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極めて個人的な話〜①インターネットに出会う

黎明期

パソコンを買う

1997年秋、型落ちのWindows95 搭載マシンを買ったのが私のインターネット・デビューのきっかけだ。
それまでプリントゴッコで作っていた年賀状をパソコンで作ることにしたのだ。

1998年の年賀状を作成したあと、仕事をしていないので他にこれといった使い道がなかった。

パソコンを買う時に、当然のようにインターネット回線の接続契約をしていた。

そうは言っても、電源を入れてボタンを押せばネットができるというものではない。
スウジにもキカイにも弱いから、まさに七転八倒してパソコンの設定を済ませ、めでたくインターネット・デビュー。

そこに広がっていたのは、夢のような世界だった。

家にいながら、世界中の(実際には日本語しかわからないので日本国内にとどまっていたけど)、生涯会うことがないような人たちと交流できた。

これまで本やラジオ、テレビを通じてしか得られなかった情報を、僅かな接続料金で知ることができる。

四半世紀過ぎた今では、それが何か?なんですけどね!

「昭和三十年代のお部屋」というチャットルームに入り浸り、テレホーダイを利用する前には、とても口外できない額の回線使用料を支払った思い出がある。


クリエーターになりたかった



2,000年ごろにホームページを開設、その後日本IBMから発売されたホームページビルダー付録のお絵かきソフトを使ってweb素材を作り、無料で配布するサイトを開設した。

自サイトを当時最大の検索サイト、Yahoo!のポータルの"無料素材"に掲載してもらいたくてけっこう頑張った。

しかしスウジにもキカイにもアイティーにも弱いのである。
しょせん付け焼き刃的な知識しか持ち合わせておらず、とうてい叶わなかった。

それでも、続々出版されていたホームページ作成を支援するムック本数冊にサイトが掲載された。
当然掲載料など頂かない、載せてもらえるだけで嬉しいわけだから、あちらは美味しい商売だったかも⁈

パッとしないまま飽きて三年くらいでサイトを畳んだ。

そして閃いた!

2005年から5年くらいは、はてなブックマークで遊んでいた。
ライブドアブログやはてなダイアリーで雑記ブログを書いた。
私の四十代は、フラフラとネットを彷徨い過ぎていった。

ある時、ブックマークした記事に書いたコメントに「コミュニケーションの話ならバカでもできる」とレスがついた。

その通りだと思った。

リアルでは四十代後半から介護サービス相談員活動を始めていたし、終盤に差し掛かった子育ても順調、家庭はほどほど円満、特に不足はなかった。

だけど、習得して自信を持って語れるものが自分には何もないと思った。

そうだ!
クリエーターになろう!

ここで落ち込まないのが私のおめでたいところだ。
美点とも言える。
いや、言いたい。

2010年夏、パッチワーク・キルトの講師資格を取るために教室の門を叩いた。
51歳でした。

つづく。

のか?




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