UXデザインとの出会い。ありがとう、JJギャレット。【Web30年史】2005-06
デジタルデザインの未来をWeb30年史から考える。今回は2005〜06年頃の出来事を中心に振り返ります。
Webのあり方とデザインの考え方は常に広がりながらも、比重が変わっていくような時代でした。Flashコンテンツの隆盛はピークに入りつつ、デジタル上のマーケティングの考え方も進化。Googleの進化によって、SEOや解析なども浸透。アプリケーションとしても同時並行で進化していく。UXデザインという言葉も、海を超えて少しづつ日本にやってきはじめていました。
その頃FOURDIGITは…
メンバーが30人を超え、組織として動かなければならない規模になっていきました。専門性を持ったチームをつくり、マネジメントラインをつくり、評価とか連絡網とかそういうものを作り始めていました。
デジタル広告の広がり
いわゆるウェブ広告・インターネット広告と呼ばれる領域(Google リスティング、Yahoo Overture、ディスプレイ広告)が大きく成長しはじめ、データによると2004年から2005年で約1.5倍の出稿額になっています(くわしくはこちらに解説があります)。
いわゆるWeb広告が成長した時代です。
ディスプレイ広告もFlashのおかげでどんどん過激になり、最終的には迷惑極まりない表現も平気でやられてました。むしろ、どうやって派手に見せるかを競い合っていた頃。
消費行動なんて無視して、とにかくデカくインパクト重視!
メディアにスクリプトを組み込んで、バナーにロールオーバーすると全画面ジャックしたりして。鉄人が飛び出したり、バナーから侍が出てきてコンテンツをぐちゃぐちゃにしたりしてました。なんじゃそりゃ。w
でも、それでよかった。なんじゃこりゃ!ってなったけど、楽しかったし、インパクトがあった。
僕も何か起こりそうな広告を見るのが好きでした。
(なかなか当時のものが発掘できず…。こちらはもう少し後のものですが、広告バナーのいくつかが連動していて反応すると前面にドカーンと領域を超えて表示される仕組みです)
Webのトラフィックは、全体的にまだ広告モデルだったように思えます。
Webアプリケーションが進化したとはいえ、ほとんど情報の流通が主だったし、まだECやツールも今ほど便利じゃなかった。クックパッドやカカクコムなんかも広告モデルだし、コンテンツで呼び寄せて広告で刈り取る。
この考え方以外にマネタイズする方法をあまり発明できていませんでした。有料ツールも特に払っていた記憶がないし、まだWebツールに課金するという感覚はなかった。むしろ一般的には、i-modeの着せ替えとか着メロの方がみんなお金を払っていた。
広告モデルもメディア枠の販売がメインだった。そんな中、検索のリスティング広告は強かった。
そりゃあ、検索してるんだから僕これ欲しがってますよ、って自分から言ってくれるようなもんだ。そこに広告出したいですよね。最適な広告面をユーザーが勝手に生み出してくれるんだもん。Google強い。圧倒的に別次元の戦い方をしていた。
他社にはできないビジネスモデルを持ってGoogleは、Web世界のリーダーカンパニーになっていく。
GoogleがWebを牛耳る仕組み
検索して見つけることが当たり前になってきたころ、人々や企業はWebサイトを作っても作っても、砂漠の一粒・大河の一滴にすぎず、見つけてもらえない、存在すら認識してもらえないことも分かってきました。
カテゴリ検索ももう多すぎて無理。代わりにGoogleの「キーワード的なものを言ってくれれば重要そうなものを探して出すよ」というやり方に切り替わった。
ここを握ったGoogleの凄さがある。
つまり、キーワードを入れてもらって、そのあと出すのはGoogle側のルール、Google次第!ということになってしまった。だから、Googleさんが出してくれるようにしないと見つけてもらえない。
Googleに嫌われたら、大河の一滴は、見つけられずに終わる。
Google or Die。
僕たちWebプロダクションは集客のところはあまり関与しないことも多かったですけど、それでも検索順位をどうにかしたいという話はよく聞きました。サイトを作ったけど誰も見ないし、知られないから、どうにかプロモーションをしたい。切実。クライアントさんと話してると集客の準備をしていないこともあった。
