世の中はお金か?
経営関係のメルマガ、今現在人生上手くいっている人の話を聞くとみんな『結局、世の中は金だ』と言います。
最終的には絶対そうなんですけども…私はこれを言っちゃおしまいだと思っています。
チャールズ・チャップリンの名言に『人生に必要なのは勇気と想像力、そして少々のお金である』とあります。スゴくじんわり、心に響く名言で私は好きなんですけど、現代ではこれでは綺麗ごとに入ってしまいますね。最後に『少々のお金』というより今は『お金ありきで勇気も想像力もゲットするものだ』という流れです、完全に。
色々な技術や生活レベルが洗練された結果でしょう。きっとチャップリンの時代も貧しいよりは裕福な方が幸せである事に変わりありません。いつでも人間は貧しさや裕福と戦っているんです。人類のテーマなんです。
私もお金が足りない時は気分は荒れ、余裕がなくなります。お金があるからこそ余裕や視野、心広くなれるのだと思います。でも、そんなこた知っている!知っているからこそ言われたくない!私はこう思います。
貧しさや裕福はどの立場からも語りたくないし、聞きたくもないです。幸せであることがお金であるならば一人でそう思っていればいい。新しい発見をしたかのように知らしめる必要はないと思います。チャップリンの名言が心に響くのは、きっと人生をかけて映画を作り、たくさんの苦労をして高い地位や名誉を手に入れたにも関わらず、貧しい人にも寄り添うような、希望に満ちた言葉だから。
『少々のお金』も必要だけど、幸せはお金だけじゃ買えない。もともとこの言葉自体、幸せに関する定義ではないですが『人生に必要なものはお金だけじゃない』というのは多くの人の心を打つと思うのです。
それに引き換え、なんですか。この『世の中は金である』という干からびて無機質な冷たい言葉は。
私はコロナ禍になって、10年来の友人と破局してしまいましたが、半年ほど期間を置いて奇跡的に仲直りしました。もう、絶対無理だと思うくらい価値感のズレが生じていたのですがまさかの和解です。大袈裟に言うなら『魂のステージが変わった』ようにも思えるほど嬉しかった瞬間でした。基本的に人はそうそう変わらないし、変えようとすること自体間違っているんですけど、和解というより終戦を迎えた感じです。
色々な物が壊れて、メチャクチャになってしまったけど、もう二度と繰り返さないように、大切にしていこう。お互いにそういう人だ、という認識です。
この時、私は自分が幸せ者だと感じました。
コロナ禍で出会いは減り、今マッチングサイトの登録が増えているといいます。出会いに電波とプロフィールが必要なのです。私はこの友人とはたまたま知り合った、探そうと思って探したわけではありませんが、それでも紆余曲折を経てやっぱり大切な友人だと思える。マッチングサイトは目的があって知り合いたいわけですからちょっと事情が違うかもしれませんが、マッチングサイトのプロフィールって結局年収や年齢、そういうところに重きを置くじゃないですか。お金は大切ですが、お金で人を見なければならないなんて乾燥しすぎていると私は思います。さっきも干からびている、と言いましたが本当、心が乾くイメージです。
恋愛をしている暇はない、無駄な出会いは省きたい、そういう目的においてもAIによるマッチングは便利です。でも、実際目の前に出会いがないのであれば、無駄かもしれないけど出会ってみたらいいのに、と思います。遠回りでも、まず出会うことを覚えて育むことを覚えれば、今現在の『目の前にヒトがいない状態』よりはよっぽど豊かな人生になると思うんです。
『全てはお金だ』という発想は結局こうやって何となく乾いた人生を送ることになる…。
だから、そう思っていても言わない方がいいし、心底そう思ったらもう成長はないかな。だって、もうその先何も言えないですもんね。『お金がいっぱいあって良かったね』としか言えないですから。
あった方がいいけど絶対全てではない。私はそう思います。
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