モビリティケアシニアコンディショナー養成講座 1日目 受講レポート
モビリティケアアカデミーのシニアコンディショナー講座1日目の体験記を投稿します。
モビリティケアアカデミーのベーシックコンディショナー講座の1日目、2日目の体験レポートは、本NOTE記事でも投稿しましたが、今回は更に上級コースのレポートです。
以下、用語の説明や手法や療法的なものに対する理解は、講座を受けた一生徒の主観で書いたものであり、本来講座で伝えられている内容とは、異なる可能性があることをまずご了承ください。
■モビリティケアとは
モビリティケアとは、本来人が持っている先天的知性を開放していくことを目的に、ボディ(身体)とマインド(精神)の両面から、様々な手法のコアエッセンスを織り交ぜた統合的な手法だと私は理解しています。
■ベーシックコンディショナー講座概要
ベーシック講座では、マインド面については感情解放ワークというイメージワークを習いました。
身体面については、身体の各関節(モビリティ)の左右差を、人間の身体構造の宿命的構造と、各関節群の連動性等を教えてもらいながら、ニュートラルスポットという敢えて身体に捻じれを起こすことで本来の身体の機能を取り戻すという手法や、離れた場所で繋がっている反射ポイントというテクニックを習ったり、呼吸法や大事な足首には手技を使ったり、腕から脊柱の捻じれを直す方法等、様々な手法を駆使して、身体の足先から頭までの各関節(モビリティ)の左右差を整えていくということについて学びました。
これだけでも交換セッションや友人知人への施術で一定以上の成果と気づきを相当受け取ってもらえたりする感じです。
■上級シニアコンディショナー養成講座一日目概要
更に今回のシニアコンディショナー講座では、波動リーディングというキネシオロジーを使った手法と、頭蓋仙骨療法と言われる頭蓋骨から身体の各所を調整していく方法等を、3日間かけてモビリティケアという手法の創設者である浅野俊介さんから習います。
一日目は、そのうち波動リーディングについて、身体や内臓各所の状況を見て分析していく方法と、その前提となる意識のコンディショニングや自我や先天的知性の特徴を学びました。
浅野さんの講義では、深い人間の身体と意識の構造理解に基づく人間洞察を、施術と直結させていくある意味施術の極意とも言えるような方法を分かりやすく詳細に言語化・方法論に落としてくれていることに驚きます。
自分でパーソナルセッションを受けていたコンディショナーの意識は、ここまでのことをしていたのだなということに驚愕を受けました。
以下は、講義で習う具体的な手技手法ではなく、浅野さんやモビリティケアコンディショナーが意識としてどのように心身や人間を捉えていて、どのような心構えでお客様と向き合っていて何を目指しているのかという部分の解説に限ってシェアします。
■経絡システム(陰陽五行)について
浅野さんの講義は、こんな感じで施術したりリーディングしていますということを、とても具体的に話してくれます。
講義スタートから、春はここ、夏はここ、秋は、肺と大腸、一年中胃には出てくるとか、そういう話がバーっと出てきたので、その春夏秋冬の話は、テキストのどこかに出ていますか?と聞いたら、陰陽五行とその特に相克関係と施術での関係性について色々と教えてもらえました。
相生関係(生み・育てる関係・母子関係)
木→火→土→金→水→
(例)木生火:木が燃えて火になる
相剋関係(制約し、抑制する関係)
木→土→水→火→金→
(例)木剋土:木は土を養分で吸い取り抑制する
図時すると、相生関係順に円を並べたときに、二つ先に矢印を飛ばしていく感じです。
ある意味、無秩序な産み落としを避けていくための自然の摂理にもなっているような感じがします。
木
↗ ↘
水 火
↖ ↙
金←土
木:怒:春:肝 胆 目 気血の調整(執着の解放)
火:喜:夏:心 小腸 舌 気血の循環(感動・感謝)
土:思:長夏:脾 胃 口(※) 気血の生産(足るを知る)
金:悲:秋:肺 大腸 鼻 身体バリア(素直な心)
水:恐:冬:腎 膀胱 耳 代謝・生殖(水に流す)
※思は、同情。思い煩う等
※土は、一年中という図もあるとのことです。
怒
↗ ↘
恐 喜
↖ ↙
悲←思
この五行についている感情がエゴの表象としても出てきます。
以下、ここは私の今日の講義を聞いて生じた問題意識ですが、
この相生相剋関係は、紐づいた感情面についても、同じような
関係が成り立つのかどうかという処です。
相生関係
怒りは喜びを促進 →怒ってすっきりすると喜べる?
