隣家が売りに出された
県道から東に折れて坂を登った突き当たりに二件の二階家がある。
東側の奥がウチで、手前の半分くらいの敷地が隣家、ほぼ同じ5DK。
とある事情で数年前からは、留守がちのご主人と成人した息子さんとの二人暮らしなので、日頃の付き合いは回覧板を受け取る程度だ。
築25年くらいだろうか…
隣家の奥さんが、知人の腕の良い大工とこだわり抜いて建てた注文住宅で、予算は限られたらしいのでけっして豪華ではないが、長持ちと使い勝手の良さを追求したと言う。
人件費を節約するために建築中は日参して自ら手伝った。
なかなかやり手の奥さんだった。
完成すると、家の間取りを案内してくれた。
東に少し触れた南向きの玄関ホールは突き当たりが壁で、左側に家の真ん中を通る廊下がある。
廊下の東側は、南から八畳の和室、六畳の和室、四畳のタンス部屋、洗面脱衣所、風呂場と続く。
八畳の和室の南向きの広縁は玄関の廊下とつながっている。
その隣の六畳の和室とは襖で仕切られている。
そこは夫婦の寝室になっていた。
北隣に続く四畳のタンス部屋は和室からも廊下からも往来できるウォーキングクロゼットのようになっていて、洗面脱衣所と往来できる。
つまり、風呂から上がってタンス部屋で着替えて寝室まで一直線、という動線。
逆もまたしかり。
廊下の右側は、北の奥からパントリー、キッチン、ダイニング、床が一段高くなって畳の間。
二階はふた部屋あったがあまりよく覚えていない。
かなり広めの小屋裏があり、季節外のものを収納できるようになっていた。
今時和室がいるか…
という考えもあるが、和室は汎用性があり、何も置かないなら置かないなりに使い道は多様で、時には何もない部屋にゴロンと寝転ぶのは癒しで、日常からの離脱にもなる。
洗面脱衣所とタンス部屋が繋がっているのは言うことなし。
当時としては珍しかったパントリー、昔は納戸と言ったろうか、これも特注の棚が設えてあって、贈答品や酒、ペットボトルの飲料水、その他常温でかさばる買い置きの食品置き場になっていた。
ソファは設置しておらず、ダイニングより一段高い床は畳敷きで、掘り炬燵とテレビがあった。
お茶の間、だろう。
とにかく、このよく考えられた間取りに感動したのを覚えている。
壁はクロスではなく板張りだった。
システムキッチンの扉は木製、アメリカンカントリー好きな奥さんが毎日使う。
奥さんの夢が込められた、暮らしやすそうな家なのだ。
その家を手放すことになったと、隣家の主人が菓子折りを持参した。
門に出入りする道は夫の私有地で、家の修繕や改築、取り壊し等する場合その道を使わざるを得ない。
そういう立地の不動産を売る場合は、土地の所有者の承認が要るという。
玄関先の、隣家の主人と夫との会話に耳をそばだてて、私は咄嗟にあの家の間取りを頭に思い浮かべた。
実際に見たのは一度きりだったが、あまりに感動したのと、あまりに羨ましかったのとで、そのあと何度も何度も反芻した。
数えきれないほど見たように間取りは細部に至るまで記憶されていた。
あの日のあの家のようす…
奥さんの幸せそうな笑顔…笑い声…
それらもいっしょに、蘇った。
どこの不動産屋と契約したのか、売値はどのくらいなのか、喉元まで出かけたが、不運続きでとうとう家まで手放すことになった隣家の主人の内心を慮りやめておいた。
良い家、と言っても築30年近くで価値はないだろう。
生垣や松などの庭木もあるので更地にしたら、場合によれば100坪程度の土地の代金がおおかた吹っ飛ぶかもしれない。
価値のない住宅でもそのまま売る方がマシということか…
更地にしてあれは買うけどね、と夫と話した。
ウチの庭との境を取っ払って、将来夫と私の住まいとなる平屋の離れを作るのだ。
隠居するまではアトリエとして使う。
正直、建築後は十何年ほとんど留守で、付き合いのない隣人関係が気楽だった。
今更めんどうはごめん被りたい…
それにしてもあの理想的な間取りである。
傷んだところをリフォームしてそのまま住み替えたいくらいなのだ。
もし、もし、万が一。
夢破れて家を出たあの奥さんが、何かの折にふと思いついて、かつて住んだこの家を訪ねてきたとする。
庭先からひょっこり私が顔を出す。
しばし再会を喜びあったのち、
部屋に招き入れるだろう。
それから…
それから?
そんな小説みたいな展開を想像してみるのだ。
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