日本の奨学金の歴史③ ~無利子から有利子へシフト~

何かと批判の多い奨学金ですが、自分なりの経験をもとにした目線から奨学金について考えていきたいと思っています。

無利子貸与で行われてきた日本の奨学金に「有利子貸与」が導入されたのが、1984(昭和59)年です。

その理由は、大学進学率と学費のダブル上昇に対して、奨学金の量的拡大が求められていました。

しかし、税金を原資とする一般会計予算では限界があるということで、財政投融資を使った市場からの外部資金調達が議論されていました。

当時の時代背景を思い返してほしいのですが、1984年というのは翌年のプラザ合意の前年、その後のバブル経済前夜の時代です。

有利子奨学金導入のもう一つの背景として、奨学ローン金融市場への参入を狙う金融機関など財界の動きもあったようです。

実際、政府内の議論でも「有利子奨学金の金利上限撤廃」「在学中からの利子付加」などが挙げられていましたが、世論の反対が大きく利率3%(上限金利)で有利子貸与奨学金が始まりました。

ただし、日本の奨学事業は「無利子貸与」が根幹、ということで有利子は無利子を補完する規模となりました。

しかし、1997(平成9)年に、現在の問題につながる大きな政策転換が行われます。

それが、有利子奨学金の「採用基準の緩和」と「量的拡大の本格導入」です。これにより、日本の奨学金事業が、「無利から有利子」へ「育英から奨学」へと大きく舵を切ったのです。

文科省が公表している「無利子:有利子」の割合の推移を見てみます。

<年度/無利子・貸与人員(金額)/有利子・貸与人員(金額)>

1998年/39万(2005億)/11万(650億)

1999年/40万(2121億)/24万(660億)

2000年/41万(2198億)/28万(953億)

2001年/42万(2280億)/33万(2446億

2002年/41万(2214億)/39万(2952億)

2003年/43万(2385億)/44万(2405億)

2004年/44万(2504億)/53万(4316億)

2005年/41万(2540億)/58万(4879億)

ご覧いただければわかりますが、1999年の有利子奨学金の本格導入に踏み切った2年後には貸与額、4年後には貸与人員で無利子の規模を上回りました。ちなみに、2004年というのは、日本学生支援機構が設立された年です。

その後、無利子の予算規模はほぼ変わらずに、有利子を拡大する流れが2011年まで続きました。

ちょうどその頃から、奨学金が社会問題として批判される機会が増えてきました。そのため、2012年からは無利子を拡充する方針が打ち出されましたが、2019年の実績では、無利子56.8万(3577億)/有利子70.2万(6142億)となっています。

いま一度、重要ポイント整理すると、1984年(有利子奨学金導入)、1999年(有利子奨学金の量的本格拡大)です。

この年度をみて明らかなのが、日本経済が右肩上がりでイケイケの時代に有利子奨学金を導入し、その後のバブル崩壊、経済の凋落、就職氷河期の時代に量的拡大に踏み込んだのです。

その歪が目に可視化されてきたのが、リーマンショック後の年越し派遣村が取り上げられてきた頃だったと思います。




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