いつもどこかで
『世界よ、「賢くあれ」!』
このおじいちゃん、まだ生きてるかな・・・。コロナ禍でモンゴルに行けなくなって2年・・・。それまで2008年から毎年、行っていたのに・・・。会えてない。
モンゴルでは、1939年に起こった日本とソ連の国境紛争、ノモンハン事件のことをハルハ河戦争と言います。2008年、モンゴルに初めて行った時、私はこのことを知りました。衝撃でした。45歳の夏、この歳まで学校で習ったことがすべてと思っていた自分に。その後、私は、このハルハ河戦争に従軍した関係者の方々にAMDAが無償で白内障手術をするプロジェクトに関わりました。
白内障手術を実施したのは、2009年。手術後の患者さんを見舞った時に患者さんの一人が、私の手をとって、「日本の皆さんに心からの感謝を伝えてほしい。」とおっしゃいました。私は、「日本は敵国だったのに?」と、驚くと同時に、この患者さんのこれまでの人生に想いを馳せた時、涙があふれ、言葉もなく、ただただ、その手を両手で強く握り返しました。手術をした医師も一緒に涙しました。その時の患者さんがこのおじいちゃん。
それから3年後、2011年、ウランバートルで日本とモンゴルの大学生が、ハルハ河戦争に関わったこのおじいちゃんと語り合う機会を作りました。国を越えて、実際に戦争に従事した人の話を聞くことは、次世代にとって大切だと考えたから。
テーマは「平和」。
学生の一人がおじいちゃんに問いかけました。
「戦争での憎しみや恨みはどのようにして出てくるものでしょうか?」
当時92歳のこのおじいちゃんは、ずっと長い時を振り返り、遠い目をして、一言一言を絞り出して答えました。「最初、戦争に駆り出されたときは、政府に従っただけ。そんな思いは何もなかった。それが自分の目の前で友達や家族が犠牲になったら、心にどんどんそんな強くて苦しい想いが湧いてきた。」と。
そして学生たちを見つめて、
「賢くあれ」と。
自分にとって何が正しいのかをきちんと見極める「賢さ」が必要と、次世代を生きる学生たちに、丁寧に伝えてくれました。おじいちゃんの心の叫びのように聞こえました。
今、世界の状況は混沌として、様々な情報にまみれています。何が正しい情報なのか、そんなの誰もわかりません。ただ、一つの真実は、自分が見た現状だけではないかと思います。その周りの背景や事情については誰もわからないから、誰もジャッジすることは難しいのではないでしょうか。人から聞いたことは、すべて二次情報と俯瞰してみることがおじいちゃんが語った「賢さ」に繋がるのではないかと、思い返しています。
『お母さんはPeace Maker』
ハンガリー側でウクライナから避難して来られる小さな人たちと触れ合う中で、なぜ人間は、歴史から学べないのか、学ばないのかとずっと考えていました。「賢く」はなれないのかと。
しかし、小さな子どもたちを連れて必死に避難してきたお母さんたちは、きっと子どもたちが戦争に巻き込まれることは誰も望んではいないはず。これはロシアのお母さんたちだって一緒だと思います。だれも自分の子どもを戦火に送り込むなんてしたくないはずです。今、アフガニスタンやミャンマーを含め、世界中のお母さんたちは、こどもたちに「幸せであれ」と願っているはず。だからこそ、日本でも自分の子どもたちと、「おはよう」から「おやすみ」までの何気ない毎日、その日常が平和に繋がることを話しをしてみたらどうでしょうか。
そして、「賢くあれ」と。
そう!お母さんは世界の「Peace Maker!」です。
『平和の公式』
これまでの歴史を遡ると、世界には、いつもどこかで争いに走る人がいます。
しかし、一方では、いつもどこかで平和を願っている人がいたことも事実です。そんな歴史を人は繰り返しています。
しかし、
争いに走る人 < 平和を願う人
この公式が世界に広がれば、少なくとも世界は平和に向かうのではないでしょうか?
世界中のお母さんたちが、いつも「賢くあれ」と、どこかで子どもたちに平和を伝え、願い続ければ、平和を願う人が争いに走る人よりどんどん増えるはず。そうすれば、きっと今よりもっと平和な世界への道が拓かれるのではないでしょうか。
シンプルだけど、いつもどこかで平和を願う人がいることは事実。そして、いつもどこかで平和のために行動している人がいることも事実。その一人に自分がなれることも事実。
それに気づくのは、今!