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温度はどこから来たのか

前回の記事のタイトルは「、温度はどこからきたのか,温度とは何者か,温度はどこへ行くのか」だったが,主として「温度とは何者か」に関して議論した。つまり,温度を測るとはどういうことか,という話だった。今回は「温度はどこから来たのか」という問い,つまり,なぜ世の中に温度なるものが存在して熱現象を牛耳っているのか,という問題を考えよう。
 これはなかなか難しい問題である。ざっくりと「温度って全体のエネルギーに比例する量でしょ」というのもありだが(『A Brief History of Time』:邦題『ホーキング宇宙を語る』にもそんな記述があった),それだと熱平衡の議論とかができない。温度について,熱力学で厳密な話をしようと思うと,とりあえずエントロピーというものがあると仮定しようという立場や,カルノーサイクルというのがあってだな,というのからはじめるなど,いろいろ流儀があるらしい。しかし筆者は,物理の概念は使えればいいという立場なので,公理的なものから理詰めで始めるのは肌にあわない(実はそういう緻密な思考能力がない)。だから以下は,なんとなくわかるでしょ,的な説明である。

エントロピーとか温度とかは,熱力学の範囲ではあまり理解できないが統計力学を勉強すると納得できる,というのはよく言われることである。本当にそうかは別として,以下では相対論熱力学の解説に必要な,温度と保存量の関係を統計力学的な視点から説明しよう。
 まず,こういうときによく言われる「十分時間がたって平衡状態に近づく」というのはどういうことだろうか。これは,時間がたつことによって,系が昔を忘れていくことだと言える。たとえば,熱的緩和ではないがアナロジーとして,箱に入った砂を考えてみよう。はじめ砂の上面に凸凹があっても,箱をゆすると平らな定常状態におちつく。上面が平らという状態は,持っている情報が最小だと考えられる。平衡状態になる前に砂の表面に凸凹の状態を記録しようと思うと,どの位置でどのくらい凸か凹があったかを知る必要があるが,平らな場合は「高さが一定」のひとことで済む。つまり高さ(= 砂の総量)以外の情報を忘れている。

この「系が昔を忘れていく」というのを単原子分子気体の分子運動に適用してみよう。以下,単原子分子のことを「粒子」と呼ぶ。Lagrange の未定乗数法など,ちょっとした物理数学のテクニックを使うが,知らない人はそういうものを使えばこういう結果が得られるんだ,知らんけど,くらいに思って数式はとばしてもらえばいい。
 忘れられるものを全部忘れた状態というのは,情報理論から考えてエントロピーが最大の状態だと考えられる。気体のエントロピー $${S}$$ は粒子の分布関数を$${f(v)}$$ として,

$$
S = -\int f(v) \ln f(v)\,\mathrm{d}v\,,
$$

と書ける。実はちゃんと考えると,上の式にはいろいろ但し書きがつく(たとえば空間分布は無視している)のだが,ここは細かなことはいわずに上の式で話をすすめよう。もし,なんの制限もなかったらこの分布は際限なくひろがっていく。しかし以下でみるように「忘れられないもの」,つまり保存量というものがあるので,分布はあるところに落ち着く。これが熱平衡分布である。
 いま,$${f}$$ という分布に保存量 $${Q_i}$$ が $${n}$$ 個($${i=0, 1,2, \cdots, n-1}$$)存在する場合を考える。これらの量が一定であるという拘束条件のもとに $${S}$$ を最大化するには,Lagrange の未定乗数法を使って

$$
S - \sum \beta_i Q_i =  -\int f \ln f\,\mathrm{d}v - \sum \beta_i Q_i \,,
$$

を最大にする $${f}$$ を求めればよい。ここで $${\beta_i}$$ は Lagrange の未定乗数である。これらの未定乗数は $${f}$$ の関数形が決まってから,保存量を正しくあたえるように決められる。
 この,保存量が一定という条件のもとでエントロピーを最大にする分布,つまり熱平衡分布は未定乗数法によって

$$
f = \exp\left(-\sum_i\beta_i Q_i\right),
$$

となる。

ここで,この気体の場合の保存量は,総粒子数 $${N}$$,運動量 $${M}$$,エネルギー $${E}$$,の 3 つである。これらは $${m}$$ を粒子の質量として

$$
N = \int f(v)\,\mathrm{d}v\,,    M = \int mv f(v)\,\mathrm{d}v\,,   
E = \int\frac{m v^2}{2} f(v)\,\mathrm{d}v\,,
$$

