ブエナ・ビスタ・ソシアルクラブ:渋谷系 part 3
アルバイトをしていた渋谷のコンサートホールで、ある日ブエナ・ビスタ・ソシアルクラブのコンサートが開かれた。日頃はホールのラウンジで幕間にドリンクを販売したり、あるいは打上げパーティーのウェイターとして働いていた僕は、その日、ブエナ・ビスタ・ソシアルクラブの待合室の担当に指名された。あの、ブエナ・ビスタである。当然ながらヴィム・ヴェンダースの映画は見ていたし、CDも持っていた。
コンサート直前のキューバの伝説たちを間近に見ることができる。二十世紀も終わりを迎える頃だった。たしか二十歳の頃。プロのウェイターとして仕事をまっとうしなければという使命感と共に、それでも心は高鳴った。
ブエナ・ビスタ・ソシアルクラブ。ドイツ人の映画監督、ヴィム・ヴェンダースが見出した、当時のキューバで活動をしていた伝説的なミュージシャンたち。すでにそのメンバーの多くが還暦を超えていたはずだ。ヴェンダースが撮影したドキュメンタリー映画『ブエナ・ビスタ・ソシラルクラブ』は世界的なヒットとなり、彼らは一躍注目を集めた。ミニ・シアターがブームとなっていた日本でも多くの映画館で上映され、その人気から彼らの日本への誘致が実現したのだと思う。
ドアを開けると、目の前に、あの、スクリーンで見た伝説のミュージシャンたちがいた。存在するだけで漂うオーラは別格だった。細胞の密度が違う、そんなことを感じた。僕がいれたエスプレッソを、何本ものスティックシュガーを入れながら飲み干す彼らの姿を眺めていた。そんな中、メンバーの一人が親切心からだろう、ずっと佇んでいる僕に椅子に座るように促した。最初は遠慮していたが、何回も促されるなか、断り続けるのも申し訳ないと思い、若干緊張しながら椅子に腰掛けた。
しばらくすると、映画の中にも出てきた、ベテランの女性歌手がドアを開けて現れた。その瞬間、団員たちがみな立ち上がり、部屋の空気が一気に変わった。ママンがやってきた、というべきか。その光景が妙に人間臭く、親密で、いまでも時々おもい出す。
いまも、ブエナ・ビスタ・ソシアルクラブのアルバムを聴きながらこの文章を書いている。人間という存在がこんなにも重厚な存在感を持って存在することができるのか、ということを、トータルでわずか30分程度だったと思うが、ブエナ・ビスタの給仕をすることで実感することができた。その感覚はいまでも僕のアンカーとなっている。