彼女たちのコズミック・イラ Phase14:親離れと恋心
大きく変化しようとするプラントの政治情勢、そしてギル少年のプライベートに関する回です。もう少年と呼べる齢でもないんですけどね。
タリア・グラディスについては名前のみの登場となります。とはいえ本作の前半部分では、クライン博士と同等に核心部分に影響を与えていたりも。
次回からが第一部のクライマックスとなります。
C.E.61:コロニー・メンデル
「んっ……よっ……ふんぬぅぅ……!このっ……!」
書籍の管理室で目当ての本を取ろうとしているアウラ。しかし、背の低さから思うように手が届かず、彼女はその場で跳躍を繰り返して無理に取ろうとしていた。
「よっ……それっ……このっ、このぉっ!なんでっ……なんで届かないのよぉっ!」
室内に置かれた足場を持ってくれば容易に取れたものの、その労力を惜しむがために、それ以上に無駄な時間と労力を消耗していく。
「むぅぅぅっ……えいっ!やったっ!えっ……?」
徒労の果てに目当ての本を取ったのも束の間、強引に取った代償として周囲の書籍が一層に本棚から落下をしてくる。その多くは顔を見上げていたアウラを目掛けて落ちてくるのであった。
「きゃぁぁぁぁぁぁっ!!!」
小さな身体を無数の本によって埋め尽くされるアウラ。やっとのことで顔を出した彼女は、惨状の中心で不機嫌極まりない表情を浮かべていた。
「……背が伸びる薬でも、作っておこうかしらね。」
◇
一人で散らかった書籍の片付けをするアウラ。幼体化し身体に慣れ始めてはいたものの、日常生活には相応の影響を受けているのも事実であった。
「このまま成長が止まったままだと、いずれはオルフェに面倒を見てもらうことになっちゃうかも。」
幸いにも脳の縮小や記憶容量の低下は見受けられず、自身の研究や計画に対する理解力は維持出来ていた。しかし、実年齢に反して身体が幼くなったことにより、彼女自身の精神面には多少の変化が見られるのであった。
「なんか私……前よりも子供っぽくなってない?なんであんなムキになってぴょんぴょん跳んでいたのかしら……」
自らの振る舞いを顧みて、一人顔を赤くしてしまうアウラ。元々大して成熟をしていなかった精神が肉体と共に退化していることに、彼女は少なからず恐れを抱いているのであった。
「ん?あれ……これは……」
そんな考えを抱きつつも片付けを続けていると、アウラは一冊のノートを見つける。それは決してこの部屋には似付かわしくなく、良くも悪くも異彩を放っていた。
「誰のものかしら。こんなところに置いておくなんて……」
訝しさを感じながら、彼女はそのノートを手に取り適当に捲ってみる。するとそこには少し以前のものと思われる、ギルによる研究や実験、学習の痕跡が記されているのであった。
「どうやらギルのものみたいね。遺伝子工学だけじゃなくて、薬学についての記載もあるから、それほど前のものじゃなさそうだけど……」
特に目新しい情報はなく、またギルのプライベートに関することも書かれてはいなかった。そうしてアウラが気兼ねなくノートを捲り続けていると、ページの落丁が起きたかのように一枚の写真が床へと落ちる。
「あら?これは……写真?ギルのノートに挟まって……っ!?」
何の気なしにアウラはその写真に何が写っていたかを確認する。しかし、その被写体に彼女は言葉を失うのであった。
「この子……一体誰なの……!?」
写真内で楽しそうな笑みを浮かべるギル。そして、その隣で彼と同じく笑顔で映る一人の女。その光景を見るだけで、2人が仲睦まじく、深い関係であることを理解には十分であった。
「そっか……そうだよね。あの子だって、もう……大人なんだもんね。」
アウラの全身を支配する人間らしい感情。全てを知っていると思っていたはずの男が見せた見知らぬ顔。少女の姿となった彼女は、身体に襲い来る寂しさに耐えかねて、しばしその場で蹲っているのであった。
◇
「パトリック・ザラが行方不明?」
