プロフィール

みなさんこんにちは。tag.近藤です。初noteです。
今年は色々大変でしたが、立ち止まって考える時間が多い一年でした。
自分が残せるものは一体何かということも考える時間もありました。
そこで今までの経験を東京に行く資金やあてもない、でもプロのアーティストとして食べていきたいと思っている人、アーティストのマネージャーをやってみたいという人に少しでも役に立つかもしれないと思い今までの経験や感じたこと、地方でアーティストと暮らすことのメリットデメリット、これからの時代を生き抜くには、を記しておきます。

■自己紹介と今の仕事を始めるまで

・簡単な自己紹介

​名前は近藤健士(よくケンジと間違われますがタケシと読みます)と言います。現在はtag.という屋号でTSUNEIというアーティストのマネジメントを中心に活動しています。今のところまだ個人事業主です。
1983年早生まれ。高3の引退まではサッカーに明け暮れる毎日で卒業後上京。大学時代を振り返るとバイトしまくり、遊びまくりでもっと自分のために勉強しとけばよかったなーと今では後悔しております。。ただ単に東京に出たかったっていう不純な動機がよくなかった。

大学卒業後に渋谷駅の真ん前にあるレンタルが有名なお店のCDフロアで約8年ほど働く。担当はR&B、ヒップホップなどブラックミュージック全般でした。ここでの経験はいろんな音楽を知る上では本当に大きかった。ワンフロア(厳密にいうと2フロアでしたが)展開で全ジャンルの音楽が集まっている環境なので商品出しとかするとアーティスト名も覚えるし新譜サンプルとかも全ジャンル(全商品ではないですが)くるので聴かせてもらったりもしたし、メーカーの営業さんからオススメで発売前に聴かせていただいたりとかもしました。

場所が場所だけにメジャーメーカーさんはみなさん営業に来られますし、インディーズレーベルの方もよく足を運んでいただいてました。メジャーインディー問わず多くのアーティストさんとも来店時にはお話させていただける機会もありました。結構好き放題やらせてもらったので今思い返すと売上にならないものとかも入れたりしてすみませんでした。。でもいい音楽を少しでも広げるのがCDショップの使命だと思っていたのでこれは譲れなかったです。
(ちなみに子供の頃はテレビの音楽番組がまだまだたくさんあったのでJ-POPに育てられたと思います。ミスチルとかはコンサートに行くほどめちゃくちゃ好きだったし、中学生ぐらいまでに聴いた音楽は多分イントロドン(古い?)できるはず。高3の時に地元の友達がバンドを組んでいたのでライブを見に行ったり、夜遅くまでそいつらと一緒にいたので自然と洋楽とかテレビ以外の音楽を聴くようになっていった気がします。大学生では友達の友達がラップグループをやってるからとクラブに行きだし自分でもDJを始めたり、MPCを買ってサンプリングトラックを作ったりとより音楽に触れる機会が多くなっていきますがこれはまたの機会に。)

その後、色々と業界に変化が起きCDだけではなかなか売上が立たないということで各社あの手この手の商法が始まるのに少し嫌気がさし辞めようと思い立ちます。
とはいえ何をしようか特に決めておらず思い立ったが吉日って感じで辞めることだけ上に伝えて転職活動を始めます。何かをやりたくて辞めたっていうよりただ辞めたいっていう気持ちの方が先行していたんだと思います。30歳手前でしたし新しいことをしたかったというのもありました。

・origami PRODUCTIONSとの出会い

そのCD販売業界内で変化が起き出したタイミングでとあるインディーレーベルの代表の方と出会います。
そう、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの活躍を見せている多くのアーティストが所属しているorigami PRODUCTIONSの対馬さんです。

当時(かれこれ10年ぐらい前)から業界の悪い慣習を変えたい強い思いと子供が大人になった時に聴ける"自分のレーベルの音楽だけではない"より良い音楽を多くの人に届けたいという強い意思を持っていました。それは今でも全くブレてないですし、むしろさらに強くなっている気がします。ラジオやドネーションの動きなどを見れば明らかかと。なぜ対馬さんがすごいかはまた近くにいた人間として今度時間がある時にでも書きたいです笑

