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朝にはかなりダウナー系
中国のSF小説『三体』の第二部がやはり割りと面白くて、ずっと読んでいる。明日はどうやら成人の日。世間は三連休らしい。
仕事している時は意識的にテンションを高めにしておかないと成り立たない商売。夜になるにつれて若干ハイになり、深夜に帰宅するころには「結局は開き直って楽しく仕事しねぇと意味ねぇよな」などと考えるようになるのだが、家に帰って眠って朝に目が覚めるとかなりダウナー系。幻冬社の見城さんとサイバーエージェントの藤田さんの共著で『憂鬱でなければ仕事じゃない』という本があったが、まさに気分はそんな感じ。会社に行くのが憂鬱で仕方なくなる。
ただ思えば、何をするにしても結局は同じ感じのプロセスを経ている。いつだって、意識をオンにするまでに一つの壁を乗り越える。誰に言われたわけでもない、自分が好きで入ったジムに行く時だって「面倒クセェな」と思いながらウェアに着替えている。はっきり言って、自作自演の極み以外の何ものでもない。こんなヤツの言うことは放っておけばいい。
こちらも好きで入った中学・高校時代の柔道部。純粋に身体的にギリギリにまで追い詰められる日々。その苦しみを回避するために編みだした方法が、苦痛を無視するというやり方。心拍数が上がり、肺が極限にまで追いつめられ、筋肉に力も入らなくなるような状況の中で、その身体感覚を注視しながらそこにいかなる意味も与えないということ。マイルス・デイビスではないが、あるいはナディア・コマネチではないが、苦しみがそこにある、"So What ?"
別件。来週から始まる2025年のダボス会議のテーマが「Collaboration for the Intelligent Age」。Youtubeでの配信も始まるはずなので、楽しみ。どうやら今年のアート系のアワードを日本人がとっている模様。この辺りの記事も後ほどじっくり読んでみよう。
「憂鬱である」「やりたくねぇ」「めんどくせぇ」あるいはルサンチマンといった感情は、結局は頭がこしらえているものなわけで、これらに対抗するためには身体を使うしかない。頭がやばい方にイっちゃうのであれば、身体をまともな方向にイカせるしかない。ジムに行く理由というのも、このあたりに収斂される。大脳新皮質の機能を一時的にフリーズさせるためにコントロールされた肉体的な苦痛を付与する。インテリジェントな時代だからこそ筋肉の叫び声が必要とされている。