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そういえば、私たちオタクはいつの間にか『一般人』と戦う必要がなくなっていた気がする。

私は『宇崎ちゃんは遊びたい』をそういえば広告で見かけたなぁ、程度にしか知らないのだが、流石に最近(2019年11月現在)の献血ポスターに起用されてからの騒動は、Twitterをやっていれば嫌でも目に入ってくるレベルのものだった。

私はあのポスターからは「いやらしさ」も「性的誇張」も、ついでに「献血の強制」も別に感じないのだが、おそらく既に「論点がどこなのか」すらも人によって違う状況になっているし、既にポスターの内容から解離している問題も多々発生しているし、あと今回はポスターの是非については論じたいわけではないのだ。

騒動の中でふと私が感じたのは、直接的に『攻撃してきている人』以外からの敵意を感じないなぁ、という印象だった。最初期に流れたテレビニュースでも、ポスター側・オタク側ではなく「環境型セクハラ」と言及していた側を問題視する論調だったように思う。

まぁテレビでも実際は何か凶悪事件が起きるたびに、未だに「犯人の部屋からは漫画やアニメDVDが見つかりました」と報道して来ることがよくあるのだが、それに対するオタクではない人々の反応はやはり変わってきたように思う。「やはりオタクは危険!」と反応するのがごく一部の層になって、だいたいは「また漫画見つかった話か、ふーん」くらいで流しているような印象がある。

少なくとも10年か15年か、それくらい前だと私達は、凶悪事件が起きるたびに「またオタクか」と言われ、かと思えば草食系男子が増えたという報道に「またオタクか」と言われ、腐女子は少年漫画を穢す存在みたいな扱いをされて、私達はせっせとキャラクターのプロフィールから作られたパスワードを調べ上げて、ようやく交流することができたのだ。

そもそもそういったサブカルチャー自体が一種のアンダーグラウンド扱いされていたし、ゴールデンタイムに放送されているようなアニメですらもあまりいい顔はされなかった、という時代は確実にあった。

多分そんな頃に今回の献血ポスターがあったとしたら、オタクはもっと社会の害虫かっていうくらいに叩かれていたと思うし、テレビのニュースもオタクの側を批判していたんじゃないかと思うのだ。

なんか、気付いたら社会のオタクに対する雰囲気は、ちょっと変わっていた。

別にもてはやされるとかじゃないのだが、「そういうのもあるよね」くらいの扱いになったような気がするのだ。多分「バイクが好きな人」とか「フットボールが好きな人」とか、それと同じくらいの比重で「アニメや漫画が好きな人」が扱われる程度にはなった気がする。今回の騒動で結構息の詰まるやりとりばかりでやや鬱々としていたのだが、「多方面作戦」、もしくはむしろ「四面楚歌」で戦ってはいないということに気がついて、なんだかちょっとほっとするものがある。

ターニングポイントになるものはいくつかあって、決してそれはオタクに歓迎されたものではなかった。けれど、やはり今になってみれば、本来の意図とはずれていたとしてもオタクの役に立っていたなぁ、と思うものは結構ある気がしている。

『電車男』は結局なんだかんだ偉大だった。

正直2ちゃんねるの中から『電車男』が書籍として出てきて、さらに映画になってドラマになって、という流れの中で、2005年(映画版公開)あたりのオタクは割と辟易していたと思うのだ。

自分達だけの世界で楽しんでいたものが陽光の下に曝け出されて、しかも「わかりやすいけど自分達の真実とは違う形」に加工されて、それがもてはやされたおかげで好奇の目で見られて、会社や学校で「オタクなの?」「萌えーとか言うの?」みたいな不躾な質問をぶつけられたりして、結構しんどい思いをした人も多かったのではないかと思う。私にとってはうっすらと「ちょっと嫌だった覚えがあるかも」というレベルだが、割とはっきりそのしんどかった状況を覚えている人もいるんじゃないかと思う。

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サポートエリアってテニスとかバスケットボールにありそうな気がしました。そのエリアからなら本出場とは別枠の選手がサポートしてもいいとか。