前進する
教師とは生徒から教わる生き物らしい。
教育実習を経て知らぬ土地の教師として赴任してもう6年が経った。早いものでもう2周目が完了した。
教わる前に襲われているような感覚だった。
しかも、それぞれまったく違う経験だった。
以前の3年間は無反応・無関心。豆腐に鎹。糠に釘。
自分が正しいのか哲学と禅問答の日々。周りの先生からも親御さんから不満がなければそれが教師・公務員としてはベストなんだと励まされる始末。
対照的にこの3年間はまさにスクールウォーズ☆だった。
タバコ、酒、ギャンブル、売春などなど。
目まぐるしく生徒と会話してきた。
そもそも教育資格を取るくらいだから、真面目な人間が真面目な環境で育ってきた人が教師をやってるわけで、
不良の対処方法を学ぶよりも、なぜそんな言動に至るのか理解できない。理解しても原因は家庭の事情や友達関係がほとんどで、動機が幼稚で呆れてしまう。
しかし、これぞまさに教員冥利に尽きる課題だ。教育委員会やPTAも待ってましたと言わんばかりに私の手並に興味を持ち、隙あらば…と言った雰囲気だった。
嗚呼、激しい日々がようやく終わり、卒業式という感動のフィナーレを迎え、自然に涙が流れた。去りゆく若者を送り出すことに感傷的になり、仕事をやり切ったような恍惚と疲労を感じつつ、いま私は、次の入学式の準備を進めている。
教員室の私の机には、つい先日去っていった生徒が残していった私への感謝の品々がまだ残っている。その中に戦車がある。ダイキャストやプラモデルでもなく、木の破片に絵を描いたものだ。
この戦車は左に向かって常に進んでいるように描かれている。それが私に迫ってきているように思える。
この3年のような覚悟を決めて行動するなんてシンドイことをこの先、何回できるか不安はある。されど私には進むしかないことを、薄い木片を見たり触ったりしていると感じる。
この不思議で厄介なもの…。生徒と同じだ。
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