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新幹線にて。

これは私が五十路に入りかけの頃の話です。

実家に行くために、岡山から一人新幹線に乗車しました。
私の住む町からは新幹線に乗るためには、特急やくもに約三時間揺れねばなりません。

これがまた、鳥取、岡山の中国山地を曲がりくねりながら登ったり降ったりする列車で、縦に揺られ横に揺られ少しも眠ることができません。

特急と新幹線を利用して、乗り換えに要する時間を含むと約八時間の長旅ですから、早朝五時台出発の二番のやくもに乗っても岡山到着が九時前、東京に着くのは昼過ぎということになります。


たいていは空路を利用しますが、一番の飛行機に乗って羽田に九時過ぎ、そこから京急北総線乗り入れの成田行きに乗り換えてさらに私鉄、実家に到着するのはやはり昼過ぎなんですね…

片道2万円以下の早特の航空券が買えなかった場合は、節約のため早起きして特急と新幹線を乗り継ぐこともあったのです。
当時はパッチワークキルトの資格取得のため、毎月のように東京や大阪に通い、その間に実家の様子を見に行ったので、交通・宿泊費が家計を圧迫していました。

早いので朝食は摂らずに出て、やくもは食堂車も移動販売車もなく、朝九時ころの岡山駅は東京や大阪から出張できた人や観光客でごった返していて、構内の店も混み合っています。

やくもに乗る前にコンビニで何か調達して、車内で食べれば良いのですが、私は列車に限らず乗り物の中で何か食べるのがあまり好きじゃありません。
そもそも、やくもは揺れるので、飲み物なんてこぼしそうです。

まあそんなわけで、東京に着くまで八時間、空きっ腹に堪えておったというわけです。

✳︎

窓際の指定席でうとうとしていると、新大阪で隣の席に客が乗り込んできました。
三十代前半くらいの男性で、よくいるビジネスマンのスーツにアタッシュケースというスタイルではなく、ブレザーにノーネクタイ、綿のスラックスの自由業風でした。

二人掛けの隣に人がいるとなると、それも男性というのは気を使うものです。
あまりお行儀悪い格好をして寛いでいては、見たくないものを見せてしまうような気がして。

男女問わず同じような年頃が気楽ですが、空きっ腹の上眠たいのに、親しげにあれこれ話しかけられても困ります。
こちらの存在を完全無視、眼中に入らないような、若い男性が最も好ましい。

そういう意味では三十代初めの男性というのは、まあまあ気楽な隣席です。

男性は程なく、カバンからノートパソコンを取り出し、なにやらカシャカシャ打ち始めました。
私は文庫本を読んだり、疲れればぼんやり車窓を見送っていました。

列車が名古屋を過ぎて静岡に入った頃、ちょうど昼時を迎えました。
移動販売のカートから弁当を調達する客もいて、車内には食べ物の匂いが立ち込めました。

私は東京に着いてから、何か美味しいものでもゆっくり食べようと思い、気にしないことにしました。

まもなく隣の男性も、ノートパソコンを膝に乗せたまま、カバンから何かを取り出し食べ始めました。

カリポリという、音がします。
さりげなく見ると、それはじゃがりこでした。

男性は、キーボードを打つ合間に、手前に広げたテーブルの上に置いたじゃがりこのカップから、じゃがりこをつまんで食べていました。

昼飯はじゃがりこ⁉︎

事情は知りません。
急な用事で、取り敢えず家にあった、腹に溜まりそうなものをカバンに突っ込んできたのかも知れないし、じゃがりこが好物なのかも知れない。

ただひとつ気になるのは…

その指でキーボードを打つと、塩脂まみれになりませんか?

まあ隣の人のキーボードが脂に塗れようが私の知ったことではありません。
やることもなく、うとうとと眠りについてしまいました。
列車はもう三島あたりを通過していました。

✳︎

出し抜けに肩を軽く叩かれて目を覚まし
振り向いて声のした方を見上げると、隣の席の男性が立ち上がって私の顔を覗き込んでいました。

鳩が豆鉄砲を食らったような目で(自分の顔を見たわけじゃないので想像した)彼の瞳を捉えると、男性はにっこりと微笑みました。

なに?なに?
私は五十路を過ぎているんですけど…

着きましたよ。(さらににっこり)


彼の背後の窓越しのホームに『東京』の駅名標が見えます。

あ、ありがとうございます!

いいえ、お気をつけて。

じゃがりこお兄さんは爽やかに微笑み、降車口のドアに向かいました。




※東京駅東海道新幹線ホームの駅名標の画像は ともしびさんよりお借りしています。
ありがとうございます♪




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