そういうときは、Webサイト作るのはいいとして、どうやって集客しましょうかね?という議論になる。媒体面も増え高度になっていくWeb広告、当然専門性が必要とされる。その専門代理店であるオプトは2004年にJASDAQに上場している。
もちろんお金をかけて、Web広告、ポータルサイト、リアルでは交通広告、雑誌、新聞、テレビなどの媒体から、見る人を呼び込むことはできる。
ただ、Webに関わる人たちは、SEO(Search Engine Optimization)を意識する必要もあった。コンテンツが正しく、有用であるか、ドメインに信頼性があるか、などをGoogleのロジックによって判定される。
見た目の話でなくドメインやソースコードの話もある。そして、たびたび起こるGoogleの検索ロジック変更。そこで順位がガタガタと変わってしまう。
Googleも検索ロジックは絶対に明かさない。SEOも素人が適宜やればいいということでもなく専門性が必要とされビジネスになった。
「検索順位上げたいです!」「分かりました〇〇円でやりましょう」ということです。
さらにGoogleは「Google Analytics(Web解析ツール)」「Google Web master Tool(検索解析ツール)」を無料で提供する。
……こういうところめちゃくちゃGoogleはすごいですね。誰なんだろう、こういうこと考えんの……。
後から考えるとプラットフォーマー戦略なのかもしれないけど、リアルタイムで乗っかってしまう側としては、わーい!無料!って感じで使ってしまう。
そして、数字が分かれば分かるほど、どんどんSEOを無視できなくなる。オーガニック、ダイレクト、リファラルなどの言葉が使われ始めます。
こういう無償提供の勝ち筋は昔からあります。ちょうどいいタイミングでちょうどいいものが無料でそこにある時、人は手に取ってしまう。無料の提供は先行投資型になるので、強いリーダーシップと戦略性がないとうまくいかない。
そして困ったことに、ヒエラルキー型の組織や合議型の組織だとこういう不確実性を孕んだ稟議が降りづらい。
Flash 2004MX の世界
Webのコンテンツがどんどん魅力的になっていったのは前述の通りだが、Flash2004MXが発売され、いよいよ全盛期が始まっていきます。
そして、Flashを提供していたmacromedia社が、Adobeに買収されます。Adobeは一般にはあまり知られてないけれど、僕たちクリエイターにとってはかなり馴染み深い。クリエイティブに関わるデジタルツールあらゆる角度で提供している。しかもそれは2020年の今でも高いシェアを持ち成功しているし、デジタルマーケ全般にも広がっています。
Flashは、グリグリ動きまくる表現や派手な演出だけでなく、アプリケーションを構築できるという性質もあったので、ツールとしての活用も進んでいく。
例えば、E-ラーニングのようなインタラクティブな学習コンテンツ、営業販売ツール、サイネージに使われる案内コンテンツなど。プラグインさえあればどこでも動く環境を提供しているという強みは発展性があった。
2006年にはAS3.0になり、FLEX builderも作られ、クラスベースの言語としても成熟されていく。
FlashベースのE-コマースもあったし、AmazonAPIを利用してフロントエンドはFlashというサービスもあった。RIA = Rich Internet Applicationという言葉が浸透して、インタラクティブなフォームシステムなども流行った。透過動画でサイト上に人が出てきて、入力フォームを案内してくれるものもあった。
FOURDIGITも当時、住宅のカスタマイズツールをFlashベースで構築して提供していました。複雑な申込手続きを簡略化したり、接客のための動画やインタラクティブなコンテンツを盛り込んだり、組み合わせミスなどを防ぐためのアプリケーションでした。
なので大きな2つの潮流である、リッチな表現、リッチなアプリケーションの両方のプロジェクトをやっていたことになります。体系化やオペレーション化する前だったのであまり区別もはっきりしていなかった。
動画コンテンツがじわじわと広がりはじめる
2005年。YouTubeが開設。
ブロードバンドも速度が早まるとコンテンツはやはりリッチ化の方向へどんどん進んでいく。動画の登場だ。
それまでインターネットには動画というものがあまりなかった。当時は配信するサーバーにもすごくお金がかかった。まだAWSもない、クラウドサービスも進んでない。そんな中のYoutube。
動画を配信するなんて無料でやるとすごく損しない?
