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「観音開き」(長文)

細い路地を歩いていたら、大学卒業後、最初に働いたデザイン事務所でお世話になっていた出版社の編集長さんの顔を思い出した。お元気かな。手紙を出したくなったけど、もしかしたら亡くなっているかも知れない。

そう思って、歩きながらスマホに残っていた携帯番号に電話してみたら、お元気だった。20年ぶりくらいかも。毎日水泳をしているって。良かった。

秋山さんは結局今、トレーナーをしているんだっけ?

違いますよ、リラクゼーションマッサージです。

全然変わってなさそうな声だねえ。

声だけはね、声だけは!!

近況報告をして、電話を切った。満たされた。

夜遅く、友達の房子さんの家に忍び込んだ。彼女の子供たちが寝る時間なので、わちゃわちゃしている2階には行かず、1階の独立した部屋に静かに入った。

房子さんが階段を降りてやってきて、

「お風呂に入って寝てね、私たぶん、寝落ちしちゃうから」

とタオルを一枚置いて急いで2階に上がった。上から「おかあさーん」「おかあさん」って二人の子供の声がさかんにしていた。一日中、おかあさん、おかあさんって呼ばれているんだ。えらいなあ。

私も慣れたもので、決して2階には上がれぬ、つまり一切の飲食はできぬ、という準備で、水やらなにやら、持ってきている。

私が眠る1階の部屋は楽器と本で2面の壁が埋まっているけど、本は一冊一冊から著者・デザイナー・編集者・読者といったその本にかかわった人の愛が立ち上るような良い本ばかりだし、楽器に至っては房子さんとその生徒さんに毎日愛でられているしで、穴倉のようだけど大変に素敵な部屋だ。数々の背表紙を眺め、本の前に置いてある房子さんが集めた小さなものたちを眺め、幸せな気持ちで眠った。

次の日朝ごはんを作って子供たちと一緒に食べた。おねえちゃんと弟。弟は本体が砂糖菓子でできているくらいに甘えん坊で、かわいかった。弟が生まれた瞬間に砂糖菓子の立ち位置を譲らなくてはいけないおねえちゃんは、一生懸命で健気だった。私がおねえちゃんに話しかけ続けることで、彼女は朝から酔っ払いみたいにはしゃいでいた。わかる。子供は視線をもらい続けることができると、ぐなぐなに酔っぱらってしまうのだ。

午後までに房子さんと用事を済ませて別れ、上野駅まで歩いていたらば、上野公園の入り口の大きな樹の下のベンチに、おじいさんががっくりと頭を落とした姿勢で座り、おばあさんがその後ろに立って両手の親指をまとめて渾身の力でおじいさんの肩を揉んでいた。

なんだろう。肩が凝ったにしては、おじいさんの姿勢が気になるな。一度通り過ぎて戻り、また通り過ぎて戻り、ついに

「具合が悪いのですか。わたし、肩もみ屋みたいな仕事をしてるので、ちょっと揉みましょうか」

と話しかけてみた。

「こんなに汗で・・・すみません」

とおばあさんが何度も気にしていた。

「汗なんて、誰でも出ますよ、普通です」

といって揉んだ。おじいさんは暑くて炭酸を買って飲んだら、急に具合が悪くなって、肩が硬く痛くなってきて、辛くて辛くて仕方がなくなったそうだ。

しばらく指圧していたら、おじいさんの背中が起き上がってきた。

「楽になってきました」

おじいさんの身体がまとまってきた。水を吸い上げてきた植物みたいだった。

編集長に電話をかけることも、房子さんの家に泊まることも、知らない老夫婦の肩をいきなり揉むことも、少しだけ、いつもと違う向きがする。私の前に段差ができる感じだ。

段差を目の前にして、何度か躊躇し、結局引き返すことも多いけど、今日みたいに「いける」気持ちが続くときもある。

それは弾力のありそうな壁を押しに行く感じに似ている。

壁だと思うと、観音開きに開くことがあるんだ。突き抜ける感じ。

その向こう側に行くのが、面白いんだ。ほんとに、大したことじゃないんだけど。

新しい方とは、そうやって知り合って行きたい。

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ではでは、サロンでお会いしましょうー!

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秋山妙子
言語化能力でなにかしら換金できたらと考えて投稿を公開しています。投げ銭のようにサポートいただけたら嬉しいです。