「悩み」が余白にダイブしてくる。
おひさしぶりです。タドコロです。
この文の書き出しかた、最後に書いたのは一昨年の12月でした。
1年間更新なかったうえに、1週間に1回くらい更新する気概であったにも関わらず、とか書いていたくせに何をいまさらという感じですね。
更新してなかった1年ちょっとの間に、
それはそれはもういろいろなことがあったんですけど
今日は「悩み」ということばで、少し自分の頭の中を整理してみようと思います。
きのう、いつもの何気ないTwitterで、
「ワークデスクをもう少しコンパクトなやつに買い替えようと思っているんだけど、次のものを買ってからにするか一旦売ってしまってからゆっくり吟味するか悩む。」
とつぶやいたんですけど、フォロワーの方から
「タドコロくんはいつも何かに悩んでるよねえ」
と言われました。
他人からのリプライで「はっ…」と気付かされることなんてそうそうないんですけど(これもどうかと思うけど)
確かに、いつもなにかに悩んでいるな自分、という自覚がすごく生まれて昨日から、ずっと自分の中でぐるぐるしたものがうごめいている状況です。
某プッチモニの「"恋"という字を辞書でひいたぞ〜」ではないんですが、
"悩み"を改めて辞書でひいてみました。
くるしみ。思いわずらい。
この2つの言葉から逃げられた瞬間って、片時もないのではないかと思うほどに、常に悩みなんらか苦しんでいるのだと改めて知らされました。
人間は1日に35,000回の決断をしているといいますが、その中で35,000回も悩んで苦しんでいるわけでもなく
とはいえ、自分の人生における選択を1秒たりとも間違えたくない、
その答えを出すためにTwitterで吐露を無意識にしている節はあります。
何かを常に考えて、悩むという行動自体はそこまで自分としては嫌いじゃなく、むしろあれこれ選択肢があるなかで、「どれにしようかな」と思いを巡らせている時間というのは、結構好きだったりするものです。
一方で、「あの人いつも何か悩んでいるよね」って指をさされるのはあまり良い気分ではないことに気づいたこともあり、さらにとはいえ「あの人って悩みが何もなさそうだよね」と言われるのも、個人的にはあまり嬉しくありません。(そう言われてもなんとも思わない人がいるのはわかる)
Twitterに直接書いた内容とは関係ないですが、去年の7月に出会って9月から交際をしていたパートナーとつい先日別れたこともあり、
付き合いの中で「何か間違ったことをしていたのだろうか」「相手を傷つけてしまった瞬間があったのか」「何が彼と合わなかったのか」なんて考えているうちに、結局のところいつも自己嫌悪につながってしまうこともあります。こんなものは時間が解決してくれる、という魔法の言葉だけに頼って今は脳みその片隅に置いているだけなんですけど。ちなみに、こういう悩みってたぶん”わずらい”に発展していくんでしょうね。あまり恋沙汰であれこれ考えるのは、個人的には好きじゃないです。
「この悩みごとがなくなれば、きっとスカッとした気持ちいい気分になれるはず!」と思って、迷いに迷って出した決断でさえも、次から次へと悩みが出てくることからは逃げられません。
多分一生、脳みそにできた余白には次の「悩み」が順番に並んでいて、いまかいまかと、僕の余白を待ち伏せしているに違いない。
そう思うと、次の順番待ちの「悩み」は何かな?と
すこしだけ、おおらかな気持ちになれた気がします。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?