喜びは同情を促進 →喜ぶと、同情が芽生えてくる
同情は悲しみを促進 →同情すると、悲しい感情が芽生える
悲しみは恐れを促進 →悲しみがあると、恐れが生じる
恐れは怒りを促進 →恐れがあると、怒りが生じる
相剋関係
悲しみは怒りを抑制 →悲しんでいると怒れない?
怒りは同情を抑制 →怒っている相手には同情できない
同情は恐れを抑制 →同情して下に見ていたら恐れは起きない
恐れは喜びを抑制 →恐れていては、心から喜べない
喜びは悲しみを抑制 →喜んでいたら、悲しめない
特に相剋関係として、悲しみの裏に怒りが抑制されていたり、
肺や大腸を見て、怒りが出てくることもあるとのこと。
並べてみると、両方とも怒りに絡む部分でしっくり来ないところがあります。
喜の説明としては、強すぎる場合、成果が出ないとすぐ終わったり、入れ込み過ぎてケガをしてしまいやすかったりするみたいです。そうすると、悲しみの方に悪い影響が出そうという感じでしょうか?
喜が、火に紐づいて活力を表象するのだとすると、怒りによって活性化されるものなのかという気もします。
以上、元々脱線気味の話だったのですが、私自身こういった陰陽五行的な世界観と内臓と感情の相関関係について絡めて考察するという思考体験が初めてだということもあり、メモ的に残させていただきます。
◾️自我の性質(感情)
恐れ(怯え) 横並び・一人になりたくない
怒り(憎しみ)正義・大義をかざす・煽動
喜び(執着)「○○のおかげ」はエゴの幻想
同情(可哀そう)自己陶酔、相手を低く見る
悲しみ(悲劇)悲劇を演じ愛や承認を得る
◾️自我の性質(共通点)
間違いや過ちは正さなければならない。正義が勝利すべき=善悪の分離ジャッジ
暇だと闘いたくなる→そんな時、イキイキしてたりする!
意味をつけたがる!→本質的には意味なんか認知しなくても自発動するはず
認知や真理への欲求は、自分にもかなり当てはまることがあり一部反省です。
恵比寿のモビリティケアサロンでパーソナルセッションを受けて、この年の誰との出来事ですみたいなことを、
◾️本質的な自己
自我に慈悲深くなるように
自我を暴き出し、受け入れ、統合しようと務める自己こそが、本質的な自己
本質的な事故は、絶対的な観察者であり、単なる器
◾️自我との統合が進めば
体験的に確認が深まり、良質なる変容へ
恐れが消え動機のベースが慈悲慈愛に
正解を外側に求めなくなり自由になる
最終的に誰もが同じワンネスに導かれる
意識が上がっていく時は葛藤の連続
統合が進むほど脱力した自然体となる
→そうなりたいものです!
◾️先天的知性
無理とは、「理」がないこと
我慢とは、「我」に慢心
いずれも「LOVE&PEACE」の不在
意識が「LOVE &PEACE」に向かうと
先天的知性の信頼に向かうことから
万人万物のコンディションを光から闇へ
■波動リーディングの要点
波動も意識も気も同じ。呼び名が違うだけ。
波動を通す=意識を向ける
観察者の意識が影響する
前後屈の実験→やりにくいと観察者が思うだけでやりにくくなる
■施術者がどういう意識で相手を見ているか→施術に影響する
身体のイメージ:運動ベクトルを理解してイメージすることが大切
「意識で誘導できている」かどうかで、同じようなことをやっても結果が全く違ってしまう
身体へ意識を向けられれば、極論、物理的な問題はこれで調整できる!
