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ルビの実験を兼ねてショートショートを書いてみる
記事にルビを付けられることになったようなので、どんなものなのか試しに書いてみます。
最後の夜
ウエイターがグラスに注いだスパークリングワインが黄金色の泡を踊らせていた。
「乾杯」
彼が差し出したグラスに、わたしも同じ言葉を添えて合わせる。
「いい夜だね」
ホテル最上階の窓からの夜景を見つめる彼の横顔は、珍しく憂いを浮かべている。
「こんなことになって、本当にすまないと思っている」
「いいのよ」
わたしは言う。
「あなたにはあなたの生き方がある。わたしにもある。それが交わらなくなっただけ。でしょ?」
「そうだな」
半分ほどを喉に流し込み、彼はやっとわたしの眼を見た。
「君には本当に感謝している。君に出会えてよかったと」
「わたしも」
前菜は茸と茄子のマリネ。一皿目は南瓜のニョッキ。どれも美味だ。しかし彼は味わう余裕もないようでグラスを何度も空にしている。そんなに強くないのに。ほら、もう顔が真っ赤。
酔うにつれて彼の緊張は緩み、口は軽くなる。
「俺たち、いい思い出をたくさん作ったよね。楽しいことをいっぱいした。覚えてる? 一緒にミラノを旅したときに出会った気のいい爺さんのこと。俺たちに特上のワインを振る舞ってくれた」
「覚えてるわ。あのとき彼に言われたもの。『いつまでもお幸せに』って」
緩んでいた彼の頬が、たちまち強張る。
「ああ、そうだった。でも、なんていうか……」
「旅先で知り合っただけの年寄りに気兼ねすることなんかないわ。それで、式はいつ?」
「ああ、その、来年にでもと思ってるんだが」
「おめでとう。お幸せにね。その頃にはわたし、ニューヨークに引っ越してる」
「そうなの? もしかして前に言ってた仕事が決まった?」
「ええ。当分日本には帰らない」
「そうか……それは……残念だ」
二皿目は小羊のロースト。そしてデザートはティラミス。最後の食事を終えて、わたしたちは店を出る。
「じゃあ、これで」
わたしが言うと、彼は少し名残惜しそうに、
「向こうでの連絡先を……」
「教えないわ。わたしたちはこれで終わり。でしょ?」
「ああ、そうだな」
ふたりは交差点で別れた。
しばらく歩いてから、わたしはスマートフォンを取り出し電話をかけた。
「もしもし? 今、終わったわ」
――ありがとう。
電話の向こうの声は、泣いているようだった。
――あなたには感謝してる。本当にごめんなさい。
「謝らないで。これはわたしが決めたことだから。来年には結婚するって?」
――そのつもり。彼はもっと急ぎたいみたいだけど、できれば……生まれてからにしたいの。
「妊婦のウエディングドレス姿も悪くないけどね。元気な子を生んでね」
――ありがとう……あの、わたし、本当にこれでいいのかなって……。
「今になって迷わないの。これでいいの。お幸せに」
電話を切ると、わたしは夜空を見上げた。雲間から月が覗く。
その月に向かって、呟いた。
「ばかやろう」