と書ける。それぞれに対して $${\beta_N}$$,$${\beta_M}$$, $${\beta_E}$$,という未定乗数をわりふると,エントロピー最大の分布は

$$
f = \exp\left(-\beta_N - \beta_M mv - \frac{\beta_E}{2}mv^2 \right),
\tag{1}
$$

となる。未定乗数 $${\beta_i}$$ がそれぞれどういう物理量に対応するかは,上式を積分して保存量を計算すればわかるが,ここではもっと手っ取り早く,すでに知られている平衡分布とくらべて求めてみよう。
 上の式を

$$
f=\exp\left(-\beta_N + \frac{m\beta_M^2}{2 \beta_E}\right)
\exp\left[-\frac{m\beta_E}{2}\left(v+\frac{\beta_M}{\beta_E}\right)^2\right],
$$

と書き直して,平衡分布として知られるマックスウェル・ボルツマン分布の重心速度が $${V_0}$$ の場合の式

$$
f = f_0 \exp\left[-\frac{m}{2T}(v-V_0)^2\right],
$$

と比べると

$$
\exp\left(-\beta_N +  \frac{m\beta_M^2}{2 \beta_E}\right)=f_0\,,~~~
\beta_M= -\frac{V_0}{2T}\,,~~~\beta_E = \frac{1}{2T}\,,
$$

であることがわかる。ただし, $${T}$$ はエネルギーを単位として測った気体の温度である。ここで未定乗数 $${\beta_E=1/2T}$$によって温度が決まるということは,温度というものがエネルギー保存の縛りによって生じてくるものであることを意味する。もし,この縛りがなしにランダムな衝突によって系が発展すると,いわゆるランダムウォークの問題になって分布関数はどんどん広がっていってしまう。ところが,そうするとエネルギーもどんどん大きくなってしまって保存しないので,そうならないようにエネルギーの縛りとして $${\exp(-mv^2/2T)}$$ の,いわゆるボルツマン因子がかかるのである。
 ここで,$${V_0}$$ は全体の並進運動を与えるだけなので,分布の性質には関係ない。そこでこれをゼロとして以下のモーメントを計算すると($${V_0}$$ がゼロでなくてもキュムラントを計算すればいいが,これは多くの人にとってなじみが薄いと思われるのでモーメントにする),$${n > 3}$$ に対して

$$
\int v^n f(v) \mathrm{d}v = 0\,,
$$

となるので,エネルギーより高次の情報は全部忘れていることがわかる。$${n=2}$$ の場合もゼロになるが,それは $${V_0 = 0}$$ としたためで,一般には(重心運動がある場合は)ゼロでない。これはのちに「運動量温度」で重要になってくる。

以上で議論したのは,エネルギーに対応して生じる未定乗数 $${\beta_E}$$ から求められる温度についてであった。これが普通に使っている温度であるが,この温度の導入の経緯をみてみると,エネルギーが保存するということしか使ってない。ということは他の保存量(この場合は粒子数と運動量)に関してでてくる未定乗数からも温度が定義できるはずである。粒子数保存による未定乗数 $${\beta_N}$$ から来る「粒子数温度」については,化学ポテンシャルなどに関係してくるが,粒子数が変化しない今の場合は気にしないことにしよう。
 相対論熱力学にとって重要なのは,$${\beta_M}$$ から来る「運動量温度」である。これについては,非相対論では重心運動を差し引くというガリレイ変換に吸収されてしまって,とくに面白いことはない。しかし,相対論では以前に説明したように重心運動が定義できないので,重心運動を差し引くということができない。したがって,相対論的温度は「エネルギー温度」だけではなく,「運動量温度」も考えなくてはならない。そして,未定乗数として保存量に対応して決まるのは,温度の逆数,つまり逆温度 $${\beta=1/T}$$ であるので,「エネルギー逆温度」と「運動量逆温度」を導入するのが妥当だ。

エネルギー・運動量が 4 元ベクトルであるなら,それと対応するエネルギー・運動量逆温度も 4 元ベクトルになるはずである。これが van-Kampen (1968)と Israel (1976)が提唱した相対論的温度である(ただし導出はここでやったのとは違う)。1960 年代から始まる相対論的温度のローレンツ変換についての議論は,ここで言うエネルギー温度しか扱わず,運動量温度を考えてないのが混乱の大きな原因と思われる。

 以上が前々回の記事の下の方で箇条書きにした 4 つの要因の 3 つ目の解説である。4 つめについては,また次の記事で。今回は我慢して脱線もせずに淡々と書いたが,かなり長くなってしまった。お付き合いいただいた方には感謝です。

参考文献
N. G. van Kampen, Phys. Rev. 173 (1968), 295.
W. Israel, Ann. of Phys. 100 (1976), 310.

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(2025/2/14 初稿)

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