お店に対して色々展開のお手伝いをしていただいていたり、所属していたSWING-Oさんが主催のBPM100以下の曲しかかけちゃいけないイベント「MY FAVORITE SOUL」でDJをやらせてもらったりと仕事外でもorigamiにはお世話になっていたので、辞める相談&遊びに行く感覚で事務所に訪れ何か仕事があれば紹介してくださいねーみたいなノリで最初お会いした気がします。自分自身も特にレーベルで働くとかマネージャーをするとかっていうことはそこまで考えてなかった気がします。

それから少し日が経ち色々と自分が将来どうなっていきたいかを想像し、なんだかんだ社会に出て今まで支えられたのは音楽の力が大きいなと思いorigamiで働くことを意識しだします。業界だったらどこでも良かった訳ではなくorigamiで働くことを。そしてもう一度対馬さんの元へ。当時は今でもスタッフとしてバリバリ働いている2人がインターンを経て働きだしたばかりでもう1人雇うのには手一杯という状況で一度お断りされました。

今思うと働いてみて感じたのは近いようで全く違う業界なので僕が入ったとて1からのスタートになる状況を考えると当然っちゃ当然ですし特に募集もしておらず雇う予定のない人間を1人雇うっていうのは会社にとって大きな決断になったのではないかと思います。
とはいえ何かを変えるお手伝いをしたい、自分としてもチャレンジしてみたいという気持ちが強くもう一度お願いして無理をして入れていただきました。

そして2013年からorigami PRODUCTIONSのスタッフとして働きだします。origamiの所属アーティストは自身のアーティスト活動以外にも外部アーティストへの楽曲提供、プロデュース、アレンジ、サポートミュージシャンやCM音楽・映画ドラマサントラを手掛けるなど多岐に渡ります。今でも変わらないようですが、1アーティストに1人マネージャーがつく訳ではなく一つの仕事に対して担当が決まるというスタイルなのでそれぞれのアーティストの性格やアーティストとしての特性を最低限は理解していないといけません。レーベル運営も同時進行なのでアーティストの作品リリースタイミングではラジオ局や出版社、お店に枚数調整の電話をしたり実際に足を運んだりとスタッフ全員で手分けをしながら行います。
origamiでいろんな仕事をできたのは本当に財産で、わずか3年でしたがかなり濃密で社会人としてのスキルはここで培われましたし、いまだに活かされている部分が大きいです。対馬さんという偉大な人の背中を間近で追いかけられたのは本当に良かった。

■地方移住
・某テレビ局関連会社時代

3年というわずかな年月ながらも濃い経験を経て一身上の都合により地元の新潟に移住します。
某テレビ局の関連会社に入社し、局内にタレント事務所を1からほぼ1人で作るという今覚えばなかなか難しい仕事に取り組みます。

実際に動いてみるとやはり難しい部分が多く、できない事が結構多かったように感じます。しかもタレント事務所なので音楽に関わる仕事を全般に行なっていた身としては勝手が違う部分も多く苦労しました。
所属タレントを見つけるところから始めてさらにタレントの育成をしなければいけないというのは本当に大変でした。さらに勝手が皆さんわからないので短い期間で結果を求められます。それでも局内ではみなさん本当に良くしていただき、あの手この手を尽くしてくれようとしていただいたのは本当に助かりました。
とはいえ、origamiを辞め、地元に戻ったのは志半ばのような部分もあり、また音楽に関わる仕事はできないかと考え出すようになります。

・フリーランスになる道を選ぶ

これは完全に自分の問題なのですが、上司となかなか連携が取れず信頼関係をうまく構築できなかったことであちこちのボタンの掛け違いが生じてしまいもはや何を着ているのかさえわからなくなってしまっている状況が起こってしまいました。
もうこの信頼関係は修復不可能でしたし、ここに時間を割くより自分が本当にやりたいことは何かという自問自答を続けフリーで働くことを選択します。当時は精神的にも疲弊していて少々人間不信にも陥っていたのでどこかの会社に転職して働くというのは難しかったというのもあります。

しかし、いざフリーになってみたものの当然うまくはいきません。副業としてアルバイトを始めたもののどっちが副業かわからなくなる始末。。ちょこちょこと仕事は入ってくるもののメインとはとても言い難い辛い日々が続きます。

・TSUNEIとの出会い

そんななか、マネージャーがいなくなるから業務委託で手伝ってくれないかと当時TSUNEIが所属していたナオプランから連絡をいただきます。

現在はTSUNEIと二人三脚で地方で生き抜くにはどうしたらいいか頑張っております。

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