って、思ってるうちに2006年にGoogleが買収した。
ちなみに2006年は、アメリカのWeb上のトラフィックで、Yahooを抜いてGoogleが1位をとった年。その後2012年、GoogleとYouTubeはトラフィックの1位、2位に。
今はYouTubeだけで売上1.5兆円企業。なんということでしょう。
日本のニコニコ動画やVimeo、いろいろと動画プラットフォームはあった。あったけれど、Google、YouTubeの前には小規模プレイヤーにならざるをえません。
サービスの鉄則である、1位は金塊、2位が小物、3位は死というやつか。
動画が普及すると、Flashコンテンツにも動画が盛り込まれ、表現の幅がさらに広がっていきました。
JJギャレットの5階層構造
UXデザインは90年代からじわじわと必要性を高めていったが、Webの世界で広がっていったのはJJギャレットの功績だと思います。
JJギャレットはAdaptivePathというアメリカのIAコンサル会社のCo-founder で、AJAXの名付け親でもある有名人です。UXのメソッドやモデルは、いまや山ほどありますが、少なくともWebではこれが元祖といえるんじゃないでしょうか。
2000年に発売された「The Elements of User Experience」。ペルソナ、ジャーニーマップ、コンセプトメイク、インタラクションデザイン、ナビゲーション、コンテンツ、ビジュアルデザインなどといった言葉を使って、当時のWebの作り方をHCDの側面から語った本だった。
もちろんドナルド・ノーマン博士の本「誰のためのデザイン」「エモーショナルデザイン」なんかはあったけど、JJギャレットの本では誰でも理解できるレベルに解きほぐされた。
2005年に「The Elements of User Experience」が日本語訳される。僕も2006年頃にこの本を手に取った。当初はクリエイティブの領域というよりもIAやWebディレクションといった方面で浸透していった印象がある。
この本のおかげで、UXデザインはユーザー理解からビジュアルデザインになるまで立体的に広がっていることが意識的になった。
これを見た受け手側も、ひしひしと感じる「見栄えだけが良ければいい、わけじゃない!」について具体的に考えるきっかけをもらいます。
図を見ていただくと分かりますが、JJギャレットの5階層構造は立体的に図示されていて、縦方向に5階層あります。
タイトルもそうなので縦方向の注意が向いてしまいますが、右と左にも分かれています。
戦略、要求、構造、骨格、表層という縦方向、そしてソフトウェア・アプリケーションとしてのUXデザイン(左)と、情報伝達としてのUXデザイン(右)という横方向。
こちら日本語訳 juse.or.jpより
今まで、Flashコンテンツはソフトウェアと表現の大きく2つの方向性があると言っていましたが、まさにそれと同じですね。
表の補足に書いてあるんだけど、Webの進化によってWebアプリケーションの機能があとからついてきた背景があります。基本的には、プロセスは下から上に向かう、Webアプリケーションの方は具体と抽象を繰り返すような上下の矢印が引かれており、Webメディアとしての方は概念から具体へとデザインをすることで補完していく矢印が引かれている。
(この文章を書くにあたって、改めて本を開いてみました。そしたら情報伝達としてのWebデザインの方も、抽象から具体への矢印に上下の矢印が引かれていました。今のWebは上下に影響し合うので、結果的に問題ないと思いますが、日本版を出すにあたって修正されたのでしょう。※この本絶版で中古品が3万以上で取引されている……!w)
5階層構造で段階ごとに理解しようという、この考え方はとってもクリアでした。ただシンプルでクリアなだけに実際に実行する際には、熟練度が品質に強く影響します。
こういうフレームワークや考え方があれば、それっぽくやることはできますが、えてして使いこなすには各項目の熟練度やスキルが必要です。
「バスケットの国アメリカの、その空気を吸うだけで僕は高く跳べるとおもっていたのかなぁ………」谷沢!!ってのと同じです。
「UXデザイン」や「HCD」がバズっぽく捉えられてしまうのは、概念や手段が先行してしまって、実際のスキルが伴ってなかったり、目的を見失っていることが原因じゃないかなと考えています。
実際僕も本を読んだときに、ああこれちゃんと理解して実践しないとできないな、と感じました。そしてユーザー理解をしっかりやればやるほどリサーチの重要性が身に染みて、リサーチサービスを始めることにつながっていきました。
「UX」のバズ感は、この頃はまだまだ序の口。本格的に「UXデザイン」が日本でバズり始めるのは、2010年代に入ってから。どっちかというとJJギャレットじゃなくてあっちの人かなぁ……そこは後述します。
次回予告
デジタルクリエイティブの盛り上がりはまだまだ加速。アイデアは表現だけでなく、ビジネスにどう応用するかという勝負に少しずつ要素を増やしていくフェーズに。そして、世界を席巻したUNIQLOCKの登場。さらに現在のSPAのようなつくり、RIA(Rich Internet Application)の登場です。