藍染め工房見学@秩父
先日秩父へ遊びに行った際、ずっと見学してみたかった藍染めの工房を訪問・見学させていただけることに。内容がとても面白かったのでメモとして記録。読ませる文章ではなく記録用なので箇条書きベースですが悪しからず。作業工程や仕組みは検索すれば出てくるものも多いと思うので、話全体を聞いて気付いたことを書く。
西武秩父駅からすぐに位置する、半纏の藍染めを専門にされている齋藤染物店へお伺いした。現場を案内していただきながら藍染めの工程やそれを取り巻く物事についてお話を聞いた。
藍染めに関する話を聞いて思った、日本の伝統技術の継承に関すること
藍染めに限らず日本の伝統的な技は、技術自体だけではなくそれを行うための道具、素材も含めて文化である。
半纏に模様を付けるための型も、昔は紙に書き起こし柿渋を塗り、細かい模様は糸で縫って繋ぎ留めていた。今はシルクスクリーンの型のようなものを使用。
「機械化・工業化するほどでもない仕事」が日本の技術の継承に寄与している。シンプルな手法の上に先人たちの知恵が乗っかる。
例えば、生地のしわを伸ばし生地が動かないよう、半纏生地を置く台には糊が塗ってある。そこに霧吹きで水分を吹きかけながら上に半纏を置いていくらしい。その糊も天然のものとのこと。「こういったことは結局機械化するほどではないのよ」
地域の行事が継続されていくことが、技術が継承されていくことに繋がる。
秩父祭りがあるから半纏を着る。半纏を着るから藍染めが必要とされる。
日本の伝統文化は、産業の転換期にごく少数存在する職人気質な人の存在により存続されている。それはどの伝統技術においても言える。当時は経済や産業の流れに逆らっていたかもしれないが、それが結果今大事なものになっている。
秩父銘仙(絹織物)を物流させることで秩父は栄えたため、染物屋は絹織物を物流させる仕事に転換してしまった。しかし、齋藤さん宅は祖父が職人気質な方で続けた。
※秩父銘仙:秩父は山に囲まれた地形で、稲作に向かないことから養蚕業が盛ん。その中で規格外の繭を使い野良着を生産していた。☆興味深かった言葉尻:「栄え"てしまった"」
”町内会”といった会が存在していることも技術の伝承には寄与している。
今回の藍染め屋さんは注文単位が祭りや町会などの会単位のため、一度にまとまった注文が入るから。あとその他の顧客としては、蕎麦屋、植物屋など。
商品の販売以外での、物々交換による循環がある
染料を入れる前に必要なたんぱく質は大豆から。その大豆のカスは、有機栽培をしている農家さんが使ってくれるので畑に返していると。そのお礼に野菜をもらっているそう。過程に置いて発生するものを循環させている。
その他面白かったこと
端切れの活用が、半纏だとそのままの形では出来ない。
半纏はどこどこの誰誰さんのもの、といったように個人が特定される注文。そのため余った生地をそのまま転用が出来ない。
そのため、端切れはセミオーダーのジャケットを作ったり、ダメージ加工のようにして(なんという技術だっけ)、他のものにしてくれる作家さんと組んだりしている
化学的な反応物だから、作業は全て時間やタイミングで区切られていて止められない。
化学実験とまさに一緒!と個人的に高まった。
藍染めとは関係ないけれど:秩父は祭りが多い理由→全てが神頼みせざるを得なかったから(ではないか?と)
周辺は山で盆地のため稲作も出来ず農作物も豊富に採れるわけではない、山や川の災害も多い。全て神様に頼むしかなかったから、色々な神様がいるので祭りも多いらしい。氏神様も沢山いる。
あとがき
事前に相談してはいたものの、快く受け入れてくださった上に「もしまだ時間があるなら」とコーヒーまで出してくださった。器が綺麗だなぁと思ったら「新婚旅行でフィンランドに行った時の物」だとか。なんて素敵な。心温まる。。。対応してくださった馨さんが、私の履いていたパンツを見るなり「yohakuさんのドバイパンツですか…?」と意気投合したのもハイライト。奇跡のような流れで一気に心の壁が無くなった気がした。絶対に来年の夜祭へいくぞー!
興味のあるモノづくりの方たちの話を聞いていくと、新しい学びが繋がって新たな視点が開ける気がする。遊びに行くとなっても結局こういうことをしてしまうのだなと自覚した1日旅となりました。