「ああ、アプリリウスに侵入したブルーコスモスと思われる連中が、ザラ委員を襲撃したんだ。」
「それで彼はどうなったの?」
プラント内で台頭する黄道同盟の代表が襲われるという事態。そしてアウラにとっては、最大の出資元である重要人物の身に起きた事件。社会の動静には興味関心を示さない彼女でも、さすがに子細をギルから聞こうとしていた。
「かなりの大怪我を負ったようだけど、一命は取り留めたとのことだ。ただ、不穏分子となる組織の一員がプラント内に入ったというのはかなり深刻な状況だ。再びの襲撃を警戒して、入院先の病院なども一切伏せられてしまっている。」
「参ったわ……当面の研究資金には困らないけど、あなたでも居場所が掴めないとなると、いずれは計画に支障が出る可能性がありそうね。」
ギルからの報告に研究デスクに肘をついて頭を抱えるアウラ。想定外の事態に、彼女は急ぎ今後の方策を練ろうとしていた。
「まぁ……でも、ずいぶんと物騒な話だけど、私たちにとってはありがたい話ね。」
「ありがたい?一体どういうこと?」
アウラの言動に怪訝な表情を浮かべるギル。そんな彼に彼女は不敵な笑みを浮かべて問いに答える。
「これでパトリック・ザラという男には箔が付いたわ。反ナチュラルの筆頭が、不穏分子に襲われながらも生還。彼の求心力を高めるには好都合というものよ。」
「物騒なのはアウラのほうじゃないか。でも確かに、ザラ委員がさらに影響力を高めれば、僕たちの研究と計画にも追い風となるの……か?」
「そういうものよ。政治家ってのは、民衆の不平や不満、そして不安を煽れば煽るほど人気が出るものよ。黄道同盟自体、そういった手法で勢力を拡大しているのだから。」
そう語るアウラの顔には、呆れとも蔑みともとれる表情が浮かんでいた。とても出資者である人間について語るような言い方ではなく、彼女は政治に携わる人間を心底見下しているようであった。
「アウラは政治に興味はないのか?頭は良いんだし、政治家になろうと思ったりは?」
「あんなものになりたいなんて思うわけないでしょ。ただでさえ研究と計画で忙しいのに、バカな民衆を引きつれて仲良しごっこなんて御免よ。」
「ば、バカって……」
必要以上に傲慢さを露わにするアウラ。彼女は現在の不平不満が蔓延る社会構造、それ自体が欠陥の塊であるという認識を示していた。
「そういうあなたは政治に興味があるの?」
「えっ……僕!?いや、あるとかない以前に……僕みたいなのが政治なんて……」
「甘いわね。評議会には10代で選出される子だっていたりするのよ。それに、若さは政治の世界では強力な武器よ。おまけにあなたは見た目も悪くないし、汚い大人に目を付けられたら、研究室には引き籠れなくなるかもしれないわね。」
「うぅぅ……やっぱり、政治には興味を持たないでおくよ。」
研究以外の分野でも、ギルの活躍出来そうな場を見出すアウラ。しかし、彼女にとっては彼がそうした場へ向かわないことが願いなのであった。
「いずれにしても、ザラ委員の居場所特定は早い方がいいわ。プラントに戻ったら、すぐに情報を集め直してちょうだい。」
「ああ、そのつもりだ。」
「お願いね。あとそれから、評議会のシーゲル委員にも連絡を。」
『クライン』ではなくシーゲル委員と口にするアウラ。潜在的に彼女はその名前を呼ぶことを避け、シーゲル・クラインが赤の他人であると意識しようとしていた。
「クラ……シーゲル氏にも?まぁ、同じ黄道同盟の代表だから、接触はしておいたほうがいいと思うが……」
ギルは彼女の言動に戸惑いながらも、その要請に納得した様子を見せていた。
「近いうちに黄道同盟は、より強大な勢力になるはずよ。きっと、プラントの全てを掌握してしまうほどに。その時に私たちは、私たちの計画を実行に移す機会がついに訪れるのよ。」
さらなる勢力の拡大が見込まれる黄道同盟を追い風に、アウラは計画の実行を狙っていた。そのためにも、今は彼らとの繋がりを少しでも深くすることが必要だと考えているのであった。
