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真に驚くべき枡
ひとつ前の記事に計量単位の目的について「真に驚くべき例をみつけたが,それを書くには本稿の余白はせますぎる」とイチビッたことを書いたが,今回はこの「真に驚くべき例」の話。それほどたいしたこともないのはご容赦。
ネタ元は「平安は今日もハードボイルド: 日本中世のアナーキーな世界」という本,これはめっぽう面白い。現代のわれわれから見ると,えっ?,と言うような意外な風習や出来事がおもしろおかしく紹介されている。(「室町の最終兵器」坊主の呪い,とか。これは面白い話なので,そのうち紹介しようかな。)
そのなかで,「枡のはなし」という,領地から年貢を徴収するために使用する「枡」についての紹介がある。「枡」というのは,容量をはかるためにつくられた立方体の木製容器であるが,それから計量単位がつくられている。枡一杯の量が「一升」で,その十分の一が「一合」,十倍が「一斗」と<一応>なっている。一合徳利と一升瓶と一斗缶を思い出せば,だいたいのイメージがわくだろう。以下では,木製容器としては「枡」,容量の単位としては「升」と書いて区別する。読みがおなじなので,ややこしいね。
ところが,上で「<一応>なっている」というのは,中世になってから必ずしもそうとは言えない場合が多くみられるからである。このページの解説によると,「中世の日本では、一升枡は現在の十合入りではなく、地方により七合、八合とまちまちの状態でした」とある。さらに調べていくと,ネット上で公開されているこの論文では,ちょっと読んだくらいでは理解できないような,奇々怪々な一升のバリエーションが紹介されている。これは,どうやら升が単に計量の単位ではなく,年貢の量を決める重要な単位であったからのようである。
つまり,年貢を納める方の農民にとっては,「一升」とされる量が少ないほど実質的な年貢が減るわけでありがたい。それをうけとる領主はその逆だ。ということで,一升という単位の根拠となる枡の大きさを巡ってシビアな攻防戦がくりひろげられたのは想像に難くない。そのような駆け引きをしていくうちに,7 進数や 12 進数を使い分けたり,用途によってちがう枡,つまり違う単位をつかったりと,少しでも自分側に有利になるような創意工夫(?)が行われて,徐々に複雑な体系ができあがったようだ(このへんは調べた範囲ではあいまいなところもある,詳しくご存知の方は教えてください)。そして,個々の事情によって,一升の定義がいろいろと変化していった。上掲の論文の末尾にある表によると,最大と最小で絶対量にかなり大きな違いがある。
そして,話はここでは終わらない。計量の単位になる枡の大きさが地方によって違ったとしても,地方によって,あるいは流通のする業界によって違うのであれば,一応は閉じた地域内では同じ単位を使えるから問題ないと思われる。ところが,冒頭に紹介した「平安は今日もハードボイルド: 日本中世のアナーキーな世界」という本によると,京都にある東寺というひとつの寺の中で,なんと 17 通りもの違った枡があって,年貢の計測につかわれていたそうである。東寺は領地として複数の荘園をもち,そのひとつひとつに違った枡があったようだ。そして,その中には 10 進法でなく 13 進法,つまり 13 升で 1 斗という枡もあった。まさに「アナーキーな世界」である。
東寺というひとつの場所でそんなにも多数の計量単位をつかうのは不便ではなかろうか。多分,というかほぼ確実に不便である。不便ではあるが,それを是正するのに必要な手間を考えると少々の不便は我慢しよう,ということになったのだろう。年貢の計量につかう枡を決めるのは農民・領主の双方にとって死活問題なので,もめるのは必至だ。上掲書「平安は〜」には,一揆で枡を壊してしまって,その後,新しい枡を決めるのに4年かかったという話がでている。
上述のように,このころはいろいろな枡が乱立して,共通の計量単位が事実上存在しない状態であった。そして,各荘園から収められる年貢は荘園ごとに決められた枡で計量するので,その枡がなくなったら,もはやその荘園から収められる年貢の量を決める手段がなくなるのである。そこで,あたらしい枡を作ろうとすると,農民と領主のあいだで丁々発止の攻防があって,新しい枡の制定に 4 年もかかってしまったようだ。ひとつの荘園での枡の容量を決めるのだけで,そんなに手間がかかるのに 17 通りもの違う枡を統一しようと思うと,気の遠くなるような手間がかかるだろう。それにくらべれば,おのおのの荘園にべつべつの枡を使い,つまりべつべつの単位系を使い,必要であればその間を換算するほうが,手っ取り早いという選択もありだ。
そして,本稿で重要なのは,まさにそういう選択が可能な理由である。実は荘園ごとに計量単位がちがうというのは,それほど深刻な問題ではないのではなかろうか。つまり,「枡」という容器がなんのためにあって,それによって定義される「升」という容量単位の目的はなにか,ということである。これは,最終的には年貢が適正に収められたかを知ることであろう。そのために使った計量単位によって得られたというのは,いわば中間生成物で,最終的に年貢がちゃんと過不足なく収められていればよい。つまり,枡を使って測った数値は荘園ごとに統一されていなくても,最終的に各荘園が割り当てられただけの年貢を納めていれば問題ないわけである。
「問題ない」と書いたが,これは目的が達せられるという意味で,それに付随する手間は大きく違う。これについては「真に驚くべき…」としつこく書くのはためらわれるが,記事が長くなりすぎたので,項をあらためて。
(2024/12/10 初稿)
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