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蔵前リサーチ(職人編)

地域について知るには現地の人に聞くのが一番、というのは都会でも地方でも全く一緒だと痛感した昨日。これから新しいプロジェクトを行う蔵前という街について、そこに住んでいる職人さんが教えてくれたことがめちゃくちゃ面白かったので書き留めておきます。


全体的な人の状況

そもそも、私が蔵前という街を知ったのはおしゃれなカフェやカキモリのようなお店が出来てきて面白い場所らしい、という情報から。初めて行った頃はあまりものづくりの街ということも知らなくて、東京東側方面の美術館に行ったあとそのあたりをふらつけば良さげなカフェに出会える場所...みたいな印象。そんなふうに、新しい場所しか目に留まっていない外からの目線ではなく、そこに住んでいる職人さん曰く今の蔵前はこんな感じ。

最近は若い世代で移住してくる人も多いけれど、マンションに住むよりも一軒家や長屋に越してくる人の方が良く外に出て地域に関わってくれると感じるそうです。確かにマンションと長屋、と言葉で風景を思い浮かべただけでも地域への馴染み感は全く違うし、あえて長屋を選ぶくらいだから地域にオープンでいたいという前提の人が多いのだろうなぁ。この蔵前の長屋がどこにどれくらいあるのか等もっと知りたいと思ったのですが、今建設会社を中心にそういった長屋を壊してマンションを建てたくてしょうがない状況だそうで。土地を買い上げたいって来るそうです。自分が何も状況を分かっていないただの部外者というのは承知のうえで、長屋残ってほしいと純粋に思う。そして長屋、蔵前の知りたいことリストに追加。

人情・礼儀にあふれる

「人情にあふれる街~」みたいなフレーズって良く聞くじゃないですか。だからこう薄っぺらく聞こえてしまうのが嫌なのですが、それが現れている具体的なお祭りの時の話を聞いて感動してしまって。相手を慮る気持ちを持ち合わせた人も多く住む町、といった表現かな。

その職人さんのところでは、神輿を担ぐ夏祭りのときに表を開けてクーラーボックスにビールを用意して「ご自由にどうぞ」としているらしいのです。もちろんトイレもご自由に、と。皆自由に出入りして休んだり飲んだりして出ていくのですが、そのビールが減らないんだとか。「誰かしらが新しく入れておいてくれたり、入口にケースで置いてあったりするんだよ。皆掃除して帰ってくれるしね。」は~、双方のやさしさ。一緒に楽しみたいという気持ち、お祭りに参加している人を気遣う気持ち、それに対して感謝する気持ち、相手のことを想った結果が詰まっているエピソードだと感動するとともに、それくらい人のことを想える人たちが暮らす蔵前にもっと魅力を感じました。
だって普通夏祭りでお酒とトイレをご自由に、なんていったら大変そうなのに。それが綺麗に整った状態でありつづける蔵前すごいな。

神社区画で人の交流もわかれている

あとこれも、住んでいる人に聞かなかったら絶対わからなかったすごく面白びっくりな話。
浅草橋・蔵前・柳橋・鳥越あたりには、鳥越神社、須賀神社、第六天榊神社という3つ神社があるのですが、その神社の区域ごとに人との関わりが全然ないらしいのです。(もちろん、人によったり新しくできたお店・越してきた人にとっては必ずしもそうだとは限らないだろうけれど)少なくとも職人さんたちや昔からそこに住んでいる人たちの中ではそういう意識があるそうで。だから隣でも通りを挟んで別の神社の区域なら全然知らないとか、あるらしい。そしてお祭りも各神社の法被を着ていないとその神輿は担げないそうで、黙認してくれるところもありつつ基本的に地区外の人で神輿を担ぎたかったら法被の貸し借りをするようで。「お前んとこの法被貸してくれよ!」「俺も着るしうちには余分がないから貸せないよー!」という会話があったりするそうです。中でも鳥越神社は大きいから勢力も強くて、他の法被に厳しいらしい笑。神社の大きさによってそんなパワーバランスがあるっていうのも、良い意味でのプライドの高さが格好良いなと思ってしまいました。

地域を考える上で新しく見つけた切り口

そんな話を驚きながら聞いていたら職人さん、「ここら辺は本当田舎だからさ」と。自然に言ったけれどその言葉が私にはとても印象強く残っていて、まだ噛みしめて思い返してしまいます。何がこんなに引っかかったのか考えてみると2つでした。

ひとつは確かに今聞いた話は私が雲南で経験してきたこととほぼ同じで、どこの地域にも神社や町ごと(もっと小さいかも)の区切りがあることを改めて実感したから。これ、何かをするときはどこの地域に行っても見えない境目をちゃんと知った方が良いと思いました。しかもそれは文献やサイトには載ってない。地元の人に教えてもらわないといけない。

そしてもうひとつは、田舎という言葉の定義。私の中で「田舎」という言葉からは田園風景や豊かな自然、といったイメージが思い浮かんでいました。(※田舎という言葉において、私にとって優劣とかないです。自然や田園風景大好き人間です。)
でもそういった目に映る部分だけではなく、昔からの区域が人の交流に未だに強く影響しているかどうか、という基準でも「田舎」であるかどうかは考えられるのかもしれない、というのが新たな気づきでした。そうやってあまり今まで考えたことがなかった。人が自然に発する言葉に気付かされることは多いと改めて感じたので、もっと端々にアンテナを張っていきたいと思います。


やっぱり通って地元の人に話を聞かないと地域の解像度は上がらないな。新しい発見ばかりでめちゃくちゃ面白いし蔵前好き度が日に日に増してきている。あー、行ってみたいご飯屋さんもたくさんあるし、胃袋とお金が追い付かない!
ちなみにこんな話を聞けるのは平日×昼間×雨の日が最強です。だいたいどこでも「今日は雨だしあまり人が来ないから全然良いのよ」ってたくさん色んなことを教えてくれます。つまり梅雨最強説。湿気でボンバーになる髪を気にせず、特に準備段階の今は雨の日こそ動き回ろう!


※ちなみに写真を撮ることを忘れてしまい、トップ画像は蔵前のものではありません。unsplushですw

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