「それからギル、あなたに一つ聞いておきたいことがあるのだけど。」
「ん?どうしたんだ?まだ気になることが?」
そう言ってアウラに顔を向けたギルに対して、彼女は一枚の写真を差し出す。それは書籍管理の部屋に置かれていた、彼のノートに挟まっていた写真であった。
「この写真の子とは、一体どういう関係なのか気になるんだけど。」
「これは……!アウラ、この写真をどこで?ずっと探していたというのに……!」
「資料室にあったあなたのノートに挟まっていたのよ。どうせ古い殴り書きのノートの処分に困って、置きっぱなしにしていたんでしょ。」
「あ、ああ……おそらくそうだと思うが……まさか、そんなところに挟まっていたなんて……」
失念していたことへ後悔している様子のギル。そうした彼に対して、アウラはさらに問いかける。
「それで、あなたの質問には答えたのに、まだ私の質問には答えてくれていないわよ。」
「彼女は……その、プラントへ戻った時に、知り合いとなっていて。カレッジでもよく顔を合わせたりもして……」
歯切れの悪い返答を繰り返そうとするギル。痺れを切らしたアウラは、呆れた口調となって彼の言いたいことを代弁する。
「はぁ……恋人だっていうなら、そう言えばいいでしょ。」
「いやっ……でも、アウラにそうはっきりと言ってしまうのは……!」
「別に私とあなたは夫婦でも恋人でもないのよ。確かにオルフェは私とあなたの遺伝子から生まれた子供だけど、世間一般的には単なる知り合い、それ以上の関係ではないのだから。そういった気遣いはいらないわ。」
アウラの冷たく突き放すような言い回しに、少なからずショックを受けるギル。しかしそれが、自らと写真に写った女性との関係に配慮しての言葉であると、彼は十分に理解もしているのであった。
「ごめん、アウラ。ずっと黙ってて。彼女とはプラントに戻った時に知り合って、今でもその……付き合っている。」
「そう。だったら別にいいんじゃないかしら。単に付き合っているだけなら、私が知っておく必要もないと思うわ。」
「単にって……そんな軽い関係なんかじゃ……!僕は彼女と真剣に付き合って、将来ことだってしっかり考えて……!」
感情が高ぶった様子で、アウラにそう声を上げたギル。そんな彼の姿を前に、それ以上興味を示さなかったアウラが再びギルを見つめて口を開く。
「だったら、あなたにも相応の覚悟が必要になるわね。」
「か、覚悟って……そんなの、どうやって。」
「簡単な話よ。彼女と一緒に遺伝子検査を受けるのよ。真剣な交際だというのであれば、話は少し変わってくるわ。」
「うっ……そ、それは……!」
幼い姿をしたアウラの鋭い言葉に、ギルは返す言葉を失う。プラントに住まうコーディネイターとして、それは決して避けることが出来ない関門なのであった。
「彼女、名前は?」
「タリア……タリア・グラディス。僕より3歳下の……カレッジの後輩だ。」
「……可愛い子ね。ギル、あなたが惚れるのも分かる気がするわ。私も、あなたとはお似合いだと思っている。」
だが、心情はそうだしても現実は違っていた。プラントの社会において、遺伝子の相性を抜きにして婚姻関係を結ぶことは、法律で制限をされていた。そのためにも、男女のパートナーが結ばれるには、まず遺伝子の検査を受ける必要が存在していた。
「タリアさんとの関係が本気だというのであれば、なおさら検査は早く受けておいた方がいいわ。そうでないと、あなたたち2人、互いのためにならないと思うわ。」
「でも……まだ、そういうことまでを考える時じゃ……」
何かを酷く恐れている様子のギル。その姿にアウラは、大体の察しがつきながらも、それ以上強いることを諦めるのであった。
「まぁいいわ。あなたのプライベートにこれ以上深く関わるつもりはないから。でも、いち研究者として、そうした懸念だけは伝えておくことにするわ。」
「………」
アウラの不安と心配が滲み出た言葉に、ギルがそれ以上言葉を返すことはなかった。そして、2人の前に再び悲劇が訪れようとしているのであった。