【実体験】 統一教会「合同結婚式」に参加してみた
はじめに
まず、断っておきたいのが、私の立場です。
私は親が合同結婚式で結婚し、生まれた子どもなので、
祝福二世(以下:二世)として2018年に
合同結婚式に参加しました。
自分で自ら信仰することを選んだ方(一世)とは、
条件や心境が異なることを理解した上で、
読み進めていただければと思います。
そもそも「合同結婚式」とは?
統一教会の合同結婚式というと、
まず、何千というカップルが集まって、
式典を行う光景(マスコミに放映されるイメージ)
が頭に浮かびますよね?
一般的な結婚式とはだいぶ異なるので、
その異質性に「気持ちわるい」と感じる人が
多いみたいです笑(Yahoo!コメ調べ)
ただ、参加者も"結婚できる"という理由だけで
参加しているのではありません。
そこに意義や重要性を感じているから参加しています。
では、その意義とは何か?というと、
当時の私にとっては以下のことが挙げられます。
親の願いに応えて、親を喜ばすこと。
神様を中心とした幸せな家庭を築くこと。
相手のために貞操を守り、性を大切にする価値観と合う人と結ばれること。
一つひとつを、もう少し掘り下げて説明します。
二世の私が結婚式に見い出した「意義」
① 親の願いに応えて、親を喜ばすこと。
私の両親が合同結婚式に参加し、まず教祖さまに言われたこと。
それは「多くの二世を産み育てて、二世の純潔を守り、
結婚式に送りなさい」という言葉でした。
そのため、親は4人の子を産み育て、
全員を結婚式に送ることを最大の願いとしてきました。
ですが、4人の子どもを育てるのは、
並大抵のことではありません。
私が中学生になる頃、母の肺がんが見つかったり、
経済的困窮が続いたりと大変な時期がありました。
それでも、私たちのために必死に働いてきた姿を
間近で見てきたため、子供としてそんな親の願いに応えたい。
という純粋な親孝行の精神から、結婚式に参加しようと思いました。
② 神様を中心とした幸せな家庭を築くこと。
二世として生まれた私たち。
幼い頃から「神様の子」と呼ばれ、
聖書や経典である原理講論に触れて、
その教えを日常生活で実践するという教育を受けてきました。
そのため、生活の中心にはいつも"神様"という存在が
意識せずとも"いる"感覚がありました。
目には見えない。けど、確実に存在するもの。
森羅万象を創り出した神であり、
私たち二世を創り出した親であるとも教わります。
そんな"神様"を中心に幸せな家庭を築きたいと思いました。
この考えは、一線を置いている今でも、
変わらず私の大切な価値観となっています。
(今は統一教会のいう神様もそうですが、どちらかと言うと、
神道における"八百万の神"の感覚に近いです。)
③ 相手のために貞操を守り、性を大切にする価値観と合う人と結ばれること。
統一教会の教えの中で最も重要視され、
かつ破ると罪深いこととされているのが「貞操を守ること」です。
神様の許可を得ていない時に、男女が性的な関係を結ぶことを
"肉的堕落"といい、二世は純潔を守ることを徹底して教えられます。
「最大の罪」「地獄」と何とも物騒なワード…
こうした、脅迫にも近い教えを刷り込まれたのはもちろん、
それ以上に私が欲したのが、
"不倫や結婚前の肉体関係が当たり前の恋愛観"ではなく、
性を大切にする人と結ばれたいと願い、参加することを決めました。
(純潔を失うことが、どうしてこれほどまでに罪深い行為なのか、
その理由は改めて別の記事で書こうと思います。)
おわりに
・統一教会はカルト宗教なのに、
どうして今だに合同結婚式に参加する人がいるのか?
・どういう心境で参加しようと思うのか?
ちまたで騒がれている"宗教二世"の実態について、
合同結婚式を中心に綴ってきました。
外から見るとどうしても偏見があったり、
異質に見える合同結婚式ですが、
中にいる(いた)身としては"ふつう"の
出来事として過ごしてきました。
この記事が、実態を知る一助となり、
今も苦しんで悩んでいる二世に
1人でも多く届くことを願います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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