これで上手くいかないものがあれば、心が抗っているということ
■顕在意識と無意識について
ベーシックの感情解放は、問題を意識できている時点で顕在意識へのアプローチ
波動リーディングでは、潜在意識にある問題になる思い込みや囚われ、トラウマの宝庫
そこから今必要なものを取り出す作業が波動リーディング
瞑想のビジョンは、個人的無意識や集合的無意識が出てくる
それが晴れれば、表現不可能な普遍意識に繋がれる
■感情解放ワークでは足りないか?
引き寄せの法則は、課題に対する不都合な出来事の引き寄せという形も含めてすべての人が使っている
だから課題が浮上してきた時に起きていることに気づくということが出来ればベーシックの感情解放でも足りる
■意識のコンディショニングについて
パワーかフォースかの図を用いて、この段階として、パワー200の勇気という段階を臨界点として、キネシオロジーチェックを正しく判定できる意識レベルかどうかという境目になる
その人が常日頃からどうかというところではなく、施術するときにどうあれるかというところをトレーニングするために、日々セルフケアで自分へのリーディングや身体のケアをしていくことが大切
ちょうど見たら、この意識の段階について説明されている「パワーかフォースか」という本が、今Kindle Unlimitedに加入している人であれば、読み放題に入っていてオススメです。
また、10年前に私も一度ハマって、長文抜き書きブログを書いていたりしまして、参考までにリンクを置いておきます。
【書評エントリー】人間の魂の成長段階を数値化する理論「パワーかフォースか」ホーキンス
https://ameblo.jp/satokumi1718/entry-10636766152.html
また、今回この意識レベルの表を見て思うところは、勝手に講義を聞きながらの妄想ですが、意識の矢印が内向き方向か外向き方向かというベクトルで捉えると、なんとなく、臨界点となるプライドから勇気に変わるところを境に、志向性が内向きか外向きかという対応関係にありそうな気がしています。
【闇(フォース)】
恥(内向き)→罪悪感(外向き)
→無気力→深い悲しみ→恐怖(内向き)
絶望 落胆後悔軽蔑 不安
→欲望→怒り→プライド(外向き)
否定 攻撃 要求
【光(パワー)】
→勇気→中立→意欲(外向き)
許認 機能 意図
→受容→理性→愛(内向き)
調和 理解 啓示
→悦び(内向き)→平和(外向き)→悟り
◾️大切なのは選択権があること
講座の中では、この意識とボディマインドスピリットを統合したあり方を、図示して説明してくれます。
いずれにしろ、大切なのは、この意識のあり方には、どこを選択するのかというところについて、人は選択することが出来るというところです。
■出てきたものの乗り越え方
「正しい同情」が出来たら良い
「あるある、大丈夫だよ!」
「もういいよ、楽になって良いよ」
「意識を集める、愛と光を送る」
笑い話に出来たらOK
深刻になってしまったらまだ引きずられている
キネシオロジーチェックしてそのコトでズレなくなったらOK
■障害になるもの:自我(エゴ)、カルマ
プラスサイクル
「暴き出し、受け入れ、統合するサイクル」→仲良くなる!
マイナスサイクル
「隠し持ち、他に投影し、分離するサイクル」
目を背けていた低いエネルギーも自分の中にあることを受け入れること
あるねということを受け入れられれば、囚われず、選択できるようになる
自分の中のエゴは、自分の中のペットのようなもの
イヤだと言ってみてもあるもの
◾️出ることが大事、出すことが目的
何か出て来たものに対して、良い悪いとか、どうのこうのするとか、因果関係を調べてみたり、こねくり回す必要もない
そこからもう一段深く入っていくかどうかは、その人次第
お清めお祓い?
