ仙台で受けることになったかというと、ギリギリで申込をしようとしたら東京地区は満員で締め切っていたんですね…。その時点で大阪・名古屋も締切済。まだ受付中の地区の中から、東京から一番近い仙台を選んだというわけです。
きっかけは事故みたいなものでしたが、結果として受講してよかった!と思える実務補習でした。
今日はその時の思い出を書いてみたいと思います。

思い出その1.地区によって違う?実務補習の雰囲気

東京では、1回の実務補習に数百人が参加します。。それに対して、私が受けた時の仙台の受講生は全部で15人弱、班は3つでした。
そんなわけで初日の集合時には全員が自己紹介したり、修了時には県協会長から直々に一人ずつ修了証を授与していただいたりと、とてもアットホームな雰囲気でした。社長への報告日前日に、協会事務所の1台しかないコピー機を3班で譲り合いながら使ったのもいい思い出です。
また報告書を作る際に「忙しい社長でも全部目を通せるように簡潔に」という指導教官の指示で、ページ数を東京の半分くらいに抑えたことも印象に残っています。指導教官個人の方針も影響するのかもしれませんが、報告書が最終的に協会のチェックを受けることを考えると、県ごとの方針が若干異なるのかもしれません。 

思い出その2.いろいろな土地からきている受講者と知り合える

仙台の受講生の多くが宿泊での参加者でした。私の班は栃木、青森、東京などから参加している人がおり、毎日の補習が終わった後はそのままみんなで夕食に行っていろんな話をしたものでした。遠くから来ているにも関わらず、当然ながら観光する時間はないので「せめて食事だけでも仙台らしいものを!」と、毎日牛タンの店を開拓していた記憶があります。


思い出その3.その土地ならではの中小企業事情を体感する

私が2回目の実務補習を受けたのは2015年夏、診断先は福島県南相馬市の企業でした。
東日本大震災から4年、原発事故の影響を受け、長年懇意にしていた顧客や頼りにしていた従業員が町を去ったり、東電の賠償金による一時的なバブルが起こったり、様々なアップダウンを経てきた会社でした。それでも仕事に誇りを持ち、地元で会社を続けて行こうとする社長、自分たちではどうしようもない震災の影響に頭を悩ませる従業員など、おそらく東京で受けていたら知ることのなかった様々な想い、苦悩、そして希望に触れました。
私自身は家族が転勤族だったため、明確に「地元」と言える土地がありません。そんな私にとって、未曽有の災害を受けた地域に留まって事業を続けようとする社長と、そんな社長についていく従業員の方の姿はとても眩しく、またそのモチベーションはどこから来るのか興味が尽きませんでした。
ヒアリングをしながら、また報告書を作りながら「もし自分がこの会社の経営者だったら会社を続けようとしただろうか?」「地元に貢献するってどういうことなのか?」など、いろんなことを考えてしまいました。
答えはまだ出ていません。ですが、短い日数とはいえ、直に見聞きし、考えて悩む機会を持てたことは本当に勉強になったと思っています。

 

おまけ:大変だったこと

いろいろと思い出深かった仙台の実務補習でしたが、大変なこともありました。

・お金がかかる!
受講料5万円に加え、新幹線代2往復分、宿泊費5泊分等々を合計すると、かかった費用は10万円を超えました。仙台での実習が勉強になったので、「3回目は福岡にチャレンジ!」と考えたこともあったのですが、費用面を考慮して断念しました…。

・その後のつながりを保つのは難しい
前述の通り、班のメンバーはそれぞれ遠隔地から来ているので、終了後も頻繁に接点を持つのは難しいです。私も残念ながらその時のメンバーとはその後連絡を取れていません。せっかく濃い5日間を過ごした仲間なので、繋がりが切れてしまったのはもったいなかったなあと今でも思います。 

というわけで、とりとめもなく書いてしまいましたが…。

夏以降、2回目の実務補習を受ける方は、選択肢の一つとして遠隔地でも受講もありかもしれません。
「せっかくだからいろいろな経験をしたい」という方にはオススメです!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?