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綴る

5月11日 日曜日

 姉さんの出産お祝いを見繕いましょうと、かあさんとデパアトへ出かけた。
 デパアトにはおしゃれ着がたくさんならんでいて嬉しくなる。商店街の洋品屋さんではこうはいかないわね。マア、と声が出ちゃうくらいぱっとしていて、すてきな色ばかりなんだもの。鏡に映った私のスカートがみすぼらしく見えちゃって、かなしくなった。
 そういえば、出口のところでとなりの席のしず江さんを見かけたのだけれど、マネキンみたいなワンピースを着ていらした。声はかけなかった。あの子きっとイイとこの子なのねって、母さん、私にこっそり耳打ち。ふうん。でもしず江さんったら、カバンは綿の巾着だったの。トンチンカンよ。私だったら、茶色のビロードのハンドバッグにするのにナア。晩ご飯はしょうが焼き。この日記を書きおえたら、昨日のつづきをやります。

5月12日 月曜日

 朝から雨でゆううつだった。しず江さん、制服だとちっとも目立たない。学校に好きなお洋服を着ていけたら、毎日きっと楽しいことでしょう。古文や勘定のお勉強なんてやめてしまって、お裁縫の時間にしてくれたらいいんだわ。これからの女は、着るものも自分で考えて作るくらいでないと、またもんぺを着るようになって仕舞う気がいたします。はやく大人になりたい。晩ご飯はお茄子いため。

5月13日 火曜日

 小岩のおばさんに買ってもらった色彩の本でお勉強。今日は早めに帰ってきて時間があったから、いろがみをたくさん切り貼りした。淑女な色、ハイカラな色、いろとりどりのちいさなスカートやワンピースが散らばって、机の上がデパアトみたいにはなやかだった。とっても楽しかった。デザイナァ気分です。晩ご飯はきんぴらごぼうと肉だんご。


5月14日 水曜日

 もう、さいあく。消えちゃいたい。どうしてこんな思いをしないといけないのよ。西田クンのこと、ぜったいにゆるさない。
 わたしがお弁当の包みを開けたら、かあさんのお買い物のメモが入っていたの。ひょんに挟まってしまったのだと思うのだけれど、「とうさんのブリーフ2枚 東洋紡績 43サイズ」なんて書いてあるものだから、もう、大変。それを目に留めた西田クンにすかさず大きな声で読み上げられてしまった。
 教室中のみんなにドッと笑われて、わたし、下を向いて、恥ずかしくって、むかむかして、顔から火がでるんじゃないかって思ったわ。そしたら火が出ないかわりに涙が出てきて仕舞って、眼鏡が雨の日の窓みたいにぼやけた。泣くつもりなんてなかったから、余計に恥ずかしかった。もう散々。晩ご飯は食べなかった。

5月15日 木曜日

 昨日のことが思い返されて、ソワソワした心持ちで教室の扉を開けたけど、みんなてんで忘れてるみたいな様子で拍子抜け。ちょっとだけ道草しながら帰ってきた。土手にはカキツバタ、ヒナゲシ、クレマチス、この時期はあわいのが多くて、乙女の気持ちになります。いくつか摘んではなびらを重ね合わせていたら、このままお洋服にしたくなった。はなびら色のお洋服、きっとステキだわ。秋になったら、落葉をあつめてならべて、デザイナア気分で落葉ルックをつくりましょう。自然の色を着こなすおしゃれ娘!
 帰ってさっそく色のお勉強の続きをした。晩ご飯はカツレツ。


 川に浮かべた笹舟を息をのんで見守るような思いで項をめくった。文字が書けるようになっただけで、喜怒哀楽の大きさは赤子と大差ない。もう子どもではないが大人にもまだ遠い。ひとりの人間としての存在を、必死に主張しようとしていた娘時代の香りが鼻腔をくすぐる。それこそが未熟さであることに、そのときは気が付く余地などなかった。

 さて、今日の晩ご飯は、何にしようかしら。 

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