受け入れたかどうかはキネシチェックしてしまえば良い
◾️反対に出る人は大変
一時的には、任脈など気血を流して、整えることも可能だが、家に帰ったら戻ってしまうことが明白なら、身体だけのアプローチにしておくのも無難
本質的に悲劇にハマっている人は助けるのが難しい
セルフで行っていても、自分で自分の感覚を無意識に閉じてしまうこともある
その場合はそれ以上踏み込まなくOK
■ガイドの使い方
最初にお願いします、助けてくださいと言ってしまう
ポイントを明示すれば、明確にガイドしてくれ
効果としては、究極的には一人じゃないことに気付ける
■教えてもらえる片手キネシオロジーチェック手法とフルスキャン
個人的には、ここには書きませんが、一日使いまくっても疲れず、片手で行えるキネシオロジーチェックの方法は、ネット情報では探り当てられない非常に便利な方法だということと、それを使って、第二回までの宿題になってもいる全身内臓をチェックしまくる「フルスキャン」によるセルフケアというものの威力は、想像する限りヤバすぎるのではないかという期待でいっぱいです。
■浅野さんにリーディングしてもらったら
セルフにある程度取り組んでいたり、講義を聞きながら、セルフリーディングと、それに光を当てて受け入れるみたいなことを一定していたら、最後の波動リーディングをしてもらっているときには、既に、内臓系も当たるところがなくなってしまっている状態でした。
そこで、じゃあ解脱に向かうための課題を教えてくださいという質問で、各チャクラを見ていったところ、第二チャクラにて、上司と奥さんに対する恐れの感情というものが出てきました。
まあまあ、それ課題直撃な感じのテーマなのですが、それをないようにしようとしていたということを、そうですねえと思わせてくれたことに感謝ですという感じでした。
■「良いことはある、悪いことは分からない」
これは、前から浅野さんが口にされていて、とてもユニークだなと思いながら、その真意が気になっていた言葉なのですが、その内容を講義後に伺えてようやく合点できたので、書き記しておきます。
文脈としては、世にいうスピリチュアル的な人の物言いが、悪いことに視点が言ってしまうことに対する批判的なコメントというようなところで出てきた言葉でした。
ただ、波動リーディングを行うと、過去生とか、生き霊的なものの在る無しも分かると言えば分かるし、それを扱って祈りを送ることも可能なのですが、それを扱うときに、キネシオロジーで分かるのは、それが在るかないかということであり、それを自我(エゴ)的に良いものか悪いものかという判定・分離を使うために使うものではないし、一元的な世界観でみれば、それの善悪判断をするなんていうことが概念としてないということです。
ちょっと書いていても書ききれた気もしませんが、そもそも善悪二元で分離的な判断をするのが、先に書いた意識のコンディションレベルでいうときちんとキネシオロジーチェックも作動しないようなエネルギーレベルの低い話なわけで、そんな概念を持ち出して判断するという必要がないという次元なのだと、なんとなく私の中では合点できた部分があるので、一端ここに書いておきます。
以上、このレポートでは、講座の内容で具体的に教えてもらうコアな施術部分の話には触れていませんが、その施術方法の目に見える部分の奥にある目に見えない部分で、これだけのことが行われているのだということと、その感覚をこれだけ明確に言語化して伝えてもらえるということに衝撃を受けました。
特に今回、講師の浅野さんも、今回の場は、説明的なところをじっくりした方が良いかもというようなことを言ってくれていて、身体の専門家ではない私や同期受講の人間探究マニアのHさんらに向けて、多少二人で遠慮しながら聞きたいことを聞きまくっていたので、特別言葉を尽くして説明してくれていたのではということも思いつつ、このような真理探究の場をこのタイミングで頂けたことに大変感謝です。
少しでも私がハマりまくっているモビリティケアの世界観が多くの人に伝わればと思い、筆を起きます。長文お読みいただき有難うございました。