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カウント伯爵とメージャー少佐:整数と実数
(見出し画像にカウント伯爵を使おうとしたのですが,著作権の関係でカウント伯爵の叔父さん〈うそ。フリー素材の吸血鬼さん〉に登場してもらいました。)
ある言語で書かれた文章で,その言語特有のかけ言葉というか酒落というか,とにかく同じ発音でふたつ意味のある言葉を両方の意味にかけて使っていることがある。そういうときに,それをうまく別の言語に訳すのはむつかしい。たとえば,有名どころではビートルズの「Please Please Me」は「お願い」と「喜ばす」というふたつの意味を重ねた言葉遊びになっているが,日本版タイトルは「プリーズ・プリーズ・ミー」と訳すのをあきらめている。
そのような言葉遊びの対象に,セサミストリートにでてくる,日本名「カウント伯爵」というやつがいる。このカウント伯爵は何でも数えたがるというくせを持っていて,それによって子どもたちに数え方を教えるという教育目的で登場したキャラである。この本名(英語名)だが,「数える」という単語が英語で「伯爵」と同じ「Count」なので,それをひっかけた「Count von Count」という洒落になっているのだ。しかし,日本語の「カウント伯爵」にするとこの洒落は伝わらない。
ということで,本稿は Count,「数える」ということについての話題。ビートルズとかはあんまり関係ないね。どういう話かというと「数える(Count)」というのと「測る(Measure)」というのが,根本的に違うものではなかろうか,ということだ。どちらも,なにか対象を量的に評価して,数であらわすという行為だが,このふたつには本質的な違いがあると思われる。端的には,「数える」の結果は整数で,「測る」の結果は実数と言えるであろう。「数える」という行為は対象と整数を一対一対応させることである。たとえば,牛小屋に牛が 5 頭というときは,牛の集団の中の一頭一頭を「1, 2, 3, …」という数に対応させていって,「5」のときに小屋の牛全部と対応する,となれば 5 頭という数を得る。それに対して,「測る」というのは,なにか基準となる単位を決めておいて,測る対象がその単位の何倍かというので,値を得る。たとえば,身長が 165 cm というときは,かかとから頭のてっぺんまでが,1 cm という単位の 165 倍である,ということを意味する。当然のことながら,その単位がフィートや尺などであれば,得られる数字は違うものになる。
結果として,「数える」ことによって得られた数字と「測る」ことによって得られた数字は本質的に違うものになる。「数える」結果である整数は端数がまったくない離散的な値で,たとえば牛 5 頭というのはありだが,牛 5.3 頭とか $${3\sqrt 3}$$頭とかはあり得ない。それに対して身長などの場合は 165.3 cm などと端数がつくことがあり得る。さらに,165 cm と一見端数の内容に見えるあたいでも,もっと精度良く測ると 165.02 cm とかになるわけで,きっかり 165 になる確率はほぼ確実に(数学的にいうと almost surely に)ゼロである。誤差がないというのはありえないのである。さらに「数える」の結果はどの文化でも同じである。もちろん,それをあらわす単語は「いち,に」とか「One, Two」とか言語によって違うが,たとえば万国共通のアラビア数字をつかうと,どこの国でも牛の数は「5」となる。そして,それはアラビア数字を使っていなくても,片手の指の数と一致する。それに対して「測る」ものは,文化によって,もっと具体的には使う単位によって値が違ってくる。たとえば 165 cm はアメリカに行くと約 5.4 フィートになる。
つまり,「カウント伯爵(Count von Count)」と「メージャー少佐(Major Measure)」はまったく別人ということだ。(ちなみにメージャー少尉はセサミストリートにはでてこない。)
ということで,数えた結果は「数」,測った結果は「量」ということができる。この「数」と「量」の混同はわりとよく見られて,タイトルに「Count」が入っている本「Can Fish Count?」は,人間以外の動物が数を数えられるか,という内容だが,「数」以外に渡り鳥がどうやって渡りの目的地を知るか,というような「量」に関する話題もでてくる。それに対して,タイトルに「Measure」が入っている本「Beyond Measure」は測定(Measure)に関する古今あれこれをあつかっているが,序章で原始時代に狼の骨に傷をつけて「数」を記録するという話が書いてあり,これは「Measure」ではない。もちろん,これらの本の著者が間違っているというわけではなく,「Count」も「Measure」も大きくひとくくりにして量的把握を目的とした行為と解釈すれば正しいのだが,細かいことをいうと違う概念だということだ。
現代に生きていると,「数」と「量」の違いはあまり意識しないことも多い。しかし時代や文明によっては,数と量が全く違う概念であるのが当然と感じらることもあっただろう。かのユークリッド原論の 1 巻から 4 巻までは Count の対象である「数」はでてこない。4 巻までの対象は今の言葉でいうと幾何学などだが,これがあつかう線の長さや面積,角度などはここで言う「量」であり,Mmeasure の対象である。そして 5 巻以降が「数」に関する記述になる。ネットをさがしてみると,このサイトで全文和訳されているようだ。全部精査したわけではないが(というかほとんど読んでないが)第 5 巻の紹介の[はじめに」の部分に「原論では個数として表現される自然数だけを数として認める立場である。それ以外は量として扱う」とある。(実はユークリッド言論については表面的にしかしらないので,見当はずれならご勘弁。)
ということで,今回は「カウント伯爵」と「メージャー少佐」は違う仕事をしている,というお話でした。
(2024/11/19 投稿)